映画「インビクタス/負けざる者たち」詩が伝える“屈服しない心”とマンデラの“赦す心”

映画「インビクタス/負けざる者たち」ネタバレ感想

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映画「インビクタス/負けざる者たち」を観ました。

クリント・イーストウッドが監督した2009年公開の映画です。
いつものように、派手さはないけど心に染みる作品。

南アフリカのラグビーチームが1995年のワールドカップで優勝したときの実話がもとになっています。

南アフリカといえば、前回のラグビーワールドカップで日本が奇跡的勝利を収めた相手として今では誰もが知るところとなった〝ラグビーの強豪〟ですが、当時は国際試合から遠ざかり、チームは低迷していました。

なぜ国際試合から遠ざかっていたかというと、南アフリカ共和国が行っていたアパルトヘイト(人種隔離政策)に批判が集まるようになり、国際社会から制裁を受けていたからです。

その後、アパルトヘイトは終わり、27年間投獄されていた反アパルトヘイトの活動家ネルソン・マンデラが釈放され、1994年に初の黒人大統領となりました。

当時とても大きなニュースになり、連日報道されていたのでわたしもよく覚えています。

これは、大統領に就任したネルソン・マンデラが、白と黒に分断された国を“虹の国”に変えるため、ラグビーによって国民の共生を実現しようとした物語です。

作品概要

  • 製作国:アメリカ/南アフリカ
  • 上映時間:132分
  • 公開日:2009年12月11日(アメリカ)/2010年2月5日(日本)
  • 原題:Invictus
  • 監督:クリント・イーストウッド
  • 脚本:アンソニー・ペッカム
  • 原作:ジョン・カーリン
  • 音楽:カイル・イーストウッド/マイケル・スティーヴンス

あらすじ

大統領に就任したマンデラの悩みは、アパルトヘイト撤廃後も続く人種対立だった。国民の意識をまとめられるのはラグビーワールドカップでの優勝だと考えた彼は、弱体化したチームを立て直してもらうべく、キャプテンのフランソワにチームを託すのだが…。(U-NEXTより)

登場人物(キャスト)

ネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)
フランソワ・ピナール(マット・デイモン)
ジェイソン・シャバララ(トニー・キゴロギ)
リンガ・ムーンサミ(パトリック・モフォケン)
ヘンドリック・ボーイェンズ(マット・スターン)
エティエンヌ・フェイダー(ジュリアン・ルイス・ジョーンズ)
ブレンダ・マジブコ(アッジョア・アンドー)
ネリーン(マルグリット・ウィートリー)
メアリー(レレティ・クマロ)
Mr.ピナール(パトリック・リスター)
Mrs.ピナール(ペニー・ダウニー)
ジョエル・ストランスキー(スコット・イーストウッド)

感想と解説(ネタバレ有)

アパルトヘイトの象徴だったラグビー

象徴的だったのは、冒頭のシーン。

一本の道を挟んで、片方には整備されたグラウンドがあり、揃いのユニフォームを着た富裕層の白人たちがラグビーの練習しています。もう片方のグランドでは、貧困層の黒人の子どもたちが裸足でサッカーに興じている。

2つのグラウンドは、道路とフェンスで完全に隔てられています。

当時の南アフリカでは、英国発祥のラグビーは白人文化そのものであり、黒人選手が1人しかいない南アフリカ代表のラグビーチーム「スプリングボクス」はアパルトヘイトの象徴とされていました。

そのため南アフリカの黒人の間ではラグビーは不人気で、サッカーが主流のスポーツでした。

マンデラ政権になり、黒人たちは「スプリングボクス」のチーム名やユニフォームの変更を求めるのですが、マンデラはそれに反対します。

「アフリカーナー(ヨーロッパ系白人)はもはや敵ではない。彼らは我々と同じ南アフリカ人だ。民主主義における我々のパートナーだ。彼らにはスプリングボクスのラグビーは“宝物”。それを取り上げれば彼らの支持は得られず、我々は恐ろしい存在だという証明になってしまう。もっと大らかに彼らを驚かすのだ。憐れみ深さと、奥ゆかしさと、寛大な心で。それらは我々に対し、彼らが拒んだものばかり。だが今は卑屈な復讐を果たすときではない。我々の国家を築く時なのだ」

演説が素晴らしすぎて、そんな状況に立たされたことなんかないのに、グッときてしまいました。

排除することで変えるのではなく、受け入れることで変えていく。
かつて白人たちが自分たちにしたことを繰り返さない。

綺麗事に聞こえる言葉も、27年間投獄されていたネルソン・マンデラが語ると重く響く。
そのことを、マンデラ自身がよくわかっていたのだと思います。

“虹の国”の実現に向けて

南アフリカの白人と非白人(黒人、アジア系住民、混血民など)を隔離・分離するアパルトヘイトは、1948年に法律化され、1980年代後半まで続きました。

撤廃された後も、人種差別はそう簡単にはなくなりません。

マンデラは分断された国家を統一し、理想の国家“虹の国”を実現するために、国民の意識改革を行う必要がありました。そこで目をつけたのが、1995年に南アフリカで開催されるラグビーワールドカップです。

完全に政治利用ですよね。
あまりにもあけすけで、逆に清々しく感じるほどです。

マンデラは、低迷している南アフリカ代表のラグビーチーム「スプリングボクス」の主将フランソワを部屋に呼んで、英国由来のアフタヌーンティーをふるまいます。

最初はあっけにとられていたフランソワでしたが、部屋を出る頃にはすっかりマンデラに魅了されていました。

「国のためにワールドカップで優勝しろ」なんて、下手すると脅迫なんですが、見る側に嫌悪感を感じさせないよう絶妙なバランス感覚で描写されているところがすごいです。

以降、マンデラとフランソワは、重責を担って困難な状況に立ち向かうという共通の目的を持った同志として、奇妙な絆で結ばれることになります。

チームのPRのため、貧しい黒人の子どもたちにラグビーを教える選手たち。最初はイヤイヤだったのに、純粋に選手を慕い、ラグビーを楽しむ子どもたちと触れあうことで、選手たちの意識も変わっていく。

このあたりの描き方も決して押しつけがましくなく、淡々と“ラグビーを楽しむ選手と子どもたち”を見せるだけ。セリフもほとんどありません。

でも、見ているほうにも自然と変化が伝わってくるんですよね。

タイトルの意味

タイトルの「インビクタス(invictus)」は、ラテン語で「征服されない」「屈服しない」を意味します。

これは、マンデラが獄中生活での支えとしていたイギリスの詩人・ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩のタイトルでもあります。

ヘンリーは12歳で骨結核を患い、片足を切断。その後も入院生活を強いられるなど、さまざまな不運に見舞われました。これは彼が試練に立ち向かうときの、不屈の叫びを歌った詩です。

私を覆う漆黒の夜
鉄格子にひそむ奈落の闇
どんな神であれ感謝する
我が負けざる魂に
無惨な状況においてさえ
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ
血を流そうと決して頭は垂れまい
激しい怒りと涙の彼方には
恐ろしい死だけが迫る
だが長きにわたる脅しを受けてなお
私は何ひとつ恐れはしない
門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私が我が運命の支配者
我が魂の指揮官なのだ

ワールドカップの初戦に勝利したフランソワは、マンデラが投獄されていたロベン島収容所を訪れ、そのあまりにも小さな独房を見て彼の“不屈の精神”に思いをはせます。




マンデラの“赦す心”

決勝戦を前にして、フランソワが考えていたことは試合のことではなく、マンデラのことでした。

「考えていたんだ。30年も狭い監獄に入れられ、それでも人を赦せる心を」

わずか1分ほどの短いシーンであるにもかかわらず、印象深いシーンとなっていました。

寛容な心を持つことが大事だと頭ではわかっていても、感情的には難しい。27年の投獄生活を諦めずに生き抜いただけでも想像を絶するのに、それを赦すことがはたして自分にはできるだろうか?と考えさせられました。

イーストウッドがこの作品で描きたかったのは、おそらく人種差別でもラグビーでもなく、この「赦す心」だったのではないかと思います。

国民がひとつになる

フランソワ率いる「スプリングボクス」が勝ち進むにつれ、徐々に変化があらわれます。

ラグビーなんか!と全く興味を示さなかった黒人のSPたちが、白人のSPたちと一緒になって庭でラグビーに興じたり。

以前は敵チームを応援していた黒人たちが、観客席で白人と一緒に肩を組んで勝利を祝ったり。

競技場の外で警備している白人の警備員たちと、競技場に入れない貧しい黒人少年が一緒にラジオの実況を聞いて一喜一憂していたり。

フランソワが用意した決勝戦のチケットで、両親と妻と家政婦の黒人女性が一緒に観客席で応援したり。

「スプリングボクス」は決勝戦で強敵ニュージーランドを延長戦の末に倒し、ワールドカップ初出場でみごと初優勝を飾りました。実話とは思えないほどドラマチックですね。

マンデラは決勝戦の観客席で国民がひとつになる姿をまのあたりにし、幸せな気持ちで帰路につきます。道路は歓喜する国民たちであふれかえり、車はいっこうに前に進みません。

「ゆっくり行こう。急いではいない」と嬉しそうに喜ぶ国民たちを眺めるマンデラ。車を運転するSPたち(いつのまにか黒人と白人が一緒に乗っている)も、みんな笑っている。

未来への希望を感じさせる、感動的なラストシーンでした。

余談

この作品は、ネルソン・マンデラから「映画化されるならモーガン・フリーマンに演じてもらいたい」という指名を受けたモーガン・フリーマンが、マンデラと直接会い、自伝の映画化権を買ったことで制作が決定しました。

フリーマンは「許されざる者」「ミリオンダラー・ベイビー」で組んだイーストウッドに脚本を送り、監督を依頼したそうです。

ネルソン・マンデラは1993年にノーベル平和賞を受賞。
1999年に政治家を引退し、 2013年12月5日に95歳で亡くなりました。

囚人マンデラと白人看守グレゴリーの交流を描いた映画「マンデラの名もなき看守」もおすすめです。

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