
「三度目の殺人」
どうも、夏蜜柑です。
是枝裕和監督「三度目の殺人」の解説と感想です。
是枝監督といえば、今年6月に公開した「万引き家族」がカンヌ国際映画祭の最高賞(パルム・ドール)を受賞して話題になりました。
「誰も知らない」「そして父になる」「海街diary」など、ホームドラマの印象が強い方ですが、この作品では新境地である法廷サスペンスに挑戦。
見終わった後、ものすごく混乱します。
なんとも気持ち悪い結末。
だけど、すべてのシーンに意味があることがわかる。
数多くのメッセージが込められた、重厚で複雑な心理サスペンスに最後まで釘付けになりました。
▼是枝監督の最新作「万引き家族」の解説はこちら

この記事の目次
作品情報
- 製作国:日本
- 製作年:2017年
- 上映時間:124分
- 公開日:2017年9月9日(日本)
- 監督・脚本:是枝裕和
- 音楽:ルドヴィコ・エイナウディ
あらすじ
それは、ありふれた裁判のはずだった。殺人の前科がある三隅(役所広司)が、解雇された工場の社長を殺し、火をつけた容疑で起訴された。犯行も自供し死刑はほぼ確実。しかし、弁護を担当することになった重盛(福山雅治)は、なんとか無期懲役に持ちこむため調査を始める。何かが、おかしい。調査を進めるにつれ、重盛の中で違和感が生まれていく。三隅の供述が、会うたびに変わるのだ。金目当ての私欲な殺人のはずが、週刊誌の取材では被害者の妻・美津江(斉藤由貴)に頼まれたと答え、動機さえも二転三転していく。さらには、被害者の娘・咲江(広瀬すず)と三隅の接点が浮かび上がる。重盛がふたりの関係を探っていくうちに、ある秘密に辿り着く。
なぜ殺したのか?本当に彼が殺したのか?得体の知れない三隅の闇に呑みこまれていく重盛。弁護に必ずしも真実は必要ない。そう信じていた弁護士が、初めて心の底から知りたいと願う。その先に待ち受ける慟哭の真実とは?(公式サイトより)
登場人物(キャスト)
重盛朋章……福山雅治
弁護士。徹底的に勝利にこだわり、裁判に勝つためには真実は二の次と考えている。妻と娘とは別居中。二転三転する三隅の供述に振り回されるうちに、次第に真実を追い求めるようになっていく。
三隅高司……役所広司
容疑者。解雇された工場の社長を河川敷で殺害し、火をつけた容疑で起訴される。30年前にも殺人強盗罪で無期懲役刑を受けている。両親と妻は死亡、娘とは絶縁状態になっている。
山中光男……小野孝弘
被害者。食品工場の社長。河川敷で三隅に殴り殺され、火をつけられた。生前、金を盗んだ三隅をクビにしている。
山中咲江……広瀬すず
被害者の娘。三隅のアパートをたびたび訪れていた。足が不自由だが、理由は不明。
山中美津江……斉藤由貴
被害者の妻。保険金目的で夫の殺害を三隅に依頼したと疑われる。後に、食品偽装を隠蔽するため、三隅に金を振り込んでいたことがわかる。
摂津大輔……吉田鋼太郎
弁護士。重盛の司法修習生時代の同期生。キャリア半ばで検事を辞め、弁護士に転向した。もともとの三隅の担当者。
川島輝……満島真之介
若手弁護士。重盛の個人事務所に雇われている。重盛と共に三隅の調査に加わる。
服部亜紀子……松岡依都美
重盛の事務所の事務員。
篠原一葵……市川実日子
検察官。三隅の事件を担当する。
結花……蒔田彩珠
重盛の娘。万引きを繰り返し、たまに重盛を呼び出す。
重盛彰久……橋爪功
重盛の父。元裁判長で、30年前に三隅の事件を担当した。情状酌量して減刑したことを後悔している。
感想と考察
いい意味で予想を裏切られました。
映画の予告やあらすじなどから、「福山雅治さん演じる弁護士が役所広司さん演じる犯人の嘘と秘密に迫り、三度目の殺人を明らかにするという話」なのかと思っていたのですが。
とんでもなかったです。
これは、謎解きを楽しむ単純な法廷ミステリ劇ではないんですね。
是枝監督のコメントを読んで、納得。
シンプルな分かりやすい事件だと思っていたのが複雑になって分からなくなっていく逆のルートをたどるつくりになっていますが、それは決してお客さんを煙に巻こうとしているのではなく、取材を通して出会った弁護士たちが判決の後にある釈然としない感情が残る「おそらくそうであろうと思いながらも、でももしかしたら・・・」と思いながらも次の裁判に行かなくてはならない、そんな弁護士が感じるもやもやとした感じを今回は主人公が感じ、お客さんも同じく感じていただくというチャレンジングかもしれませんが、そんな着地点を目指して作りました。
もちろん、福山さんと役所さんの心理的なやりとりにはハラハラさせられます。
でもそれ以上に、作品全体に漂う不気味さ、気持ち悪さ(違和感)のほうが圧倒的に印象強いです。
スカッとしたい人にはオススメできませんが、わたしはモヤッとするラストも含めて、とても見応えのある映画だと思いました。
三隅の気持ち悪さ
この映画の気持ち悪さ(違和感)は、役所さん演じる三隅から放たれていると言ってもいいでしょう。
非常に不気味で、かつ奇っ怪な人物なんです。
といっても、露骨に狂気じみた言動を見せるとか、見るからに異常者というわけではありません。
第一印象は、拍子抜けしてしまうほど穏やかで、ごく普通の人間なんですよね。
でも、まさにそれが三隅の恐ろしさでもあって。
つまり、三隅という人物がどういう人間なのか、最後まで全くわからないのです。
三隅の供述には、一貫性がありません。
殺人の動機について、最初は「金目当て」だと語り、週刊誌の記者には「被害者の妻に頼まれて保険金目当てで殺した」と語り、最後は「俺は殺してない」と殺人を完全否定する。
それが意図的なのかどうか、三隅の様子からは全く判断がつきません。
嘘をついているようにも見えるし、本当のことを話しているようにも見える。
さらに三隅は、ガラス越しに手を合わせただけで、福山雅治さん演じる重盛が話していない娘のことを言い当てたりもする。
少しずつ、少しずつ、重盛(と見ている側)は、三隅に言いようのない違和感を覚え、同時に興味を搔き立てられていくのです。
三隅の過去
三隅は30年前にも地元北海道で借金取り2人を殺害し、服役しています。
30年前、三隅に無期懲役を言い渡したのは、裁判長だった重盛の父・彰久(橋爪功さん)でした。彰久は、三隅に死刑判決を下さなかったことを後悔し、こう言います。
「いるんだよ、そういうけだものみたいな人間が」
「殺すやつと殺さないやつとの間には深い溝があるんだ。それを越えられるかどうかは生まれた時に決まってる」
「あんなやつ、理解しようとするだけ無駄だぞ」
当時三隅を逮捕した刑事は、「三隅自身の恨みや憎しみはなかった」と言い、「なんだか空っぽの器のような」と三隅を表現しました。
三隅は決して善人ではありません。
30年前も今回も、ハッキリした動機もないのに、平然と人を殺す残忍な人物です。
けれども彼の身辺を調査するうちに、重盛は少しずつ三隅に興味を抱き始める。
重盛もまた、「空っぽの器」である三隅に、知らず知らず取り込まれていくのです。
三隅と同化していく重盛
三隅は、何の落ち度もない自分の両親や妻が死んで、人殺しの自分が生き延びていることについて「彼らの意志とは関係ないところで、命は選別されているんですよ。理不尽に!」と叫びます。
そして重盛の父に葉書を出した理由について、「憧れていたんですよ。人の命を自由にできるじゃないですか」と答えます。
実は、重盛はかつて父のような裁判長になることを夢見ていました。
そしてこのシーンの少し前、重盛は「人間の意志とは関係なく命は選別されている。本人の意志とは関係ないところで人は生まれてきたり、理不尽に命を奪われたりしている」と、若い弁護士の川島に胸の内を明かしていました。
接見室で、ガラスに映る重盛の顔と、三隅の顔が重なるシーン。
これは2人が同化していることを表しています。
つまりこの時点で、「空っぽの器」である三隅は、既に重盛を取り込んでいるのです。
咲江の告白
物語の後半にさしかかって、ようやくひとつの真実が見え始めます。
被害者の娘である咲江(広瀬すずさん)が、父親=被害者から性的暴行を受けていたことを告白します。
三隅は自分の代わりに父親を殺したのだと、静かに訴える咲江。
だから証言台に立って、三隅を助けたいと。
咲江について印象的だったのは、笑顔です。
と言っても劇中では、咲江は一度も朗らかな笑顔を見せていません。
三隅のアパートの大家さんが、「よく笑う子だったわよ、明るい声で」と言っただけです。
でも、このセリフと同時に脳裏に浮かんだ広瀬すずさんの笑顔が、いつまでも残るんですよね。
三隅は、咲江が告白したことを知ると、突然「本当は殺していない」と供述を変えます。「本当のことを話しても、誰も信じてくれなかった。信じてくれ」と、必死に重盛に迫ります。
本当なのか、嘘なのか。
三隅の本心が見えず、判断ができない重盛。
それに、ここで供述を変えることは、法廷戦術的には不利なのです。
情状酌量に訴えるなら、罪を認め、反省していることを示さなければなりません。
法廷は取引の場。裁判に勝つことが全てで、真実などどうでもいい。
そんな考えの持ち主だった重盛が、「依頼人の主張を尊重すべきだ」と言い出します。
結局、裁判長も検察側も、三隅の供述を無視。
裁判はやり直されることなく続行され、三隅に死刑判決が言い渡されます。
うやむやにされた真実
死刑を言い渡された三隅ですが、その顔はどこかホッとしているような、晴れ晴れとした表情でした。
結局、三隅は殺したのか、殺してないのか。
咲江は犯行に加わったのか、加わっていないのか。
真相は明らかにされないまま、映画は終わってしまいます。
ここからは完全に推測になりますが……。
三隅は咲江の父を殺したのだと思います。
彼は「空っぽの器」。
他人の思いを取り込み、ロボットのように行動する。
30年前は、高利貸に金を借りて苦しんでいた人々の代わりに。
今回は、実の父親からの性的虐待に苦しんでいた咲江の代わりに。
途中、咲江が殺害現場にいるような映像が挟まれましたが、あれは三隅=咲江であることを示唆していたと思われます。
三隅が突然「殺していない」と供述を変えたのは、咲江に辛い証言をさせないため。
咲江の母親である美津江(斉藤由貴さん)を共犯にしようとしたのは、彼女が咲江と父親の関係を知りながら、見て見ぬフリをしたことへの裁きだったのだと思います。
そして三隅と同化している重盛もまた、娘(の代わり)である咲江を守るために、死刑判決が下ることを黙認しました。
残酷な殺人犯が、ひとりの少女を守るためにわざと不利な供述をして、死刑判決を受ける。
この矛盾を受け入れられるかどうかも、作り手から投げかけられたメッセージであるように思います。
複雑に組み合わされたテーマ
この作品は重層的な構造になっているため、テーマもひとつではありません。
司法制度の矛盾
「弁護士の仕事をちゃんと描いてみたいと思っていたのでお話を聞いたところ、みんな口をそろえたように『法廷は真実を解明する場所ではない』と言うんですね。『そんなの誰にもわかりませんから』って。ああ、そうなんだ、面白いなと思ったんです。それなら、結局何が真実かわからないような法廷劇を撮ってみようと思いました」
上記の是枝監督のコメントからもわかるように、この作品では、システム化されて真実の追及がおざなりになってしまっている司法の現状が描かれています。
普段、わたしたち一般人が目にすることのない裁判の裏側がとてもリアルです。
裁判長の目配せひとつで、弁護士も検察官も言葉を呑みこみ、予定された通りに進んでいく。
何が真実か、誰が真実を語っているかなど、どうでもいいのです。
誰を裁くかは誰が決めるのか?
劇中で、咲江が重盛に「誰を裁くかは誰が決めるんですか?」と問うシーンがあります。
これも大きな問題提起になっていたと思います。
三隅は「生まれてこないほうがよかった人間ってのが、世の中にはいるんです」と言います。重盛が「だからといって、殺して全て解決するわけじゃない」と言い返すと、「重森さんたちは、そうやって解決してるじゃないですか」と。
三隅と重盛は同化しているので、これは三隅のセリフでありながら、重盛のセリフでもあるんですね。
人は、人を裁けるのだろうか?
法廷は、誰を裁く場所なのだろうか?
それは、永遠に答えの出ない問いかもしれません。
壊れかけの家族
是枝監督は、これまで多くの作品で「理想的な形から外れた家族の形」を描いてきました。
この作品でも、主要人物の3人(重盛、三隅、咲江)の家族関係は壊れかけています。
三隅は両親と妻を亡くし、足の悪い娘とも絶縁状態が続いている。
三隅は、自分を慕う咲江に、娘を重ねています。
重盛もまた、仕事を優先して娘と理想的な関係を築けなかったことを悔やんでいて、咲江に娘を重ねているように見えます。
そして14歳の時から父親に性的虐待を繰り返されてきた咲江は、三隅に優しい父親像を求めている。
この3人が器である三隅を介して繋がっていることは、重盛が車中で見た夢(雪遊びのシーン)でも明らかです。
第1回公判の少し前、重盛の娘が「何かあったら、また助けに来てくれる?」と聞き、重盛が「助けに行くよ」と約束するシーンがありました。
だからこそ、重盛は最終的に、咲江=娘を助けることを優先したのだと思います。
何が嘘で何が真実か
三隅の供述は二転三転し、最後まで何が真実かわからないままでした。
咲江は、足が不自由になった原因を「屋根から飛び降りてケガをした」と言い張ります。
しかし、咲江のことを調べた川島は、咲江の足は「生まれつき」で、咲江が周囲に嘘をついていると思っています。
三隅は「あの娘はよく嘘をつきますよ」と言い、咲江が嘘をついているのかどうかも、最後までわからないままです。
真実など、誰にもわかりません。
そもそも真実など存在しないのかもしれません。
だからこそ、人を信じることは難しい。
他人を理解したいと思うのは、信じたいから(安心したいから)。
だけど、重盛の父が「親子でもわからないのにさ、ましてや他人のことなんか」と言っていたように、人を完全に理解することなど不可能です。
理解したつもりで、真実を見つけたつもりで、相手を信じたり、信じなかったりするしかないんですよね。
さまざまな隠喩
この作品には、さまざまな隠喩と思われるものが登場します。
十字架
劇中で重盛が言っていたように、「裁き」や「罪」を表していると思われます。
十字架を示すシーンは、以下のとおり。
- 三隅が殺した山中光男の燃え跡
- 三隅がアパートの窓の下に埋めたカナリアの墓
- 重盛、三隅、咲江たちが雪遊びをするシーンで寝転がっている三隅と咲江の形
- 咲江がピーナッツクリームを買おうとしたパン屋「丸十ベーカリー」
- ラストシーンで重盛が立ち止まっていた十字路
ちなみに、雪遊びのシーンで寝転がっているのは3人ですが、十字の形をとっているのは三隅と咲江だけ。
よく見ると、雪の上に動物の足跡がついていて、その足跡が三隅と咲江だけを囲っている(重盛と間に境界線が引かれている)ようにも見えます。
これは、三隅と咲江が殺人という罪を犯した(裁かれるべき)人間であることを意味していると思われます。
カナリア
三隅は、アパートで飼っていた5羽のカナリアを、「今さら外に放たれたってどうせ生きていけない」という理由で、事件の直前に殺しています。
そして窓の下に埋めて、十字の石を置いた墓を作っています。
しかし、後に1羽だけ、三隅があえて逃がしたことを告白してるんですね。
そしてその逃がしたカナリアのことを、三隅はとても気に掛けています。
この逃がしたカナリアは、咲江を意味していると思われます。
なぜなら三隅は、死刑判決を受けた後、退廷する時に咲江の前を通り、両掌を上に向けてカナリアを逃がすような仕草をしているからです。
カナリアは、澄んだ美しい声でさえずる小鳥です。
しかし、かつては炭鉱夫たちがガラスの容器に入れて坑道に持ち込み、毒ガス検知用に用いられていました。
そこから「坑道のカナリア」という言葉が生まれ、強者に虐げられる弱者の象徴のように使われています。
そして、もうひとつ。
この言葉には「一般の人々がまだ察知できない危険が迫っている時、それを敏感に感じ取って警鐘を鳴らすのは作家や芸術家」という意味もあるそうです。
雪のケーキ
三隅は、河川敷で咲江の誕生日を祝った5日後に、重盛の父宛てに葉書を送っています。
それは、こんな内容でした。
重盛裁判長様。ご無沙汰しています。裁判でお世話になった三隅高司です。昨年、仮釈放され、今は川崎の食品加工工場で働いています。
先週、こちらでも大雪が降って、故郷の北海道を思い出しました。娘の誕生日に雪で大きなケーキをつくったんです。娘は手袋をしていなかったので、私のをひとつ渡しました。
娘は手を真っ赤にしながら、自分の背より大きなケーキをつくっていました。冷たくて……温かい思い出です。
ここで書かれている娘とは、もちろん咲江のことです。
雪は、三隅(と重盛)の故郷である北海道を象徴しています。
そして咲江もまた、北海道大学を受験しようとしています。
三隅と咲江は大きなケーキを作り、三隅は自分の手袋をひとつ娘に渡した。
これは、2人(正確には咲江の思いを取り込んだ三隅)がその後に行った凶行を暗示しているようにも思えます。
ピーナッツクリーム
三隅のアパートに置いてあったピーナッツクリームも、意味深なアイテムでした。
重盛は三隅の好物だと思い込み、ピーナッツクリームを差し入れます。
受け取った三隅も「大好物です」と答えています。
でも、後に、咲江がパン屋でピーナッツクリームを買うシーンが出てきます。
ピーナッツクリームを好きなのは、三隅ではなく、咲江なのではないでしょうか。
そして三隅のアパートの部屋にあったのは、三隅が咲江のために買ったもの、あるいは咲江が買ってきたものなのではないでしょうか。
三隅がピーナッツクリームをパンにつけて、おいしそうに頬張るシーン。
これもまた、三隅が器として咲江を取り込んでいることを示しているように思います。
タイトルの意味
三隅の殺人は、30年前の借金取り殺しが一度目、今回の山中光男殺しが二度目です。
では、「三度目の殺人」とは?
これは、三隅が自らを死刑に導いたことだと思います。
おそらく三隅は最初から死ぬつもりだったのではないでしょうか。
「生まれてこないほうがよかった人間ってのが、世の中にはいるんです」
その言葉には、山中光男のことだけではなく、自分自身も含まれていたのかもしれません。
そしてそんな三隅の思いは、重盛にも間違いなく伝わっていたはずです。
心配なのは、もうひとりの自分を殺してしまった重盛です。
ラストシーンで彼は十字路に立ち止まったまま、動けずにいました。
これからどこへ向かうのか、彼自身にもわかっていないように見えました。
心の深いところにまで余韻を響かせる、秀逸なラストシーンでした。
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