映画「愛を読むひと」感想と解説|ハンナの秘密が意味するもの

映画「愛を読むひと」感想と解説

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どうも、夏蜜柑です。
映画「愛を読むひと」の感想と解説です。

アカデミー賞5部門にノミネートされ、ケイト・ウィンスレットが主演女優賞を受賞した作品です。タイトルから受ける印象で「ラブストーリー」だと勘違いし、今まで敬遠してきたのですが、見てみるとまったく違いました。

深淵なテーマを扱った重厚な作品で、さまざまなことを考えさせられました。
まだ見ていない方はこの記事を読まずに、ぜひ作品を見てください。おすすめです。

※この記事はネタバレを含んでいます。また、作品の解釈は個人的なものです

作品概要

  • 製作国:アメリカ/ドイツ
  • 上映時間:124分
  • 公開日:2008年12月10日(アメリカ)/2009年6月19日(日本)
  • 原題:The Reader
  • 監督:スティーブン・ダルドリー
  • 脚本:デヴィッド・ヘアー
  • 原作:ベルンハルト・シュリンク『朗読者』
  • 音楽:ニコ・マーリー

あらすじ

1958年のドイツ、15歳のマイケルは21歳も年上のハンナ(ケイト・ウィンスレット)と恋に落ち、やがて、ハンナはマイケルに本の朗読を頼むようになり、愛を深めていった。ある日、彼女は突然マイケルの前から姿を消し、数年後、法学専攻の大学生になったマイケル(デヴィッド・クロス)は、無期懲役の判決を受けるハンナと法廷で再会する。(シネマトゥデイより)

キャスト

  • ハンナ・シュミッツ……ケイト・ウィンスレット
  • マイケル・バーグ……レイフ・ファインズ
  • 少年時代のマイケル……ダフィット・クロス
  • ロール教授……ブルーノ・ガンツ
  • ローゼ・マーター……レナ・オリン
  • ユリア(マイケルの娘)……ハンナー・ヘルツシュプルング
  • カーラ(マイケルの母)……ズザンネ・ロータ

感想と解説

なぜドイツが舞台なのに英語なのか

この映画の原作は、ドイツの作家で法学者でもあるベルンハルト・シュリンクの『朗読者』(1995年刊)です。わたしは原作未読ですが、いくつか気になる点があったので、映画を見た後で少しだけ調べました。

物語の舞台はドイツです。
しかし劇中の会話はすべて英語で、登場人物の名前も英語読みになっています(ミヒャエル→マイケルなど)

「なぜドイツなのに英語?」と不思議に思ったのですが、監督のインタビューによると、これは原作者の意向だそうですね。

「英語で製作するのはシュリンクの希望だった。それにこのテーマはドイツに限ったことではなく、他の国の文化にも共鳴する普遍的なものだから、英語でいいと思った」

しかも登場人物が喋っているのはドイツ語訛りの英語のようで、その理由についても以下のように語っています。

「それはデビッド・クロスのアクセントにみんなが合わせた結果だ。全員同じアクセントに統一したかっただけ。イギリス人がデビッドに合わせるほうが簡単だからね」

わたしは英語もドイツ語もわからないし、英語がドイツ語訛りかどうかなんてもっとわからないので、特に気になりませんでしたが……内容的には、微妙なところですね。

序盤の伏線

1958年、ベルリン。
15歳の少年マイケルは、美しく謎めいた女性ハンナと出会います。

親子ほどに年の離れた2人でしたが、すぐに体の関係を結びます。若いマイケルは最初のうちこそ性愛に溺れていたのですが、やがてハンナをひとりの女性として真剣に愛するようになります。

しかし、ハンナは重大な秘密を隠し持っていました。

序盤にはハンナの秘密を示唆する場面が散りばめられています。
たとえば、病み上がりのマイケルがハンナの部屋を訪ねた場面。

「退屈でした。何もできず、本も読めなかった」

マイケルの言葉に大した意味はありません。闘病中の屈託を表現しただけ。
しかしハンナはそれに対して強いまなざしを返します。

中盤で明かされるのですが、実はハンナは文字が読めないのです。
ハンナの秘密のひとつは、〝非識字者〟であることでした。

彼女にとって「本が読めない」ことは日常でした。
しかし、マイケルはそれを「退屈」だと表現したのです。

ハンナは非識字者であることに異常なほど羞恥心を持っている女性です。
自分の人生を「退屈」だと貶められたように感じたのかもしれません。

さらに、マイケルと喧嘩をしたハンナが言い返す場面。

「謝るなんて、そんな必要は誰にもないわ。戦争と平和よ、坊や」

このセリフは、後半で明かされるもうひとつのハンナの秘密を示唆していると思われます。

マイケルの朗読が与えたもの

ハンナは、セックスをする前にマイケルに〝本を朗読する〟ことを命じます。

ハンナに「読むのがうまい」と褒められたこともあって、マイケルは「オデュッセイア」や「戦争と平和」「ハックルベリー・フィンの冒険」「チャタレイ夫人の恋人」「タンタンの冒険旅行」など、さまざまな本を彼女に読んで聞かせます。

特にホメロスの「オデュッセイア」は何度も登場する本です。英雄オデュッセウスが長い漂流生活ののち帰国するという冒険譚で、この先の2人の苦難を暗示しているようにも思えます。

劇中の本を読むマイケルが、すごく楽しそうなんですよね。
それは朗読の後の〝お楽しみ〟のせいばかりではなかったと思います。

このときのマイケルはまだハンナが非識字者であることに気づいてはいないのですが、物語に触れるたびに彼女の世界に新たな光が灯されるのを、彼は無自覚に感じ取っていたのではないか。

文字が読めない彼女は、これまで感覚だけを頼りに生きてきたと思うのです。道しるべ(文字)の存在しない真っ暗な闇の中を、おそるおそる手探りで進むように。

本を読むということは、自分がいるこの世界を客観的に見るということです。
世界中のありとあらゆるものが自分と繋がっていることを知るということです。

しかもそれを教えてくれたマイケルは、ハンナへの愛で溢れていました。
これほど理想的な教育はないのではないでしょうか。

ハンナのもうひとつの秘密

精神的にも肉体的にも濃密な時間を共有し、2人は深く愛し合うようになります。
しかし、ハンナの秘密が2人を引き裂いてしまいます。

ハンナはトラムの車掌をしていました。
真面目な仕事ぶりが認められ、事務員への昇進が決まります。

しかし非識字者のハンナには、事務の仕事はできません。
苦悩した末に、ハンナはマイケルに何も告げずに引っ越してしまいます。

突然の別れは、マイケルの心をどれほど傷つけたことでしょう。

8年後、法学部の学生となったマイケルは、ゼミ研究で傍聴した裁判でハンナと再会します。8年前の辛い別れをようやく過去のものとして乗り越えられそうになっていたときに、最悪の形で再会してしまうのです。

ハンナは、ナチスの戦犯として被告席に座っていました。
彼女は戦争中、強制収容所の女性看守をしていたのです。

ハンナはヒトラーに傾倒していたわけでも、ナチスを支持していたわけでもありません。親衛隊が看守を募集していると知って、〝自分にもできる仕事〟に就きたくて入隊したにすぎません。

昇進が約束されていたシーメンスを辞めたのは、おそらくトラムの時と同じ理由だと思われます。非識字者であることを周囲に悟られないために、転職せざるを得なかったのでしょう。

罪悪感のないハンナ

ハンナは裁判で、収容所の囚人を選別してアウシュビッツに送っていたこと、敵襲を受けた際、300人の囚人たちを教会に閉じ込めたまま焼死させたことについて、故意だったのかどうかを問われます。

ほかの女性看守たちは、みな関与を否定します。
しかしハンナは正直に認めてしまう。

この裁判でのハンナの発言は衝撃的です。
彼女の言葉にはわたしたちが期待する〝罪悪感〟が見られないからです。

「でも新しい囚人が次から次に送られてきて、古い囚人を送り出さねば収容しきれません」

「囚人を監視するのが仕事なのに、彼らを逃がすなんて」
「私たちには責任があるんです」

彼女にとっては看守の仕事を全うしたに過ぎなかった。
裁判の場で、事実を正直に語っただけなのでしょう。

そして非識字者である彼女には、裁判のきっかけとなった元囚人の書いた著書や起訴状を事前に読み、自己保身のために戦略を立てることなど不可能でした。

生真面目で奸智に乏しいハンナは、法廷で言い訳をすることなど考えもつかなかったのかもしれません。

羞恥心に抗えない2人

マイケルはハンナが犯した罪を知ったことで、さらに深く傷つきます。
愛する人の過去の罪とどう向き合うかも、この作品が問うテーマのひとつです。

マイケルは教授や同じゼミの学生からハンナとの関係を聞かれるのですが、最後まで知らないフリを通します。ここには、マイケルの〝羞恥心〟が見え隠れしています。

ハンナはほかの被告たちから責任を押しつけられます。
彼女たちは全員で考えて書いた「偽の報告書」を、責任者であるハンナが書いたと証言するのです。

ハンナは当初否定するものの、筆跡鑑定すると言われ紙とペンを目の前に置かれたとたん、自分が書いたと認めてしまいます。

このとき、マイケルは初めてハンナが非識字者であることに気づきます。
同時に、彼女が羞恥心ゆえにその事実を必死に隠していることも。

ハンナが非識字者であることを証言すれば、ハンナの罪は軽くなる。
けれど、ハンナはそれを望んでいないのではないか。

思い悩むマイケルに、教授は「感情よりも行動を優先しろ」と諭します。

しかしマイケルは結局、ハンナに会うことも証言することもできませんでした。
ハンナには殺人罪で無期懲役、ほかの女性看守たちは殺人幇助で懲役4年の判決が下されます。

マイケルもハンナも、〝羞恥心〟に抗うことができませんでした。

朗読テープとハンナの手紙

1976年。マイケルは離婚したことを伝えるため、幼い娘と共に実家を訪れます。

自室で「オデュッセイア」を見つけたマイケルは、自分が朗読した声をテープに録音し、服役中のハンナに送ります。その日から4年間、マイケルはたくさんの本の朗読テープをハンナに送り続けます。

自分に郵便が届いたことを知ったときのハンナの驚いた表情から、彼女には誰からの便りもなく、刑務所でも孤独な生活を送っていることがわかります。

やがて、ハンナはマイケルから届く朗読テープと本の文章を照らし合わせて独学で文字を学び、マイケルに手紙を出すようになります。

拙い文字で綴った短い手紙を、何度も何度も。
けれど、マイケルは一度も返事を出しません。

マイケルが朗読テープを送ったのは、ハンナを想ってというよりも自分のためだったのだろうと思います。

〝羞恥心〟に抗えず、裁判でハンナを救えなかった〝罪悪感〟。
あるいは、ハンナとの美しい過去の思い出に浸りたいという自己欺瞞。

マイケルの思いは一方的なもので、ハンナとの交流を望んでいたわけではなかったのでしょう。

ハンナが手に入れたもの

1988年。ハンナの仮出所が決まります。

ハンナには身寄りがなく、刑務所はハンナが唯一連絡を取っているマイケルに「身元引受人になってほしい」と依頼します。

出所前に面会するハンナとマイケル。年老いたハンナはマイケルの中に昔と変わらない愛を見いだそうとしますが、そこにはもう愛はありませんでした。

マイケルは出所後の住居や仕事について事務的に語った後で、「過去についてどう考え、どう感じているか」と訊ねます。ハンナの答えは簡潔でした。

「どう感じようと、どう考えようとも、死者は生き返らない」

ハンナが多くの本を読み、教養を身につけたことがわかる言葉でした。

彼女は自分が犯した罪の重さを知り、死者に思いをはせて敢えて「自分の言葉を口にしない」ことを選んだのです。かつて無知であるがゆえに、躊躇なく残酷な事実を答えることができたハンナは、もう存在しません。

出所の日、ハンナはマイケルが迎えにくる前に首を吊って死にます。

ハンナの死

彼女に死を選ばせたものは、はたして何だったのか。

マイケルに愛されていないとわかって――もうこの世のどこにも自分を愛する人がいないと知って、絶望したのでしょうか。

わたしにはどうしてもそう思えません。
ハンナはこの世でできることをやり遂げて死んでいったように思えるのです。

それは死者に思いをはせて自らの罪を受け入れることと、罪を犯す原因ともなった〝羞恥心〟を克服して非識字と向き合うことではなかったでしょうか。

ハンナは以前、非識字者であるという秘密を抱えるがゆえに計り知れない孤独を抱えて生きていました。刑務所で文字が読めるようになっても孤独であることにかわりはありません。

けれどもその孤独は、かつての孤独とは違うと思うのです。

もう彼女は闇の中の混沌とした世界を手探りで歩いてはいなかった。
世界と繋がっている自分、過去(死者)と繋がっている自分を認識していたと思うから。

そしてハンナが閉ざした未来は、マイケルに引き継がれていきます。

マイケルが選んだ未来

1995年。マイケルは娘のユリアと共にハンナの墓を訪れます。

マイケルは他人に対して心を開くことができなかったこと、いつも距離を置いていたことをユリアに打ち明けます。そしてこれまで誰にも話すことができなかったハンナとの過去をユリアに語り始めます。

マイケルもまた〝羞恥心〟にとらわれて逃げていた人でした。

ハンナとの関係をユリアに語ることは、マイケルがハンナと同様に〝羞恥心〟を克服し、ハンナが閉ざした未来へ向けて変わろうとしていることを意味しています。

ここで序盤のシーンに戻りますが、15歳のマイケルが受けている国語の授業で、教師が「オデュッセイア」の説明をする場面がありました。

「西欧文学の核となるのは“秘密性”だ。登場人物がどういう人間か、作者はある時は意地悪く、ある時は深い目的のために情報を明かさない」

これは「オデュッセイア」の説明であると同時に、この映画そのものを暗示する言葉でもありました。

この物語の主人公はマイケルです。
つまりマイケルが語った物語であり、マイケルが見た真実の一面でしかありません。

ハンナには、ほかにも秘密があったかもしれないのです。

ハンナが「ロマ」だった可能性

原作によると、ハンナはヘルマンシュタット(現在のルーマニア・シビウ)出身だということが明示されています。

ルーマニアには「ロマ」と呼ばれる少数民族が存在します。

ロマ(Roma)
〔自称で、人間の意。ジプシーと呼ばれてきた〕
ヨーロッパを主に、各地に散在している少数民族。原住地はインド北西部とされる。数家族から十数家族で移動生活を送ってきたが、現在ではその多くが定住。ロマーニー語を話し、音楽をはじめ、独自の文化をもつ。ナチスによる絶滅政策など、各地で厳しい迫害を受けてきた歴史をもつ。(大辞林 第三版より)

ロマは文字の文化を持たない民族です。
文字を持たないということは、過去の歴史(記録)を持たないということ。

ロマの人々を扱った映画を撮り続けているトニー・ガトリフ監督は、「ロマは今この時がすべてで、過去とか未来という概念を持ちません」と語っています。

もしハンナがロマだったとすると、彼女は裁判で「過去の罪を裁かれる」とは思っていなかったのかもしれない。非識字者であることを隠してきたのも、出自を知られることを恐れたからかもしれない。

そう考えるといくつかの疑問が解ける気もしますが……本当のところはわかりません。

ハンナの秘密が意味するもの

この物語におけるハンナは、ナチス政権下でのドイツ国民を暗示しています。

ナチス政権を選んだのはドイツ国民でした。
選んだ当時は、誰もこうなることを「読めなかった」。

ナチスが独裁政治を推進して残虐な全体主義を敢行しても、その意味を「理解できない」人がほとんどだった。

劇中で、マイケルと同じゼミの学生が教授に対して憤るシーンがあります。

「6人の女を法廷に並べ“悪人は彼女らだ”と。だが彼女らだけが悪人?犠牲者がたまたま本を書いたからだ。いくつ収容所が?誰がそれを知ってた?何を知ってた?皆知ってた。親に教師たち。だがそれは問題じゃない。なぜ見て見ぬふりを?それで生き続けたなんて。収容所は何千とあり、誰もが知ってたはずだ」

ハンナは裁判で裁かれ、文字を獲得したことによって罪の意識に目覚めました。

裁かれなかった人たちは、いったい誰に裁かれるのでしょう。
誰に裁く権利があるのでしょう。

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