植木等とのぼせもん最終回|淋しさが募るラスト

どうも、夏蜜柑です。
NHKの土曜ドラマ「植木等とのぼせもん」最終回(第8回)。

かなり淋しさがこみあげる最終回でしたねー。
エンディングで植木等さん本人の歌声が流れ、淋しさマックスに。
もうちょっと見ていたいドラマでした。

以下、ネタバレを含みますのでご注意ください。

最終回「スーダラ伝説」あらすじ

10年後。小松(志尊淳)はバラエティやドラマに引っぱりだこの売れっ子コメディアンとなり、忙しい毎日を送っていました。

植木(山本耕史)は新境地を開拓し、主に俳優として活動を続けていました。やがて植木の父・徹誠(伊東四朗)がこの世を去り、社長・渡辺(高橋和也)も亡くなります。

植木のもとには、もう一度あの頃の歌を歌ってみないかという話がありました。ハナ肇(山内圭哉)や小松は「また見たい」と言いますが、植木は「植木等はもうおよびじゃないんだ」と言って突っ撥ねます。

しかし、かつて渡辺社長が「たとえ植木等がこの世からいなくなっても、いつまでもみんなの心の中で生き続ける」と言ったことを妻の登美子(優香)から聞いた植木は、再び歌うことを決めます。

1990年に発売した「スーダラ伝説」は大ヒットし、植木はその年のNHK紅白歌合戦に23年ぶりに出場することに。その日、植木を迎えに現れた小松は、自分が運転する車に植木を乗せてNHKホールへ向かいます。

小松に見送られ、舞台に出ていく植木。

最終回に登場した歌

逢いたくて逢いたくて(歌:山本彩)

園まりの19枚目のシングル曲として1966年1月に発売。
作詞は岩谷時子さん、作曲は宮川泰さん。
大ヒットを受けて、1966年6月には同名タイトルの映画が上映されました。
原曲は、ザ・ピーナッツの7枚目のシングル「手編みの靴下」。

スーダラ節(歌:山本耕史)

ハナ肇とクレージーキャッツの1枚目のシングルとして、1961年8月20日に発売。
昭和を代表する流行歌で、植木等さんの人気が爆発するきっかけとなった曲です。
作詞は青島幸男さん、作曲は萩原哲晶さん。
歌のヒットを受けて、のちに映画も制作されました。

スーダラ伝説(歌:植木等)

「スーダラ節」をメインとした植木等およびクレージーキャッツのヒットメドレーを、1990年に植木等の歌唱で発売。編曲は宮川泰さん。
オリコンチャート最高10位を記録するヒットとなり、植木さんは23年ぶりに紅白歌合戦出場を果たしました。

最終回「スーダラ伝説」感想

エンディングで植木等さんご本人が歌う「スーダラ伝説」を聞いていたら、何とも言えない淋しさがこみ上げてきました。もうちょっと見ていたかなったなぁ、このドラマ。

最終回はみんな年老いてしまって、最初の頃の明るさや活気がなくなって、かなり淋しい雰囲気だった。時代的にもバブル崩壊直前だから、仕方ないんだけど……。

それでなくてもこちらは登場人物の多くが既に亡くなっているということを知っていて、ラストに向かうにつれ、切なくなっちゃうのに(>_<。)

私がよく耳にしていたのは、たぶん「スーダラ伝説」のほうだろうなぁ。
物心ついた頃にはクレージーキャッツはもうテレビに出てなかったし、私には、植木さんがひとりで歌ってる印象しかないから。

私の知らない、当時の芸能界の様子がチラッとでも見られて楽しかった。
小松政夫さんと植木等さんの師弟関係は、独り立ちした後もずっと続いてたんですねー。これも知らなかったなぁ。

久野征四郎さんの名前は聞いたことなかったです。
無名のうちに引退されたのかなと思ったのですが、調べてみると、70年代後半までは結構たくさん映画やテレビに出演されていました。
ご本人は割と厳つい風貌だけど、演じている中島歩さんは“昭和の二枚目スター”にぴったりのお顔立ちだなぁと思って毎回感心しながら見てました^^;

志尊淳さんはイケメンすぎて小松さんの見た目とはだいぶ違ったけど(笑)、小松青年の純粋で真面目なところが伝わりました。でも最終回では、もう少し風格のある小松親分が見たかったかも。

山本耕史さんは文句なし。顔は全然似てないんですけどねー。そっくりな歌声に脱帽です。

伊東四朗さん演じる徹誠さんが、亡くなる前に「人生が外側から出来上がることもある」と言ってましたが、すごく考えさせられる言葉でした。
私はまだそれが腑に落ちるほど年を重ねてないので、共感はできないけど。
伊東さんくらいの年齢の方にそんなこと言われちゃうと、思わず「うっ」ってなります。

楽しいドラマを届けてくれた俳優の皆さん、スタッフの皆さん、お疲れさまでした。
またいつか、昭和の芸能界を舞台にしたドラマを見せてください。


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