柚木麻子の小説「BUTTER」が映す現代の孤独 女性たちの痛みと矛盾

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海外でも高く評価されている柚木麻子さんの小説『BUTTER』を読みました。実際の事件をモチーフにしながら、食や女性の生きづらさ、人との距離感をテーマに描かれた作品です。

登場人物たちはそれぞれに葛藤を抱えて生きていますが、個人的には、3人の女性が抱える孤独に引き付けられました。

周囲とほどよく関わる主人公・里佳。理想的な家族を求め続ける親友・伶子。そして、“友達”よりも“崇拝者”を欲しがる容疑者・梶井真奈子。

彼女たちの心の奥には、「つながりたいのに、つながれない」という矛盾が潜んでいます。その背景には、家族との確執や外見へのまなざし(ルッキズム)、他者への期待と恐れが複雑に絡み合っていました。

そんな彼女たちの孤独を軸に、社会との距離、個人の痛み、そして不器用な絆のかたちを探ってみたいと思います。

※ネタバレを含みますので未読の方はご注意ください

「BUTTER」について

2009年に発覚した首都圏連続不審死事件をモチーフとする、柚木麻子の社会派長編小説。

週刊誌記者・町田里佳が、男たちを手料理で魅了し殺害したとされる容疑者・梶井真奈子に面会を重ねる中で、彼女の言動に翻弄され、自身の価値観や人生が変容していきます。食と欲望、女性の生きづらさ、社会的規範への問いを描いた濃密な物語。

英国推理作家協会賞(ダガー賞)翻訳部門の最終候補作にノミネート。英国の文学賞「Waterstones Book of the Year 2024」「British Book Awards 2025」など3冠を達成。

37ヵ国での翻訳出版が決定し、累計発行部数が全世界で累計110万部を突破しました。

つながれない女性たちの孤独

『BUTTER』の登場人物たちは、誰かと本気でつながりたいと思いながらも、それがうまくいかずに苦しんでいます。

主人公の里佳は、誰とでもそれなりにうまく付き合える“ハブ”的な存在。でも、相手に深く踏み込むことにはどこか慎重で、自分の痛みにも蓋をして生きている。そこには、父の死に対する罪悪感が影響しているように見えます。

一方、完璧な女性に見える里佳の親友・伶子は、内面では不安と葛藤を抱えています。仮面夫婦だった両親への反発から、「理想的な夫婦」を築こうとしますが、夫の亮介は彼女の表面的な部分しか見ていない。伶子は、自分を見透かされることが怖くて、結果的に誰にも弱さを見せられないまま孤立していきます。

男たちの財産を奪って殺害した容疑で収監中の梶井真奈子は、母との確執を背景に、人との距離感に苦しむ人物です。料理教室に通うなどして“女友達”をつくろうとするものの、実際には“崇拝される存在”になりたいという気持ちが強く、対等な関係を築くことが難しい。

みんな、それぞれ違う理由で“ハブ”にはなれない。でも「つながりたい」という気持ちは、ちゃんとある。『BUTTER』は、そんな不器用な人たちの孤独を、あたたかく、そして鋭く描いている物語です。

生きることの手ざわりとしての「食」

本作では、「料理」や「食べること」が、人間関係や自己肯定感を語る重要なモチーフとして描かれています。

里佳は梶井真奈子と関わる中で、「食べること」に対して新たな視点を得ていきます。社会から“痩せていること”を求められ、食をおろそかにしてきた彼女が、梶井の作る料理を通して“美味しいものを味わう喜び”を知り、“自分の身体を大切にする”という感覚に目覚めていく。

一方で、物語の終盤には、梶井の部屋の冷蔵庫に腐った七面鳥が残されていたことが判明します。それは、彼女が料理教室の仲間たちを招いてクリスマス・パーティーを開くつもりだったという、逮捕前の計画の痕跡でした。

この七面鳥は、誰にも食べられることなく朽ち果てた「もてなしの残骸」であり、人とのつながりを求めながらもそれが叶わなかった梶井の孤独を象徴しています。

食は、自己肯定の手段であり、人とつながるコミュニケーションでもあり、“生きる”ことそのものでもあります。食に対する社会的な価値観が問い直されると同時に、「生きることに対する姿勢」が静かに語られます。

ルッキズムが引き起こす断絶と痛み

見た目に対する社会のまなざしも、登場人物たちの人間関係や自己認識に大きな影響を与えています。

特に主人公・里佳と恋人・誠の関係における“体型”への言及は印象的でした。痩せていた頃は「誇れる恋人」扱いだったのに、太ったことで「恥ずかしい」と言われる。でも仕事(取材)のためなら許せる。里佳に対する誠の言動から、ルッキズムの二重基準が浮かび上がります。

里佳は他人の視線に振り回されながらも、料理や人との関わりを通じて、自分自身の“身体”に対する価値観を少しずつ変えていきます。外見を“見られるためのもの”ではなく、“自分のためにあるもの”として再定義していくプロセスが描かれていて、とてもリアルでした。

一方、梶井真奈子もまた、ぽっちゃりした体型に対する社会の偏見に傷ついてきた女性です。「料理好きの太った女=悪女」というような報道があったことに、彼女は激しい怒りを抱いています。

見た目によって人との距離が決まってしまうこと。それが関係性の断絶や、孤独の一因になっていること。本作は、そんなルッキズムの残酷さを描いています。

異なる価値観の狭間で育まれた孤独

梶井真奈子は、父と母、それぞれのまったく違う価値観に囲まれて育ちました。

母・雅子は、合理性と自律を重んじ、家庭よりも社会との接点を欲した女性。「妻には家にいてほしい」という保守的な女性観の持ち主だった夫(梶井の父)は、子育ての“楽しい部分”にしか関与しませんでした。

そのため、雅子は否応なしに“父親”の役割まで担うことになり、娘たちに厳しく規律やマナーを教え込んできました。

その厳しさは、長女の真奈子にとっては“正しさの押しつけ”のように感じられたのではないでしょうか。実際、母娘の関係はうまくいかず、真奈子は無条件に自分を受け入れてくれる優しい父親に、心の拠りどころを求めるようになりました。

自由奔放に見える梶井真奈子の内面は、とても不安定で、逸脱を恐れています。だからこそ、強者の視点から“女性”を見下ろし、自分が選ぶ側に立とうとしていたのかもしれません。

「女嫌い」と男性優位社会への適応

梶井真奈子は、『BUTTER』の中で何度も「女が嫌い」と語ります。けれどそれは、自分自身の生きづらさと深く結びついた感情のように思えます。

彼女は、母親からの厳しいしつけや、異性との関係性、社会が求める“女らしさ”に苦しみながら育ちました。その結果、「男を凌駕しないことが女の価値」と信じるようになり、男性優位の価値観に自らを合わせることで、自分の存在を肯定しようとします。

彼女が語る“女神”とは、悩みや葛藤を見せず、すべてを包み込む理想的な存在。つまり、男性にとって都合のいい“完全な受容者”としての女性像です。男性と対等な関係を築くことを諦め、支配されることで安心を得ようとする、極端な適応のかたちです。

しかしその一方で、彼女は料理教室に通い、女友達を作ろうとします。その行動は、彼女が本当は“誰かと分かち合いたい”という願いを持っていたことの証。けれども、結局は誰にも心を開けないまま、孤独を深めていきます。

彼女の内面は豊かで、語りたいことも分かち合いたいこともあったのに、それを差し出す方法がわからなかった。

真奈子の“女嫌い”は、実は“女である自分”への嫌悪であり、“女として生きること”の痛みの裏返しでした。男性優位社会に適応することでしか自分の価値を見出せなかった彼女の姿は、現代に生きる多くの女性の葛藤を象徴しているようにも思えます。

“良き妻”伶子の悲しみと渇望

中盤以降、登場人物たちの不安定な関係が露呈し、徐々に崩れていく様子が描かれます。

伶子は“完璧な妻”を演じ続けることで、孤独を深めていきます。彼女がかぶっている仮面は、“偽りの夫婦”を演じる両親への嫌悪とトラウマに根ざすものです。

伶子は“良き妻”の仮面をかぶりながらも、「誰かに本当の自分を見てほしい」と心のどこかで願っている。けれど自分の弱さをさらけ出せば、見捨てられるかもしれない。その葛藤は、夫の亮介や、親友の里佳との関係にズレを生じさせます。

伶子の苦しみは、過去を否定し続けてきたことへの代償でもあり、完璧であろうとする努力の裏に潜む“誰にも理解されない自分”の悲しみでもあるのです。

終盤、伶子は他者からの評価に依存していた自分の姿を振り返り、亮介との関係を取り戻していきます。

恋人と別れた里佳に対して、伶子は「どうして選ばれるのを待たないといけないの?」と問いかけます。それは自分の過去を振り返る言葉でもあり、誰かの好意に依存することへの違和感、受動的な関係の限界を見つめる言葉でもありました。

「素直に気持ちを伝えればいい。待たずに、自分から関わることで、関係は生まれる」——伶子のこの言葉には、理解されることだけでなく、「理解しようとすること」の重要さが込められていると感じました。

里佳の後悔と“ケアする女性”への問い

主人公の里佳は、人の痛みに共感する力はあるけれど、深く踏み込むことにためらいを抱えている女性です。

中学生時代に経験した父の死は、彼女の心に強い後悔を残しました。その根底には、「もっと“良い娘”らしく振る舞えばよかった」「もっと父の機嫌を取ればよかった」という、女性に押しつけられる“ケアの役割”への葛藤があるように思います。父の死は、里佳にとって“解放”でもあり、“罪”でもある。その矛盾が、彼女の孤独をより複雑にしています。

里佳は恋人の誠や親友の伶子、友人の篠井らに惹かれながらも、完全には踏み込めない。彼らの問題に気づきながら、どこかで距離を保ってしまう。それは、里佳が自分自身の痛みと向き合いきれていない証でもあります。

物語の終盤、彼らの問題を自分が解決することはできないと悟った里佳は、「自分にできる唯一の仕事は、いざというときの逃げ場を作ることなのではないだろうか」と考えるようになります。

里佳の孤独は、誰かに寄り添いながらも、自分自身を見失わないように必死で踏ん張っている女性の姿そのものです。

登場人物たちは“完全な理解”にたどり着けない。でも、「知りたい」と願い続ける姿勢が、断絶の中にわずかな希望の灯りをともしている。わかり合えないことの切なさと、それでも心を向けることの尊さが、静かに胸に残ります。