「坂の途中の家」第6話(最終話)あらすじ感想|どこかにいる誰かに届く言葉

連続ドラマW「坂の途中の家」

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WOWOW連続ドラマ「坂の途中の家」最終話(第6話)のあらすじと感想です。

ついに下される水穂への判決。
そして里沙子の決断。

裁判に関わった人たちの、それぞれの思い。
少しだけ強くなった里沙子が、最後に笑ってくれてよかった。

第6話(最終話)のあらすじ(ネタバレ有)

里沙子(柴咲コウ)はかつて子育てに苦しみ、文香(松本笑花)を危険な目に遭わせてしまったことを思い出す。里沙子は母親失格だと自責の念にとらわれ、陽一郎(田辺誠一)に文香を預けて家を出る。陽一郎は自分が里沙子を苦しめてきたことを、児童福祉司の新庄(西田尚美)の言葉によって気づかされる。

裁判では最終弁論が行われていたが、絶望的になった里沙子は意見を述べず、体調不良を理由に途中退席する。里沙子が泊まるホテルに母・富路子(高畑淳子)が現れ、実家に戻るよう里沙子を説得。里沙子は母もまた子育てに悩んでいたこと、里沙子を貶めることでしか愛せなかったことを知り、裁判所に戻る。

六実(伊藤歩)は可愛がっていた亜子の母親と言い争いになり、「子どもがいない女に何がわかる」と詰られる。和貴(松澤匠)は妻・牧子(玄理)が複数のサラ金から金を借りていることを知りショックを受け、朝子(桜井ユキ)は夫の忠宏(水間ロン)から「このままじゃ一緒に暮らせない」と告げられる。

里沙子は裁判員たちの前で自分の身に起きたことを語り、水穂(水野美紀)の気持ちを代弁する。水穂は懲役10年を言い渡されるが、裁判長の青沼(利重剛)は水穂が抱えた苦悩や孤独に理解を示す言葉を述べる。

朝子は仕事を続けることを決め、和貴は不倫関係を終わらせる。六実は里沙子の言葉を聞いて自らの考えを改め、里沙子は陽一郎と共に迎えにきた文香を抱き締める。

第6話(最終話)の感想(ネタバレ有)

最後に里沙子が自分の思いを言葉にできたこと、水穂が感情を露わにして涙を流せたことに救われました。

里沙子は水穂に救われ、水穂は里沙子に救われたんですね。水穂が事件を起こす前にふたりが出会えていたら、どんなによかっただろうと思わずにいられません。

でも、自分の身近な場所に、自分と同じような境遇で、自分と同じような経験をして、自分と同じように悩んでいる人が、果たしてどれくらいいるのか…出会う確率は、極めて低い。

こういうドラマがもっと増えるといいと思う。そしてドラマを見たたくさんの人が、自分の悩みや経験を言葉にして「どこかで苦しんでいる誰か」に伝えられたらと思う。

こうやって見ると第三者(新庄さん)の存在のありがたさがよくわかりますね。わたしも両親との間に誰か入ってくれないかと、何度思ったことか。

陽一郎や母親が里沙子に与える暴力は、柔らかなナイフのようでした。相手にも自分にも〝凶器〟には見えない、柔らかなナイフ。そのナイフで何年ものあいだ毎日刺され続けていた里沙子は、どれほど傷ついていたことか。

「相手を貶めて、傷つけて支配して、そうすることで自分の腕から出ていかないようにする。そういう愛し方しかできない人がいる。こんな簡単なことにどうして気づかなかったのか」

里沙子が裁判員たちに語っていたこのセリフに、私自身心の中で何度も頷きました。

わたしが気づいたのは30代の半ばくらい。そのときは本当に目からうろこでした。わたしにとって母は母以外の何者でもなかったけれど、母にとってわたしは娘であり自分自身であり憎むべき存在でもあった。

母は自分の人生を守るために、母とは違う選択をして幸せになろうとするわたしを認めることができなかったのでしょう。わたしは長いあいだそのことに気づかず、母の劣等感を刺激し続けていたのだと思います。

気づいたからといって、母との関係が大きく変わることはありません。相変わらず、柔らかいナイフで刺されます。

ただ、母が弱い存在だと気づけたことで、わたし自身は少し楽になれました。たぶん里沙子も同じようにホッとしたんじゃないでかなぁ。

六実や朝子、和貴たちも、裁判を通してそれぞれの問題に向き合っていました。

わたしは子どもがいないので六実と同じ立場ではあるのですが、心情的には里沙子のほうが近く感じられました。六実と違って「母親になりたい」と思ったことがないからだと思います。

だから亜子の母親の「子どもがいない女に何がわかるんだよ!」という言葉にもさほど怒りは感じませんが、子どもを産みたいのに産めない女性には耐えがたい言葉だと思います。

この言葉をぶつけられたら、たぶんほとんどの子どもを産んでいない女性は口を閉ざしてしまいます。真実だからこそ、何も言えなくなってしまう。

わたしはこのドラマの感想を書くとき、自分が子どもを産んでいないことで、いつも緊張しながら書いていました。

経験のないわたしが何を言っても空論なのでは、とか。
的外れなことを言ってドン引きされるかもしれないから黙っておこう、とか。

でも、必要以上に空気を読んで、自分の言葉を飲み込んでしまうのは、違うような気がして。

一度は絶望の淵に立たされた里沙子が、誰にも届かないとわかっていながら、評議室で勇気を出して言葉にしたように、誰でも、どの立場の人でも、自分の思いを語る権利はあるはず。

その言葉は、もしかしたら誰かを傷つけるかもしれないけれど、どこかで苦しんでいる誰かを救うこともあるかもしれない。私自身が言葉に救われた人間だからこそ、強くそう思います。

水穂に下された罰は重いものだし、里沙子や六実たちが抱える問題が解決したわけでもない。それぞれの人生はこれからも大きく変わることはなく、またどこかで同じ壁にぶつかって悩むかもしれない。

それでも、みんなちょっとだけ前に進んで、今までとは違う景色を見ているのだと思う。

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