どうも、夏蜜柑です。
NHKで放送された特集ドラマ「バーニング」(原作・村上春樹「納屋を焼く」)を見ました。
原作は未読なのでどのくらいアレンジされているのかわからないのですが、雰囲気といい台詞といい、もろ村上春樹という感じで面白かったです。ラストも含め。
映像が綺麗で、不安をかきたてる音楽もわたし好み。
キャスティングもよかった。主人公がいかにも「僕」でした(笑)。
この作品は今年5月に韓国で公開された映画のドラマ版のようですが、劇場版とはラストが大きく違っているようですね(劇場版は148分)。
ただ、劇場版のラストはオリジナルで、原作はドラマと同様に結末の解釈を委ねる形で終わっているらしいです。
以下、ネタバレを含みます。
あらすじとキャスト
- 小説家を目指すジョンス(ユ・アイン)は、街中で見知らぬ女性に声をかけられる。彼女はヘミ(チョン・ジョンソ)と名乗り、同じ農村で育った幼馴染だと言う。2人は酒を飲みに行き、急速に惹かれ合う。
- ヘミは自分がアフリカへ行っている間、ときどき部屋を訪れて飼い猫にえさを与えて欲しいと言う。ヘミが旅立った後、ジョンスはヘミの部屋を訪れるが猫は決して姿を現さない。
- ヘミはアフリカで出会った金持ちの男ベン(スティーブン・ユアン)とともに帰国する。ヘミがベンとの距離を縮めることに焦りを抱くジョンス。ジョンスは田舎の貧しい家に育ち、母親は幼い頃に失踪、父親は塀の中だった。
- ある日、ジョンスの家をヘミとベンが訪ねてくる。ヘミが眠った後、ベンはジョンスに「二か月に一度、畑のハウスを燃やしている」と秘密を打ち明けます。そしてここへ来たのは次に燃やすハウスの下見をするためだと。
- 翌日からジョンスは家の近くのハウスを見回り、火事が起きていないか確認するが、どのハウスも燃えていなかった。ヘミからは一度無言電話がかかってきたきり、連絡が途絶えていた。
- ジョンスがヘミの部屋を訪ねると、荷物は片付けられ、ヘミも猫も消えていた。スーツケースが残っており、旅行ではないと推測したジョンスはベンに会いに行く。
- ジョンスが「ハウスはどうなりましたか?」と訊くと、ベンは「燃やしましたよ。跡形もなく」と答える。ベンには新しい恋人ができ、「ヘミはきっと煙のように消えたんです」と言う。
キャスト(吹き替え)
ジョンス……ユ・アイン(声:柄本時生)
ベン……スティーブン・ユアン(声:萩原聖人)
ヘミ……チョン・ジョンソ(声:高梨臨)
感想
村上春樹さんの本は何作か読んだことがありまして、文字によって巧みに組み合わされた難解なパズルのような印象を持っています。
それが解けたとき(自分なりにですが)の感動は鳥肌モノで、再びその感動を味わいたくてまた1冊手に取ってしまうという恐ろしい中毒性があるんですよね。
ひとつひとつの柔らかい言葉、独特のリズムと言い回し、誰にも真似できない比喩、精巧に配置されたメタファ、すべてが組み合わさって完成している世界なので、映像化は向かないと思っていました(実際、これまで見た映像作品はどれも別の作品のようだった)。
というわけで、今回もあまり期待していなかったのです。

韓国映画には疎いので、イ・チャンドン監督のことは知りませんでした。
村上春樹さんとは5歳しか違わないし、共鳴する部分が多いのかもしれないですね。
彼女はどこへ消えたのか?
突然、ジョンスの前からいなくなってしまったヘミ。
彼女がどこへ行ったのか、なぜ消えたのかわからないまま、物語は終わりました。
閉じないラストは好きなのですが、これは解釈が難しいですね。
ヒントのひとつは、おそらくこのセリフ。
「ここに蜜柑があるって思い込まないで、ここに蜜柑がないってことを忘れたらいいの」
ヘミがジョンスにパントマイムの説明をするときに言ったセリフです。
ここで示されたのは、「ある」ことも「ない」ことも人の意識によってイコールになるいうこと。
ヘミが飼っている猫は、ジョンスの前には姿を現しません。
猫は彼女にとっては「いる」けれど、ジョンスにとっては「いない」のです。
ヘミが消えたあと、ベンは新しい恋人を作ります。
ジョンスはヘミの部屋に住み込み、小説を書くようになります。
そこに存在していたヘミはいなくなり、「なくなっても誰も気にとめない」存在になるのです。
ヘミが生きているか死んでいるかは、問題ではありません。
ベンやジョンスが彼女の存在を忘れれば、彼女は彼らの中で存在しなくなるからです。
そう考えると、ベンが言った「ハウスを燃やす」は、ヘミを「物理的に消す」ことではなく「精神的に消す」ことを意味していて、ベンは希薄な人間関係しか築けない人物であることがわかります。
一方、ジョンスにも同じことが言えます。
ジョンスはヘミに再会するまで、彼女のことをすっかり忘れ去っていました。
ヘミが消えた直後は探し回るものの、ハウスが燃える夢(=ヘミを精神的に消す)を見た後は、今までどおり小説を書く生活に戻ります。
ヘミの存在は最初からなかったかのように、彼らは日常を取り戻すのです。
ベンがヘミを殺した?
わたしの解釈は上記のとおりなので、ここからは蛇足です。
ほかにも考えられる解釈としては、「ベンがヘミを殺した」というのが最もストレートな解釈だと思います。
「遺伝子が優秀」だと自負するベンは、自分を特別な存在だと思っている人間です。
もしかしたら、作家志望のジョンスになら理解してもらえると思ったのかもしれません。
ベンはジョンスに「2か月ごとにハウスを燃やしている」と意味深な告白をし、「もうすぐこの近くのハウスを燃やす」と予告していました。
ベンが「すぐ近くにある」と何度も念押ししていることからも、「ハウス」は「ヘミ」を意味し、「燃やす」は「殺す」を意味していると捉えることができます。
しかし、ジョンスはそのことに気づかず、毎日畑に出てハウスを見回っていました。
結局、燃えたハウスは見つかりませんでした。
ジョンスに電話がかかってきた時、ヘミはベンに殺されそうになっていたのかもしれません。しかし、やはりこのときもジョンスは気づきませんでした。
ベンはヘミがいなくなっても気にも留めず、早々と代わりの恋人を手に入れていました。
彼女もまた2か月後に消えてしまい、トイレの引き出しにアクセサリーが収納されることになるのでしょうか。
ヘミは自殺した?
「ヘミが自殺した」とも考えられます。
彼女は中学のときにジョンスから「ブスだ」と言われたことを今も覚えていて、その後、整形手術を受けています。ジョンスはヘミの存在さえ忘れていたのに。
繊細で傷つきやすいヘミは、社会になじめない孤独な女性だったと思われます。
定職にも就かず、生きる意味を求めてアフリカへ行ったけど、帰ってきてもやっぱり孤独だった。
印象的だったのは、ヘミがアフリカのダンスを無心で踊る場面。
ジョンスも、ベンも、誰も彼女のことを理解できず、苦笑いを浮かべて眺めるだけでした。
ヘミもまた、作家志望のジョンスに救いを求めていたのかもしれません。
でも、ジョンスにはヘミの言葉が通じなかった。
もちろん、アフリカで知り合ったベンにも全く通じていません。
ジョンスにかかってきた電話の向こうの声は、死のうとするヘミをベンが止めようとしているようにも聞こえました。
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ほかにもいろいろな解釈ができると思いますし、もっと深い見方もできるかもしれません。
いずれにしてもよくできた作品でした。
わたしはこのドラマでも満足なのだけど、原作にはない映画版のラストもちょっと見てみたい気はしますね。
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