映画「君の膵臓をたべたい」感想|名前が重要な鍵であることに気づけない

映画「君の膵臓をたべたい」感想

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映画「君の膵臓をたべたい」の感想です。

原作は2015~2016年に大ヒットした同名ベストセラー小説。
「キミスイ」という略称まで生まれ、2017年に映画化、2018年9月にはアニメ映画も公開されます。

わたし流行作品は敬遠しがちなのですが、WOWOWで放送されたので見てみようかと。もはや有名作品すぎてあらすじも知っていたのですが、タイトルの意味が気になったので。

でも、ストーリー自体は想像どおりで、タイトルのインパクトほどではなかったです。
良くも悪くもフツーの映画でした。

ただ、少し引っかかる部分がありまして。
それが「名前」でした。

作品情報

  • 製作年:2017年
  • 製作国:日本
  • 上映時間:115分
  • 公開日:2017年7月28日(日本)
  • 監督:月川翔(「君と100回目の恋」「となりの怪物くん」「センセイ君主」)
  • 脚本:吉田智子(「アオハライド」「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」「わろてんか」)
  • 原作:住野よる『君の膵臓をたべたい』
  • 音楽: 松谷卓、伊藤ゴロー(追加編曲)
  • 主題歌:Mr.Children「himawari」

キャスト

過去
山内桜良……浜辺美波
僕……北村匠海
滝本恭子……大友花恋
ガム君……矢本悠馬
隆弘……桜田通

現在
志賀春樹……小栗旬
栗山……森下大地
滝本恭子……北川景子
宮田一晴……上地雄輔

あらすじ

高校時代のクラスメイト・山内桜良(浜辺美波)の言葉をきっかけに、母校の教師となった〈僕〉(小栗旬)。彼は、教え子と話すうちに、彼女と過ごした数ヶ月を思い出していく――。
膵臓の病を患う彼女が書いていた「共病文庫」(=闘病日記)を偶然見つけたことから、〈僕〉(北村匠海)と桜良は次第に一緒に過ごすことに。
だが、眩いまでに懸命に生きる彼女の日々はやがて、終わりを告げる。
桜良の死から12年。
結婚を目前に控えた彼女の親友・恭子(北川景子)もまた、〈僕〉と同様に、桜良と過ごした日々を思い出していた――。
そして、ある事をきっかけに、桜良が12年の時を超えて伝えたかった本当の想いを知る2人――。(公式サイトより)

 

感想

主人公は、地味で根暗な図書委員の〈僕〉。

〈僕〉は偶然、クラスの人気者・桜良が膵臓の病気で余命幾ばくもないことを知る。
自由奔放な彼女に振り回され、共に時間を過ごすうちに、互いに大切な存在となっていく2人。

けれど、彼女はある日突然、思いがけない形でこの世を去ってしまう。

はっきり言って、ストーリーは既視感満載です。
多くの人が思い浮かべたように、わたしもすぐに「世界の中心で、愛をさけぶ」や「四月は君の嘘」が頭をよぎりました。

結末が予想できることもあって、前半の1時間(主人公とヒロインが距離を縮めていく部分)は、かなり退屈でした。いや、わたしが恋愛モノ苦手というのもあるんですけどね……。

後半は動きがあるものの、やはりお約束の展開で、これといった驚きがないまま幕を閉じました。

誰もが想像出来ない結末と、タイトルに隠された本当の意味を知った時、あなたはきっと涙します――。(公式サイトより)

うーーん。

ヒロインが思わせぶりな態度をとっていたので、最後に「あっ」と驚く展開が待っているのだろう、感動でむせび泣く結末が待っているのだろう、とすごく期待していたのですが……。

本当に予想どおりの結末でした(ヒロインの死因は予想外だったけど)

映画としては、決して駄作ではなかったです。
浜辺美波さんも北村匠海さんも、とてもよかったです。
12年後の2人を演じた小栗旬さんと北川景子さんも、過去とのシンクロ率が高かった。

だからこそ、何かが腑に落ちないというか、引っかかるんですよねー。

で、原作はどうなのか気になってしまい、少し調べてみました。
それで、ようやく引っかかりの理由がわかりました。

名前です。

※ここからガッツリネタバレします

名前を呼ばない2人

物語の終わり、桜良がとつぜん通り魔に襲われて命を奪われてから12年後。

教師になった〈僕〉は、図書館で桜良が残した手紙を見つけ、そこで初めて桜良の気持ちを知ることになります。

手紙(遺書)の中で桜良は、はじめて「春樹」と〈僕〉の名前を呼び、「どうして私を名前で呼んでくれなかったの?」と訊くのです。

映画の中で、ヒロインの桜良はずっと〈僕〉のことを名前で呼びませんでした。

「地味なクラスメイトくん」
「仲良しくん」

自分だって春樹のことを名前で呼ばなかったくせに、なぜいきなりそんなことを言うんだろう?

なんかね、名前を持ちだしたことが、すごく唐突に感じたんですよね。
わたしは、ここに重要な意味が隠されていることに、全く気づけませんでした。

原作の【文字による仕掛け】は映像化できない

実は、原作では、実際に桜良が「地味なクラスメイトくん」と呼んでいるワケではないらしいのです。

桜良は実際には名前を呼んでいるけれども、主人公はそれを脳内変換して【地味なクラスメイトくん】というふうに受け取っている、ということらしいのですね。

原作では、ラストまで主人公〈僕〉の名前を隠し続けます。

実はこの名前こそが、物語の途中で仕掛けられた様々な伏線を解く重要な鍵となって、ラストに生きてきます。

〈僕〉の名前は「志賀春樹」。

春の樹は「桜」。主人公とヒロインが同じ(気持ち)だったことに気づきます。
(良)が春(樹)を必要としていたこと、この出会いを待っていたことに気づきます。

でも、これは文字を使用する小説だからこそできる仕掛けであって、映像ではできません。

だから映画ではストレートに桜良が「地味なクラスメイトくん」と呼んでいることになっているし、主人公〈僕〉の名前も最初のほうであっさりバラしてしまっています。

「桜良」「春樹」という2人の名前に仕掛けられた、この物語の最大の伏線が、映画ではものすっごく中途半端な形になってるんですね。

わたしが感じた引っかかりは、まさにその違和感でした。

映画で仕掛けた新たな伏線

その代わり、映画では新たな伏線を仕掛けていました。

入院が長引くとわかり、桜良が不安のあまり春樹に電話してしまうシーン。

「桜はね、散ったふりして咲き続けてるんだって。散ったように見せかけて、実はすぐ次の芽をつけて眠ってる。散ってなんかいないの。みんなを驚かせようと隠れてるだけ。そしてあったかい季節になったら、また一気に花開くの」

この言葉のとおり、桜良はこの世を去って12年も経ってから、春樹を驚かせることになるのです。
あらかじめ図書館に隠しておいた手紙(遺書)で。

春樹の12年後を描いたストーリーは、映画オリジナルです。
原作には、春樹が手紙を見つけるシーンはないそうです(桜良の気持ちはすべて「共病文庫」と名付けられた日記に記されていました)

そしてもうひとつは「ガム君」。

春樹は人間関係を否定しているので、クラスメイトの名前を覚えていません。
後半になるにつれ徐々に親しくなるクラスメイト(通称ガム君)の名前も知りません。

それは桜良を失った12年後も変わっておらず、桜良の親友・恭子から結婚式の招待状を受け取っても、恭子の結婚相手「宮田一晴」が誰なのか全く気づかない。

そしてラストでようやく、彼が〈ガム君〉であることに気づきます。

春樹が桜良から名前で呼ばれること。
春樹がガム君の名前を知ること。

いずれも、春樹がようやく他人と繋がったことを意味しているのでしょう。

タイトルの意味

この作品のタイトル「君の膵臓をたべたい」には、複数の意味があります。

ひとつは、冒頭で桜良が語った、病気が治るという言い伝え。
「昔の人は、どこか悪いところがあると、ほかの動物のその部分を食べたんだって」

もうひとつは、福岡旅行中に桜良が春樹に語った「生きたい」という願い。
「人に食べてもらうとね、魂がその人の中で生き続けるんだって」

そして最後は、桜良が手紙の中で打ち明けた春樹への「憧れ」。
「私ね、春樹になりたい。春樹の中で生き続けたい」

とても印象深いタイトルではあるけれど、ストーリーが平凡だっただけに、わたしにはあざとさ(狙ってる感)のほうが強く伝わってきて、あまり素敵なタイトルとは思えませんでした。

桜良が患っている膵臓の病気も、リアリティなかったですし。

あと、いい年をした大人の男性が、結婚式当日に新婦に向かって「友達になってください」は引く。しかも新郎の前で。これは泣けない。

やっぱりヒネクレてるのかなぁ、わたし。

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