横溝正史の「本陣殺人事件」についてまとめました。
金田一耕助が初登場した、記念すべきシリーズ第1作目です。
1946年(昭和21年)4月から同年12月まで、創刊されたばかりの雑誌『宝石』で連載されました。
作家・横溝正史の人生を変え、日本における「探偵小説」の歴史を変えた画期的な作品。
実は、著者がこの作品を書き始めたとき、金田一が登場する予定はなかったというから驚きです。
第2回までの原稿を出版社に送った時点で、「いくらでも好きなだけ書いてほしい」と編集長からお墨付きをもらい、それならと探偵を登場させる気になったとか。
第3回の原稿には「金田一」という名前だけが登場。
この時点でもまだ、どんな探偵にするかは決まっていませんでした。
そんな背景もあって、本作での金田一は少々遅い登場になっています。
「本陣殺人事件」のポイント
- 岡山の田舎町が舞台
- 純日本家屋での密室殺人
- 琴を使ったトリック
- 20代半ばの若い金田一が登場
- 金田一が探偵になった経緯
- 探偵小説マニアたち
- 納得できない?犯人の動機
物語は、岡山へ疎開してきた探偵小説作家(著者自身を連想させる)が、「F氏」から聞いた「一柳家の妖琴殺人事件」についての記録を書いている、という設定で始まります。
まだ駆け出しの探偵・金田一と、めちゃくちゃ複雑な密室トリックに注目。
最後に事件の真相をまとめていますが、その都度〈ネタバレ〉も付けています。
※引用文はすべて横溝正史著『本陣殺人事件』(角川文庫)より引用しています
Contents
登場人物
主要人物
金田一耕助(きんだいちこうすけ)
アメリカ帰りの私立探偵。久保銀造に呼ばれて調査に乗り出す。年齢は25、6歳。もじゃもじゃ頭で風采のあがらぬ小柄な人物。興奮するとどもりがひどくなり、もじゃもじゃ頭をかき回す。妙に人を惹きつけるところがある。
磯川常次郎(いそかわつねじろう)
岡山県警察部の警部。今回の殺人事件を担当する。金田一の人柄を気に入り、事件の情報を提供する。
久保銀造(くぼぎんぞう)
克子の叔父。果樹園を営み、兄・林吉の亡き後、姪の克子を育てあげた。アメリカで金田一と出会い、以来資金援助している。
一柳家
一柳糸子(いちやなぎいとこ)
資産家で本陣の末裔・一柳家のご隠居。賢蔵らの母。威厳と誇りを崩さない老婦人。
一柳賢蔵(いちやなぎ けんぞう)
長男で、一柳家の当主。40歳。哲学者。周囲の反対を押し切って、家柄の違う久保克子との結婚を決める。婚礼の夜、離家(はなれ)で克子と共に死んでいるのが発見される。
一柳妙子(いちやなぎたえこ)
長女。会社員と結婚して上海にいるため、事件には関わっていない。
一柳隆二(いちやなぎりゅうじ)
次男。35歳。大阪の病院に勤務する医者。事件直後に帰省する。
一柳三郎(いちやなぎさぶろう)
三男。25歳。根気がなく、家でごろごろしている。狡猾なところがある。探偵小説の大ファンで、多くの蔵書を持つ。
一柳鈴子(いちやなぎすずこ)
次女。17歳。病弱で腺病質だが、琴の腕前は天才的。婚礼の日、克子の代わりに琴を披露する。
一柳良介(いちやなぎりょうすけ)
分家の主人で、賢蔵らの従兄弟。38歳。世故に長けており、糸子の相談相手にもなっている。賢蔵と克子の結婚に猛反対する。
一柳秋子(いちやなぎあきこ)
良介の妻。
一柳作衛(いちやなぎさくえ)
賢蔵らの父。故人。日ごろは温厚だが激しやすい性格だった。鈴子が生まれてまもなく、田地のことで揉めて日本刀による殺人事件を起こし、自らも深傷を負って死亡した。
一柳隼人(いちやなぎはやと)
故人。良介の父。軍人。日露戦争中に部内で起きた不正事件の責任を負い、日本刀で割腹自殺した。
久保家
久保克子(くぼかつこ)
女学校の教師。ある集会で講演をしていた一柳賢蔵と出会い、結婚することに。小作人の娘ということを理由に、一柳家から反対されていた。婚礼の夜、離家で賢蔵と共に死んでいるのが発見された。
久保林吉(くぼりんきち)
故人。克子の父。もともとは村の小作人だったが、弟の銀造と共にアメリカへ渡って果樹園の技術を習得し、帰国して銀造と共に果樹園をはじめ、成功させた。克子が生まれた直後に亡くなっている。
その他
白木静子(しらきしずこ)
女学校の教師。久保克子と同窓で親友。克子から「T」に関する手紙を受け取っている。
田谷照三
克子が女学生時代に付き合っていた男。医学生のふりをして克子をたぶらかした。現在は暴力団に入り、恐喝などをやっている。
清水京吉(しみずきょうきち)
右の頬に深い傷痕があり、右手が三本指の男。事件の前々日に飯屋で一柳家までの道を尋ねる。
妹尾(せのお)
保険会社の代理店をやっている男。賢蔵は生前、隆二を受取人として5万円の保険に入っていた。
周吉(しゅうきち)
一柳家に仕える小作。水車小屋へ米を搗きにくる。
F氏
医者。事件当時、一番に駆けつけた人物。のちに、この事件の覚え書きを作成する。
相関図
あらすじ(ネタバレ有)
三本指の男
昭和12年。本陣の末裔である一柳家の当主・賢蔵と、女学校教師・久保克子との結婚が決まります。
家柄が違うことから一柳家は2人の結婚に猛反対しましたが、賢蔵はそれを強引に押し切り、11月25日に婚礼の儀が行われることに。
その前々日の11月23日。
とある飯屋に、右頬に大きな傷痕のある、右手が三本指の男が現れ、「一柳家へはどう行けばいいか」と道を尋ねていました。
三本指の男は、11月25日の婚礼の日に一柳家に現れ、下働きの女性に「旦那に渡して欲しい」と、小さな紙片を預けます。
飯屋に現れた「三本指の男」は、もともと一柳家とは無関係で、一柳家を目印に道を訊ねただけの通りすがりの人でした。しかし一柳家のそばを通りがかった際に心臓発作を起こして亡くなり、事件に利用されることになったのです。婚礼の日に現れた「三本指の男」は、賢蔵自身の変装によるものです。
密室殺人
婚礼の儀式がつつがなく終わり、日付が変わった明朝4時。
恐ろしい悲鳴と琴の音が響き渡ります。
新郎新婦が寝ている離れに一同が駆けつけると、賢蔵と克子が無残な死体となって横たわっていました。
- 玄関も雨戸も中から戸締まりがされていた
- 外の石灯籠の根本に日本刀が刺さっていた
- 遺体の枕元に血に濡れた琴が置いてあった
- 琴の糸が一本切れており、切れた糸の琴柱がなくなっていた
- 金屏風には血に濡れた三本の指跡が残っていた
- 離れの周囲には雪が降り積もり、雪の上に足跡はない
- 離れの北側の雪がない場所に足跡があり、玄関まで続いている
- 押し入れの中に犯人が隠れていたと思われる痕跡がある
つまり、現場は完全な密室状態だったのです。
これらはすべて、賢蔵と三郎が「三本指の男」のしわざに見せかけるために施した細工と、トリックの痕跡。克子を殺したのは賢蔵。賢蔵は克子を殺したのち自殺した。
生涯の仇敵
午前11時、磯川警部が到着。
賢蔵の着物の袂には、ひるま「三本指の男」からもらった紙片が、ズタズタに引き裂かれた状態で入っていました。警部が復元すると、こんな文章が。
島の約束近日果たす。闇討ち不意討ちどんな手段でもいいという約束だったね。君のいわゆる『生涯の仇敵』より
賢蔵の日記を調べると、27歳から29歳までの日記に、最近切り取られたような跡がありました。
ストーブに残っていた日記の燃えかすをつなぎ合わせると、賢蔵は若い頃どこかの島である女性と懇意になり、その女性と深い関係にあった『生涯の仇敵』のせいで彼女は死んだ……というようなことが書かれていました。
そしてアルバムには『生涯の仇敵』と書かれた写真があり、その写真の男は飯屋で道を尋ねた「三本指の男」だということが判明します。
日記の燃えかすもアルバムの写真も、三郎の思いつきで細工したもの。アルバムの写真は、死んだ清水京吉(三本指の男)の運転免許証から拝借して貼ったもの。
金田一耕助の驚くべき過去
銀造は、自宅の妻宛に電報を打ちます。
克子死ス 金田一氏ヲヨコセ
金田一耕助は、銀造が資金援助をしている私立探偵で、ちょうど大阪で起きた事件を解決した後、銀造の家に遊びに来ていました。そして銀造が克子の結婚式をすませて帰ってくるまで待っている予定だったのです。
久保銀造と金田一耕助の関係についても、詳しく書かれています。
金田一は19歳のときに上京し、某私立大学に籍を置いていました。
しかし1年も経たないうちに大学がつまらなくなり、アメリカへ渡航。
アメリカでふらふら放浪しているうちに、麻薬に手を出してしまいます。
そんなとき、サンフランシスコの日本人の間で奇怪な殺人事件が起こります。
金田一はこれを見事に解決し、一躍英雄に祭り上げられたのでした。
サンフランシスコでたまたま金田一と出会った久保銀造は、麻薬をやめて真面目に勉強してはどうかと声をかけ、学資を出すことを申し出たのです。
その後3年かけてカレッジを出た金田一は、帰国して「探偵になる」と宣言。
独立資金として銀造から5千円の援助を受けています。
おそらく久保銀造という人には、人を見る目があったんでしょうねぇ。
でなきゃ、どこの誰ともわからない人間にホイホイと大金を払ったりしないでしょうから。
それにしても、金田一が麻薬常習者だったとは……驚きです。
鈴子と猫の墓
金田一が一柳家に到着すると、また三本指の男が出たと大騒ぎになっていました。
その日の朝早く、鈴子が猫の墓へ行くと、墓の向こうに三本指の男がいたと言う。
銀造たちは夢でも見たのだろうと言いますが、猫の墓標には泥で汚れた三本指の指紋がついていました。
猫の墓をあばいた痕跡があるものの、そこには猫の死骸以外、目新しいものは何も入っていません。
鈴子が「婚礼の日の朝に猫を埋めた」と言っていたのは嘘。鈴子が猫を埋めたのは事件の後。猫の死骸を入れた箱は、婚礼の儀式の間ずっと鈴子の部屋の押し入れの中にあり、犯人はその箱の中に切断した清水京吉(三本指の男)の手を隠していました。
琴を使ったトリック
事件の真相を見抜いた金田一は、磯川警部、久保銀造、一柳隆二、F氏の4人を離れに集めて、密室トリックの実験を行います。
あらかじめ水車の軸に巻き付けた琴糸を離れの部屋に引っ張ってきて、琴糸の先端に日本刀の柄を巻き付けます。
水車の回転と同時に刀が運ばれ、人を刺した後、欄間の隙間をくぐって部屋の外に出て、石灯籠の脇に落ちる……という仕掛けです。
屏風も、琴柱も、青竹も、刀や琴糸が地面を引きずって痕跡を残さないようにするために設置されたもの。
この巧妙な装置を考案したのは、賢蔵です。
賢蔵の目的は、婚礼の夜に新婦の克子を刺し殺し、そして自殺と知られないように自死することでした。そのためにこの密室トリックを考えたのです。
事件の真相と犯人の動機
賢蔵は神経質で潔癖症のうえ、「激昂しやすい」という一柳家の血を受け継いでいました。
彼は、克子に昔つきあっていた男性がいたこと、彼女が処女ではないことを知ったとき、どうしても彼女を許すことができなかったのです。
しかも相手の男はかなり面倒な男で、いつか家を突き止めて現れるかもしれないという恐れもあった。そんなことになったら、一柳家当主の面目は丸つぶれだと。
しかし、親族の反対を押し切って結婚に踏み切った手前、破談にすることはプライドが許しませんでした。
ここまで手の込んだ方法で他殺に見せかけたのも、親族に笑われたくないという意地がそうさせたのです。
賢蔵は三郎が持っていたシャーロック・ホームズの本の中に、『ソア橋』という自殺を他殺に見せかけるトリックが使われている小説を見つけ、これをヒントにトリックを思いついたのではないか……と金田一は推理しています。
ふたりの協力者
賢蔵が計画の準備をしているとき、偶然にも清水京吉(三本指の男)が離れの裏で心臓発作を起こし、亡くなります。
京吉の死体を見つけた賢蔵は、この死体を実験台にしようと考えました。
婚礼の前日、賢蔵は死体を使って実験し、確かに日本刀が胸を突き刺すのを確かめた。
しかしそのとき、三郎に実験を見られてしまったのです。
賢蔵の計画を知った三郎は、嬉々として計画に参加してきた。
彼は探偵小説マニアでした。
三本指の男を偽装犯人に仕立て上げたのは、三郎のアイデアです。
結末
三郎は起訴されましたが、判決が下る前に召集されて戦死しました。
鈴子もその翌年に亡くなっています。
この記録を書いている「探偵小説作家」は、冒頭で叙述トリックを用いていることを打ち明けています。
探偵作家というものは、こういう物の書き方をするものであるということを、私はアガサ・クリスチー女史の「ロージャー・アクロイド殺し」から学んだのである。
時系列で見る事件の経緯
久保克子が田谷照三との関係を賢蔵に打ち明ける
久保克子が大阪で田谷照三と再会する
賢蔵が克子を殺し、自殺することを決意。密室トリックを考え始める
三本指の男が飯屋で一柳家への道順を聞く
三本指の男が心臓発作を起こし、一柳家の離れのそばで息を引き取る
賢蔵が三本指の男の遺体を発見し、実験台にするため遺体を押し入れに隠す
三本指の男の話を聞いた鈴子が、三本指で琴を弾く真似をする。それを見た賢蔵は計画に琴糸を使うことを思いつく
賢蔵が三本指の男の遺体を使って密室トリックの実験を行う。三郎に見つかり、三郎が計画に加わる
三郎のアイデアで、三本指の男を犯人に仕立て上げるために日記やアルバムに細工をする
賢蔵と三郎が遺体から三本指の手首を切り落とし、遺体を近くの炭焼き窯に埋める
賢蔵が三本指の男になりすまし、台所にいる女中に紙片を渡す
賢蔵が離れのまわりに足跡をつけたり、切り落とした〝三本指の手首〟を使って指紋をつけたり、琴糸を引いてきたり、密室トリックの細工を施す
賢蔵が〝三本指の手首〟を鈴子の部屋の押し入れにあった猫の棺桶の中に隠す
賢蔵が日記のページを切り取り、ストーブで燃やす
賢蔵と克子の結婚式が行われる
午前4時頃、水車が回転し始めるのを待って、賢蔵が克子を日本刀で斬り、琴を弾き、屏風に琴爪の跡を残し、自らを刺して自殺を遂げる
感想(ネタバレ有)
いや~もう~、密室トリックが複雑すぎる!
わたし、金田一先生がトリックを再現してみせる場面、そりゃもう何度も何度も読み返したけれど、まったくイメージできませんでした。
いったいどうやったら、琴糸でぶら下げた日本刀で「グサッ」と胸をひと突きできるんでしょうか?
映像化されたドラマを2本見てみたけど、2作ともその場面は改変されていて、自分で日本刀を握って胸を刺してました。原作の文章を読む限り、それが正解ではないと思うんだけど……。
どう考えても実現不可能ですよね、これ。
▼
トリックは現実的ではないし、少々凝りすぎでは?と思う部分もありますが、ものすご~く考えられていることは確か。
この作品が書かれたのは戦後すぐのことで、戦時中禁止されていた探偵小説が書けるとあって、横溝先生は相当気合いが入っていたのでしょうね。
作中には、探偵小説家(語り)、探偵小説マニア(三郎)、探偵小説好きの私立探偵(金田一)が登場し、彼らはやたらと海外の探偵小説について詳しく、熱弁をふるっています。
そういうところにも「探偵小説」にかける著者の熱い思いが見て取れます。
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この作品は、横溝正史のライバルであり、生涯の親友でもあった江戸川乱歩にも大きな衝撃を与えました。
横溝君の「本陣殺人事件」はあちこちで話題にのぼっている。まだ第一回を読んだばかりだが、その意気込みは誰も認めている。我々の間で一番早く本腰になって書きはじめた作者に祝福あれ。
あえて自身の感想を書かなかったのは、衝撃度が大きすぎたせいでしょうか。
なんとなく、嫉妬のようなものも感じられます。
乱歩はその後、「『本陣殺人事件』を読む」という長文の評論を書き、雑誌『宝石』に掲載しています。
その長い評論の半分以上が、内容に対する不満であり、欠点の指摘でした。
一般的に知られているのが、「密室トリックが機械的すぎて、本当にそんなことができるのかと思わせる点」と、「犯人と犯人を助ける人物たちの動機が弱い点」です。
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確かに三郎の動機はちょっと弱いかなーと思いましたが(性格が悪いというだけで協力するかな?)、賢蔵の動機についてはわたしはそれほど疑問を感じなかったんですよね、当初。
ただ、「処女ではない花嫁を娶ることを恥とする」という価値観には、想像力が必要でした。
物語の舞台である昭和12年という時代に、その価値観がすんなり受け入れられるものだったのかどうかが、わからなかったからです。
著者・横溝正史は、神戸で生まれ育った都会人です。
戦時中、疎開先の岡山で「地方ではまだまだ家柄や家の格が重視されている」ことを知って驚いた彼は、それを事件の動機の中心に置くことにした、と語っています。
そういうことから考えても、著者は「古い価値観」の象徴として動機に取り入れたのではないか、という気がします。少なくとも〝殺人の動機〟としては、異常だったのではないかと。
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ともあれ、金田一耕助が誕生した記念すべきシリーズ第1作に感謝。
この作品がなければ、その後の推理小説ブームも、横溝ブームも、角川ブームも、なかったかもしれないのですから。
ちなみに映像は、
- 片岡千恵蔵さん主演の映画(1947年)
- 中尾彬さん主演の映画(1975年)
- 古谷一行さん主演のドラマ(1977年)
- 古谷一行さん主演のドラマ(1983年)
- 片岡鶴太郎さん主演のドラマ(1992年)
があります。
三郎のキャラクターが改変されていることが多いですね。
金田一シリーズの記事