「坂の途中の家」第3話あらすじ感想|誰かの常識に囚われて生きることの辛さ

連続ドラマW「坂の途中の家」

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WOWOW連続ドラマ「坂の途中の家」第3話のあらすじと感想です。

すべてのシーンが突き刺さりますね…。

ひとつひとつは取るに足らないことで、受け流せばいいこと。でもそれができない人もいる。我慢して飲み込む回数が増えるにつれ、知らず知らず心や体に負荷がかかっていく。

里沙子が水穂と則子の関係に自分と富路子を重ねていたように、わたしも自分と母を重ねてしまいました。最近ドラマなどで母と娘の不仲が描かれることが多くなり、自分が「異常」ではないと思えてきたことにホッとさせられます。

第3話のあらすじ(ネタバレ有)

夫・陽一郎(田辺誠一)が文香(松本笑花)と共に実家に泊まり、久しぶりに休息の時間を過ごした里沙子(柴咲コウ)。しかし陽一郎が泊まりがけで同窓会に参加したことを知って驚く。陽一郎は事前に伝えたと主張し、キャパオーバーなのだと指摘する。

里沙子は評議室で自分だけがほかの裁判員と違う感想を持っていることに自信をなくす。六実(伊藤歩)からも「被告人と自分を重ねているのでは」「あなたと安藤瑞穂は違う」と指摘され、ますます不安に陥る。

里沙子の母・富路子(高畑淳子)が突然訪れ、里沙子の暮らしぶりに何かと文句をつける。富路子の小言や同情に嫌気がさした里沙子は「何もかも順調で、私は満足している」と嘘をついてしまう。

義母・里子(風吹ジュン)から「陽一郎が同窓会に行ったのは会いたい人がいたからではないか」と言われ、疑心暗鬼に陥る里沙子。里沙子は「遅くなるときは連絡してほしい」と陽一郎に伝えるが、逆に常識を疑われてしまう。

裁判では安藤水穂(水野美紀)の実母・則子(長谷川稀世)が証言をする。結婚も出産も事後報告で、結納も式も挙げず古い賃貸マンションに住む娘夫婦に対し、則子は「非常識」「かわいそう」と語る。里沙子は自分と実母との関係を重ね、不快感を覚える。

陽一郎の浮気を疑った里沙子は、水穂がやったように陽一郎のスマートフォンを盗み見てしまう。

第3話の感想(ネタバレ有)

陽一郎や義母・里子の無神経な言葉に傷つき、どんどん追い詰められていく里沙子。そりゃあビールを飲みたくもなるでしょう。

陽一郎の言動はいちいち腹が立つのですが、わたしがモヤッとしたのは、買い物の場面。買い物かごを持つのも商品を選ぶのも陽一郎。里沙子は陽一郎の後をついて歩くだけでした。

でも、毎日ご飯を作っているのは里沙子です。それなのに、里沙子は食材を選ぶ権利を与えられていないのです。

自分で選ぶ権利を奪われ、「キャパオーバー」だとか「おかしい」だとか、いちばん近くにいる人に毎日そんな言葉を投げられたら、誰でも自信を失います。

ましてや子育て中で、里沙子は外に出る機会も少ないのです。自分よりも陽一郎の「常識」のほうが正しいと思い込んでしまっても不思議じゃない。

陽一郎が醸し出す「嫌な感じ」は、原作よりもずっと顕著でわかりやすい演出になっています。映像は文章と違って全部見えてしまうので、どうしても見たままをストレートに受け取ってしまいますね。

原作のクライマックスは里沙子が〝ある真実〟に気づく場面だと思っているのですが、この方向で進んでいるドラマが何をクライマックスにもってくるのか、とても興味があります。

ネタバレになってしまうので、そのあたりの詳しいことは最終回の感想で書きたいと思います。

里沙子(水穂)が抱える問題は、もっと前から存在していました。彼女は、親の「常識」から逃げようともがいていたのです。

「自分じゃない誰かの常識に囚われて生きるのは、辛いですよね。彼女は必死で逃げようとしていたんだと思います。だけどまた、捕まってしまう」

水穂の関係者のひとりが語っていた言葉は、わたし自身にも突き刺さりました。幼い頃から植え付けられた親の「常識」は、そう簡単には消えてくれません。

口では「満足している」と反論しても、心の中では「標準に満たない」という思いが拭えず、親に認めてもらうために親の常識に合わせようと必死になってしまう。

結婚も出産も、ただ祝ってほしいだけ。喜んでほしいだけ。だけど、母親たちは娘の選択を「評価」することを優先するのです。

常に誰かと比較され、評価されることの悲しみは、わたしにもよくわかります。それが嫌で、親を遠ざけてしまう気持ちも苦しいほどわかります。

水穂の母・則子は、本当に水穂を思って泣いたのでしょうか。許してほしかったのは、罪を犯した娘ではなく、自分だったのでは? わたしには、彼女が自分の正当性を主張したようにしか見えませんでした。

主人公の里沙子だけでなく、裁判員の六実や裁判官の朝子が置かれている状況も辛い。

でも彼女たちと同じ鬱屈を抱えている人は多いのでしょうね。この作品のおかげで「出産」や「子育て」に対する認識がガラッと変わり、見方も変わりました。

「出産」や「子育て」の経験がない多くの人にも、見てもらいたいと思う。

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