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各話のあらすじ(ネタバレ有)
テニス界の人気選手ネヴィル・ストレンジと妻オードリーの離婚裁判は、連日マスコミを賑わせていた。オードリーは夫の不貞を主張し、ネヴィルは必死に否定するが、愛人ケイの証言や従者テイラーの供述が追い打ちとなり、形勢は一気に不利へ傾く。
ついにネヴィルは不貞を認め、離婚が成立する。彼は新たにアーサーという男を雇い、身辺の管理を任せるが、アーサーはネヴィルの持ち物を探るなど不穏な行動を見せる。
一方、ネヴィルのおばレディ・トレシリアンが暮らすガルズポイントでは、付添人メアリーが閉塞した日々を送りながら、遠く離れた地にいるトマス・ロイドとの文通だけを心の支えにしていた。トマスはトレシリアンに会いたいと願うが、彼女は過去の因縁からその申し出を頑なに拒み続ける。
トレシリアンは、対岸のホテルで客が騒ぎ、花火を打ち上げる様子に我慢ならず、なじみのリーチ警部を呼びつけて治安の悪化を訴える。リーチはホテルを調査するが、その行動の端々から、彼自身が精神的に不安定な状態にあることが示唆される。
ネヴィルはケイと再婚し、ハネムーンとしてガルズポイントを訪れる計画を立てていた。しかし、同じ時期にオードリーもトレシリアンから招かれ、8月に屋敷へ滞在することを決めていた。ネヴィルはオードリーに「友人としてやり直したい」と語り、ケイには「過去は忘れて仲良くしよう」と説得する。
8月になると、ガルズポイントには次々と人々が集まる。ネヴィルとケイ、そしてオードリーが揃い、屋敷には気まずい空気が漂う。さらに、メアリーが密かに招いたトマス、そしてトレシリアンの信頼する弁護士トレーヴも到着し、緊張は一層高まる。
トレシリアンは到着した客たちを一人ずつ自室へ呼びつけ、辛辣な言葉を浴びせる。ケイには「女は自立できない」と断じ、トマスには「来るなと言ったはずだ」と冷たく突き放す。
その頃、対岸のホテルに預けられていたトレーヴの保護児シルヴィアは、偶然にもリーチ警部が崖から身を投げる瞬間を目撃してしまう。
崖から身を投げたリーチ警部は奇跡的に一命を取りとめ、駆けつけたシルヴィアに「誰にも言うな」と固く口止めする。一方、ガルズポイントの屋敷では、オードリーとネヴィルの距離が再び近づきつつあることがケイの不安を刺激し、メアリーはトマスがかつてオードリーに恋心を抱いていた事実を知って心を乱していた。
追い詰められたトマスはレディ・トレシリアンの部屋を訪れ、農園の破綻を理由に金を求める。さらに、過去にネヴィルが関わった“ピーター・ジェームズ事件”を持ち出して彼女を脅すが、トレシリアンは毅然と拒絶する。
ケイの提案で、一行は対岸のイースターヘッドベイ・ホテルへ踊りに出かける。しかし、ネヴィルとオードリーが親密に踊る姿を目にしたケイは激しい嫉妬に駆られる。メアリーは、ケイがホテル客のルイ・モレルと親しげに話す様子を目撃し、彼を屋敷の夕食に招待する。
モレルの登場は火に油を注ぎ、屋敷の空気は一気に険悪になる。ケイとネヴィルの関係は決定的にこじれ、ネヴィルは衝動のままオードリーと階段で情事に及ぶ。その現場を目撃したケイは逆上し、「2人とも殺す」と叫ぶ。モレルはネヴィルに掴みかかり、騒動の末に屋敷から追い出される。
ネヴィルはトレシリアンに厳しく叱責され、ケイとの関係を立て直すよう命じられるが、ケイは怒りのまま部屋に鍵をかけ、ネヴィルを締め出す。居場所を失ったネヴィルは、再びホテルへ飲みに出かけてしまう。
翌朝、メアリーはバレットの異変に気づき、同時にメイドがレディ・トレシリアンの遺体を発見する。彼女は頭部を鈍器で殴られて死亡しており、呼び鈴は細工され、バレットのセンナ茶には睡眠薬が混入していた。
リーチ警部の捜査が始まり、屋敷の全員が容疑者として扱われる。レディ・トレシリアンは遺言状を書き換えており、ネヴィルの相続権が削除され、ケイの名が新たに加えられていたことが判明する。さらに、凶器と思われるネヴィルのゴルフクラブが浜辺で発見される。
捜査の過程で、従者マクドナルドの身元が偽りであることが暴かれ、彼がレディ・トレシリアンの夫マシューの隠し子であることが明らかになる。マクドナルドは殺害を否定するが、トレーヴは「彼こそが“起点”だ」と断じ、リーチは彼を逮捕する。
その夜、ケイはモレルと密会し、ネヴィルはオードリーと一夜を共にする。
マクドナルドが逮捕された翌朝、弁護士トレーヴが自室で窒息死しているのが発見され、ガルズポイントの屋敷は再び混乱に包まれる。現場にはカフスが落ちており、ボイラー室からは血の付いた高級ジャケットが見つかる。いずれもネヴィルの所有物であり、レディ・トレシリアン殺害に使われたゴルフクラブにもネヴィルの指紋が残されていた。
あまりに露骨な状況に、リーチ警部は「誰かがネヴィルを犯人に仕立て、絞首刑に追い込もうとしている」と考え始める。屋敷にいる者たちは皆、ネヴィルに恨みを抱く理由を持っており、疑いは全員に向けられた。
取り調べが進むうち、ケイとモレルが詐欺師カップルであることが明らかになる。2人はネビルから金を巻き上げようと計画していたが、ケイが本気で彼を愛するようになってしまったのだ。
やがてネヴィルの血染めのジャケットからオードリーの毛髪とおしろいが見つかり、トレーヴの枕にはオードリーの香水の香りが残っていたことがわかる。オードリーは「コンパクトをなくした」と主張するが、シルヴィアがそのコンパクトを彼女の化粧箱から見つけ出し、証言は揺らぐ。
捜査が停滞する中、シルヴィアが岩場でロープを見つけ、それが決定的な手がかりとなる。リーチが屋敷の外壁を調べると、窓の欄干が欠けており、犯人が外から侵入した可能性が浮上する。
リーチは「犯人は屋敷の外から戻ってきた」と確信し、ネヴィルの“泳ぎ”に注目する。彼は水泳の記録保持者であり、荒波のソルトクリークを泳ぎ切ることが可能な人物だった。
リーチは屋敷の庭でネヴィルとテニスをしながら、彼の“勝利への執着”を見抜く。そして、オードリーが離婚を成立させるためにケイのコンパクトをネヴィルの車に仕込み、不貞の証拠を捏造したことを指摘し、それこそがすべての“起点”だったと語る。
ネヴィルは自分を公衆の面前で辱めたオードリーに復讐するため、彼女を屋敷へ誘い込み、レディ・トレシリアンとトレーヴを殺害し、証拠を巧妙に操作してオードリーに罪を着せようとしていたのだ。
ネヴィルはホテルでアリバイを作った後、海を泳いで屋敷へ戻り、ロープを使って窓から侵入して犯行を遂行し、再び海へ戻ることでアリバイを完成させた。ところがマクドナルドが逮捕されてしまったために、オードリーに目を向けさせようと、予定にはなかったトレーヴ殺害を実行したのだった。
追及を受けたネヴィルは犯行を認め、オードリーに「これでお別れだ」と告げて連行される。ケイはモレルとともに屋敷を去り、メアリーは旅に出る決意を固め、トマスはロンドンへ向かう。マクドナルドは母の故郷ソルトクリークを後にし、オードリーは「愛ではなく飢えだった」と自らの過去を静かに振り返る。
最後に、後見人を失って不安に揺れるシルヴィアを、リーチはバレットとともに支えることを約束し、物語は幕を閉じる。
感想と解説(ネタバレ有)
映像化への期待と物足りなさ
原作は、わたしの好きな“心理的な緊張感”に満ちたミステリーで、映像化を楽しみにしていました。
映像は美しく、海辺の雰囲気や屋敷の佇まいは原作の世界観にぴったり。俳優陣の演技も安定していて、特にアンジェリカ・ヒューストンの存在感は圧倒的でした。
探偵役がバトル警視からリーチ警部に変わっていたり、シルヴィアが孤児として描かれていたり、原作には登場しないマクドナルドというキャラクターが加わったりと、原作との違いは多いものの、物語の骨子はだいたい原作通り。
クリスティ作品を現代的に再解釈しようとする制作側の意欲も感じられ、原作を知らない人には“大人向けの落ち着いたミステリー”として十分楽しめる仕上がりだったと思います。個人的には、前作『殺人は容易だ』よりも好印象でした。
それでも、原作の“心理的な緊張感”を期待していた身としては、どうしても物足りなさが残りました。
ここでは「原作と違うからダメ」という話ではなく、なぜ原作の面白さが薄れてしまったのかを、詳しく見ていきたいと思います。
キャラクターの“役割”が薄れてしまった
原作の登場人物たちは、それぞれが物語の歯車としてきちんと機能し、絶妙なバランスでストーリーを支えています。ところがドラマ版では、その役割が弱まり、別の方向へ置き換えられてしまった印象がありました。
“強い女性”になったオードリー
ドラマはオードリーが離婚訴訟を起こす場面から始まりますが、この裁判は原作にはありません。原作のオードリーは、「夫に浮気され、捨てられた女性」として登場します。
体が弱く、どこか頼りなく、同情せずにいられない一方で、状況的にはもっとも怪しく見えるオードリー。「彼女が犯人であってほしくない」という気持ちと、「でも疑わしい」という不安が同時に積み上げられていく、非常に繊細なキャラクターでした。
しかしドラマでは、現代的なアプローチで「自立した強い女性」として描かれているため、原作にあった“危うさ”が薄れ、心理的な緊張感が弱まってしまいました。
存在感が薄くなったトレーヴ
原作のトレーヴ弁護士は、鋭い観察力を持ち、誰よりも早く真相に近づく人物です。“哲学者”であり、そして最初の“犠牲者”でもあり、彼が語る「ゼロ時間」という言葉は物語のテーマそのものを象徴していました。
ところがドラマでは、彼は犯人に気づくどころか、トレシリアン一族の秘密を守るために捜査に協力せず、結果的に無実の人物を逮捕させてしまいます。
この描き方では「ゼロ時間」という言葉の重みが生まれず、物語の中心にあるはずのテーマがはっきり伝わらなくなってしまいます。
ネヴィルから“危険な匂い”が消えた
原作のネヴィルは、爽やかで誰からも好かれるスポーツマンとして描かれています。その“好青年ぶり”が、犯人だと判明したときの大きな衝撃につながっていました。
特に重要なのが、少年時代の“事故に見せかけた殺人”のエピソードです。原作では、この出来事がネヴィルの異常性を示し、トレーヴが真相に気づく手がかりにもなっています。
ところがドラマでは、彼の異常性がほとんど描かれず、ただの「気弱で優柔不断な夫」に見えてしまう。そのため、彼が綿密な計画を立てる人物には見えず、「ゼロ時間へ」というタイトルが持つ印象とも噛み合わなくなっていたように感じました。
ミスリードや伏線の崩壊
原作『ゼロ時間へ』の魅力のひとつは、読者の感情を巧みに利用したミスリードや伏線にあります。ところがドラマ版では、その仕掛けが十分に活かされていませんでした。いくつか具体的に見ていきます。
「提案したのは誰か?」という疑いが消えてしまった
原作では、ガルズポイント行きを「誰が言い出したのか」がひとつの重要な謎になっていました。
ネヴィルが「自分が提案した」とわざわざ口にすることで、読者は「いや、実はオードリーなのでは?」と疑い始める。この小さな疑問が、物語の緊張感を支える仕掛けになっていました。
しかしドラマでは、ネヴィルがオードリーを誘う場面がはっきり描かれているため、オードリーを疑う余地がなくなり、原作のミスリードが機能しなくなっています。
関係性の改変がもたらした不自然さ
原作では、レディ・トレシリアンがオードリーを好み、逆に新妻のケイを受け入れないという関係性が最初から明確に描かれています。オードリーが離婚後もガルズポイントを訪れるのは、レディ・トレシリアンとの親しい関係性が続いていたからです。
しかしドラマでは、原作にない“隠し子”の設定が加わったことで、レディ・トレシリアンは過去の傷を抱え、人付き合いを避ける人物として描かれています。そのためオードリーとの関係が弱まり、彼女が屋敷を訪れる理由がやや不自然に見えてしまいました。
同時に、ケイが屋敷で孤立していく展開にも説得力が出にくくなり、原作で丁寧に描かれていた人間関係の構図が薄れてしまったように思えます。
シルヴィアの冤罪エピソードがない
ドラマでは、シルヴィアはトレーヴ弁護士に保護された孤児として登場しますが、原作ではバトル警視の娘として物語の前半に登場します。
彼女は学校で盗みの疑いをかけられ、校長の圧力に負けて“やっていない罪”を認めてしまうのです。バトル警視はすぐに娘の心理を読み解き、冤罪を晴らします。
この出来事は終盤の重要な伏線になっていて、バトル警視はこの経験を思い出すことで、罪を認めたオードリーが実は無実だと気づくのです。
「ゼロ時間」の“起点”が変わってしまった
トレーヴ弁護士が語る「ゼロ時間」とは、殺人計画が実行される“その瞬間”を指します。この物語では、オードリーが絞首刑になる瞬間こそが、犯人が目指した「ゼロ時間」でした。
レディ・トレシリアンの死を「ゼロ時間」だと思わせる構造は、原作もドラマも同じですが、重要なのは計画が動き出した“起点”のほうです。ドラマでは、オードリーが離婚裁判でネヴィルの不貞を暴いたことが、ネヴィルの怒りの出発点として描かれています。
しかし原作ではもっと複雑で、オードリーは結婚生活に恐怖を感じ、トマスの兄・エイドリアンと駆け落ちしようとしていました。これが原作における本当の“起点”です。
読者はずっと「ネヴィルが浮気してオードリーを捨てた」と思い込んでいましたが、実は捨てたのはオードリーのほうだった、という真実が終盤で明かされます。
ネヴィルは自尊心を守るために「自分が浮気して彼女を捨てた」と偽り、周囲を騙していたのです。そしてその裏で、着々とオードリーの抹殺計画を進めていました。ここに原作ならではの深い心理ドラマがありました。
地形改変で弱まったトリックの必然性
原作のトリックは派手ではないものの、さまざまな要素が精密に噛み合った仕掛けとして成立していました。ところがドラマ版では、この整合性が崩れてしまっています。
原作では、ネヴィルの寝室の窓の下はすぐ崖で、彼はロープを垂らしておき、深夜にフェリーで対岸へ渡ったあと川を泳いで戻り、ロープで崖をよじ登って部屋に入る――というアリバイ工作を行います。
さらに、その姿を偶然目撃した男の証言がオードリーの冤罪を晴らす決め手となり、終盤のあざやかな逆転につながります。
一方ドラマでは、屋敷が崖から離れているため、この動きが成立しません。目撃者のエピソードもなくなり、にもかかわらずロープだけは登場し、犯人はなぜかそれを海に捨ててしまいます(原作では屋敷の納戸に戻しています)。
その結果、海岸でロープが見つかるという偶然が、「犯人は海を泳いで戻った」というリーチ警部の推理を導くための都合のいい出来事に見えてしまいました。
オードリー像の改変が物語を平坦に
物語が平凡に感じられた最大の理由は、やはりオードリーの描き方が大きく変わってしまった点にあると思います。
原作のオードリーは、周囲から「まるで幽霊のよう」と形容されるほど物静かで内向的。つかみどころがなく、読者は同情しながらも「もしかして犯人なのでは」と疑ってしまう。
一方、本作のオードリーは、夫の浮気を許さず離婚裁判を起こし、真実を暴くために証拠のねつ造まで行う“強くて自立した女性”として描かれています。
現代のドラマではよくある方向性で、わたしも強い女性が描かれることには大賛成です。過去のフィクションで女性が受け身に描かれすぎていた反動として、こうした流れが生まれたのも理解できます。
だけどその結果、原作にあった不安定さが薄れ、「オードリー犯人説」が最初から成立しにくくなってしまいました。ミステリーとしては、ここが最も大きな痛手でした。
強い女性像そのものは素晴らしいけれど、“強さ”を単純に描いてしまうと、キャラクターの奥行きが浅くなり、物語の緊張感も弱まってしまいます。
オードリーは、「表向きは弱く見えるけれど、実は意志が強く勇敢な女性」という描き方もできたはずです。そう考えると、今回の改変は現代的ではあるものの、物語の魅力を少し削ってしまったように感じました。
現代的な再解釈と失われた原作の魅力
ここまでBBC版ドラマを原作と照らし合わせて見てきましたが、わたしが感じた物足りなさは、次の4点に集約されるように思います。
- キャラクターの均質化
原作にあった個々の“クセ”が薄れ、全員が理解しやすい人物になってしまった。 - ミスリードや伏線の削除
心理的な仕掛けが機能せず、視聴者の受ける印象が単調になった。 - 心理的サスペンスの喪失
原作の「疑いたくないのに疑ってしまう」ような感情の動きが生まれにくくなった。 - トリックの必然性の弱まり
地形の変更とロープの扱いが噛み合わず、推理の説得力が下がってしまった。
改変にはそれぞれ理由があり、現代的な再解釈を試みた結果であることは想像がつきますし、そうした制作側の姿勢は評価したいと思っています。特に、心に傷を抱えるリーチ警部と、孤独な少女シルヴィアが心を通わせるラストシーンは、深い余韻を残しました。
わたしはクリスティ作品が大好きですが、物語が「結婚してハッピーエンド」に落ち着くことが多い点には、どうしても時代の制約を感じてしまいます。昭和世代のわたしでさえそうなのだから、若い視聴者にはさらに違和感があるかもしれません。
緻密な構成で成り立つクリスティ作品を作り直すのは、決して容易ではないはずです。だからこそ、今回の挑戦そのものに価値があったと感じました。
これからも、クリスティ作品の新しい映像化を楽しみにしたいと思います。
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