映画「勝手にふるえてろ」感想|四角関係とタイトルの意味

映画「勝手にふるえてろ」ネタバレ感想

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映画「勝手にふるえてろ」の感想と考察です。

原作は綿矢りささん。割と好きで何冊か読んでます。
この映画の原作を読んだのはずっと昔で、今回、映画鑑賞前に再読しました。

やっぱりいい。
そんでもって映画もよかった。

「こんなふうに映像化するんだ!?」という驚きが一番。

綿矢さんの初期作品は、コミュニケーション下手な主人公が心の中でツッコミまくる毒舌が特徴なのですが、それがここまでポップでキュートなラブコメディに仕上がるとは。

しかも違和感がないんです。
原作を読んでいる人間からしたら、二度おいしい。

主人公ヨシカを演じた松岡茉優さんもハマっていました。
テーマの重さを感じさせず、ぐいぐい引っ張られました。

映像化が大成功した例だと思います。
とても満足度の高い面白い作品でした。

この記事はネタバレを含んでいます。鑑賞前の方はご注意ください。

作品概要

  • 製作国:日本
  • 公開日:2017年12月23日
  • 上映時間:117分
  • 監督:大九明子(「恋するマドリ」「でーれーガールズ」「美人が婚活してみたら」)
  • 脚本:大九明子
  • 原作:綿矢りさ『勝手にふるえてろ』
  • 音楽:高野正樹
  • 主題歌:黒猫チェルシー「ベイビーユー」

あらすじ

24歳のOLヨシカは中学の同級生“イチ”へ10年間片思い中!過去のイチとの思い出を召喚したり、趣味である絶滅した動物について夜通し調べたり、博物館からアンモナイトを払い下げてもらったりと、1人忙しい毎日。そんなヨシカの前へ会社の同期で熱烈に愛してくれる“リアル恋愛”の彼氏“ニ”が突如現れた!!「人生初告られた!」とテンションがあがるも、いまいちニとの関係に乗り切れないヨシカ。まったくタイプではないニへの態度は冷たい。ある出来事をきっかけに「一目でいいから、今のイチに会って前のめりに死んでいこうと思ったんです」と思い立ち、同級生の名を騙り同窓会を計画。ついに再開の日が訪れるのだが……。(公式サイトより)

予告動画

キャスト

江藤良香……松岡茉優
イチ(一宮)……北村匠海
ニ(霧島)……渡辺大知
月島来留美……石橋杏奈
経理課長……仲田育史
営業一課の高杉……松島庄汰
オカリナ……片桐はいり
釣りおじさん……古舘寛治
金髪店員……趣里
最寄り駅の駅員……前野朋哉
整体師……池田鉄洋
編み物おばさん……稲川実代子
コンビニ店員……柳俊太郎

感想

いきなり違和感のあるヨシカ

実は、冒頭から違和感を覚えたんですよね。
主人公のヨシカが、原作とは違う社交的で明るい女子になっていたからです。

行きつけのハンバーガーショップの店員相手に、ペラペラと悩みを打ち明けるヨシカ。
整体師、バスの乗客、駅員、釣りのおじさんとも、とっても親しげ。

原作には、彼らは一切登場しません。

ヨシカって、こんなキャラだっけ?
いやいや、違う。

この設定には明らかな意図があり、わたしが抱いた違和感は後に解消されるのですが、ここではひとまずスルーします(ネタバレになるので後述します)

ヨシカと2人の彼氏の“四角関係”

ヨシカと2人の彼氏の関係は原作と同じです。
まずは、その3人の関係から紐解いていきたいと思います。

ヨシカには、「イチ」と「ニ」という2人の彼氏がいます。

「イチ彼」は、ヨシカの最愛の人。
中学二年生のとき、たった3回だけ言葉を交わしたクラスメイトの一宮。

ヨシカの一方的な片思いで終わり、それ以来会っていないけど、ヨシカは未だに忘れられずにいる。

「ニ彼」は、ヨシカの同僚で営業課の体育会系男子。
ヨシカにその気はまったくないが、強引なアプローチでデートすることになり、告白されます。

別の言葉で言い換えると、「イチ」は妄想、「二」は現実。

この作品で描かれる恋愛模様は、ヨシカと2人の彼氏の三角関係のように見えます。
が、わたしは四角関係だと思っています。

もうひとりは、中盤から登場する現在の「イチ」。
ヨシカの思い出の中で美化された「妄想のイチ」を壊す存在です。

この2人の「イチ」は、どちらもヨシカの分身なのです。
ここから先はネタバレを含んでいます。ご注意ください。




イチを愛することは、自分を愛すること

生まれて初めて男性から告白されたことに喜びつつ、思い出の中の「イチ」を愛し続けるヨシカ。

思い出の「イチ」を愛し続けても何も変わらないことは、ヨシカもわかっています。

思い込みが激しく、繊細で傷つきやすく、他人と深く関わることを恐れるヨシカは、そんな現実の自分を変えたいと思いながらも、怖くて踏み出すことができない。

しかしある日、寝ているときにヒーターで布団が燃えかけ、死にそうな目に遭います。
「普通に生きていてもいつ死ぬかわからない」と思ったヨシカは、大人になったイチに会う決心をします。

海外にいる元クラスメイトの名前を使って勝手にSNSアカウントを作成し、本人になりきって同窓会を呼びかけるんですね。

このあたりの行動力は、とてもコミュ障の人がやることとは思えないのですが、ヨシカの必死さは伝わってきます。努力は実り、ヨシカは同窓会でイチと再会します。

大人になったイチと話すうち、彼が中学生時代に「いじめられていた」ことや、今でも根に持っていることがわかります。映画では省かれていましたが、原作では潔癖症を思わせる描写もありました。

ヨシカとイチは絶滅動物の話で盛り上がり、有頂天になるヨシカでしたが……。

「イチ君って、人のこと「君」って呼ぶ人?」
「ああ……ごめん。名前、何?」

思い込みが激しく、繊細で傷つきやすく、人の名前を覚えることが苦手なイチは、ヨシカそのもの。

外の世界と繋がるために一歩踏み出したつもりだったのに、そこは内側の世界だった。
ヨシカの愛は他人ではなく、自分自身に向けられたものでした。

ヨシカも、イチも、自分を愛することしかできない(子孫を残せない)絶滅動物だったのです。

外の世界と繋がるために

ここで、わたしが冒頭で抱いた違和感が解消されます。

ヨシカが親しげに話していたハンバーガーショップの店員、整体師、駅員、バスの乗客、釣りのおじさん。
彼らとのやりとりは、すべてヨシカの妄想でした。

現実のヨシカは、彼らと話したいと思っているだけで、毎回話しかけることができない。
どうしても外の世界(他者)と繋がることができない、孤独で内気な女性でした。

ヨシカが外の世界と繋がるためには、妄想のイチでも現実のイチでもない「自分とは違う誰か」が必要だったのです。

ヨシカがあれほど毛嫌いしていた「二」と付き合うことを決めたのは、「二」がヨシカには理解できない人だったから。今度こそ、他者(外の世界)と繋がるため。

でも、そう簡単にはいかないんですよね。
ヨシカは外の世界に裏切られ、傷つくことになる。

友達だと思っていた同僚の来留美が、「二」にヨシカの秘密(処女であること)を教えてしまうのです。ヨシカはせっかく繋がりかけた外の世界を切り離し、また内側の世界に引き返してしまう。

ヨシカが妊娠を装って産休を申請するくだりとか、もう痛々しくて見ていられないです。

外の世界(他者)と繋がることは、自分をさらけ出すことでもある。
恥ずかしいことのオンパレードです。

でもそんなことにいちいち傷ついて騒ぎ立てていたら、他人とは付き合えない。
ずっと自分の世界に引きこもっていたヨシカにとって、これは試練でした。

だけど、恥ずかしさのあまり「うわーっ」てなる気持ちや、これまで作り上げてきたものを全部ぶっ壊したくなる気持ち、わかるなぁ。

このへんの松岡茉優さんのキレっぷりもすごくよかったです。

タイトルの意味

ボロボロになりながらも、最後に外の世界(二)を選んだヨシカが愛おしいです。

「二」にいきなりむき出しの心をぶつけ、「受け取れ」というヨシカ。
乱暴で不器用で自分勝手だけど、初めてってこんなもんですよね。

ここで初めて、ヨシカは「二」を「霧島くん」と名前で呼びます。

ヨシカの胸についていた赤い付箋が霧島の濡れたシャツの上に落ち、水を吸ってなじんいく様子と、それに被さって聞こえてくる卓球のラリー音。

これは、ヨシカが外の世界(他者)と繋がったことを意味していると思われます。

霧島と向き合い、「勝手にふるえてろ」と言ってキスするヨシカ。
ここは原作とは少し異なります。

原作では、ヨシカが「勝手にふるえてろ」と言う相手は「現在のイチ」。
霧島に秘密がバレた直後、心の中で「イチなんか、勝手にふるえてろ」と言うのです。

現在のイチはヨシカの分身であり、ヨシカの思い出の中のイチを壊す存在でもありました。とすると、原作のヨシカは、自分自身に対して「勝手にふるえてろ」と言ったことになります。

内側の世界から踏み出し、外の世界と繋がろうとして怖がってふるえている自分に。

映画では霧島に向けて言うセリフに変えられていたけれど、わたしはやはり原作同様、ヨシカが自分を鼓舞する言葉のように聞こえました。

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