ネタバレ解説*映画「砂の器(1974)」原作にない場面を最大の見せ場とした不朽の名作

映画「砂の器」感想

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1974年の映画「砂の器」を久しぶりに観ました。

祈りの幕が下りる時」を見たら、むしょうに「砂の器」が見たくなりまして。

そしたらフジテレビが「砂の器」をドラマ化するというニュースが入ってきて、驚きました。なんというタイミング。


参考
フジテレビ開局60周年ドラマ「砂の器」フジテレビ公式サイト

松本清張氏の原作小説が刊行されたのは1961年です。
以来何度も映像化され、その時々の時代に合わせて改変されてきました。

この作品をここまで有名にしたのは、1974年の映画です。
原点とも言える作品を見直してみて、改めて「名作」であることを確認しました。

30年以上前に読んだ原作のおぼろげな記憶と合わせて、感想および考察を述べたいと思います。

作品概要

  • 製作国:日本
  • 上映時間:143分
  • 公開日:1974年10月19日
  • 監督: 野村芳太郎(「八つ墓村」「鬼畜」)
  • 脚本: 橋本忍/山田洋次
  • 原作:松本清張『砂の器』
  • 音楽: 芥川也寸志/菅野光亮

あらすじ

ある日、国鉄蒲田操車場構内で扼殺死体が発見された。被害者の身許が分らず、捜査は難航した。が、事件を担当した警視庁刑事・今西と西蒲田署刑事・吉村は地道な聞き込みの結果、事件前夜、被害者と酒を飲んでいた若い男の存在に行き当たる。今西と吉村の2人は東北なまりの“カメダ”という言葉を数少ない手掛かりに、男の行方を追う。しかし2人の執念の捜査もなかなか実を結ばず、犯人へと繋がる有力な情報は得られない日々が続いた。いよいよ迷宮入りかと思われたとき、小さな新聞記事がきっかけとなって、捜査は急展開を見せ始めた。(Yahoo!映画より)

登場人物(キャスト)

今西栄太郎……丹波哲郎
警視庁捜査一課警部補。被害者が犯人に語ったと思われる「カメダ」にこだわり、粘り強い捜査で事件の真相に迫っていく。

吉村弘……森田健作
西蒲田警察署刑事課巡査。今西を尊敬し、共に捜査にあたる。犯人が着ていた白いスポーツシャツの行方を追い、理恵子に目をつける。

三木謙一……緒形拳
岡山で雑貨商を営んでいた男。蒲田操車場で何者かに撲殺される。島根県出雲地方にある亀嵩の駐在所で20年間巡査を務めていた。面倒見がよく、誰からも尊敬される立派な人物。

和賀英良……加藤剛
注目を浴びている若手音楽家。秋にアメリカでニューヨーク・フィルハーモニーを指揮することが決まっており、それまでにオーケストラとピアノのための組曲「宿命」を完成させようとしている。

高木理恵子……島田陽子
高級クラブ「ボヌール」のホステス。和賀の愛人。和賀の子どもを妊娠している。中央線の塩山付近で列車の窓から白い紙吹雪を降らせていたところを目撃されていたが、吉村が会いにいった日から行方不明になる。

田所佐知子……山口果林
前大蔵大臣・田所重喜の令嬢。和賀と婚約している。和賀が「宿命」を完成させれば結婚できると考え、「宿命」の完成を待ち望んでいる。

田所重喜……佐分利信
前大蔵大臣。和賀の後援者で、佐知子の父。三重県出身。三木謙一が伊勢で立ち寄った映画館「ひかり座」に写真が飾られている。

三木彰吉……松山省二
謙一の息子。養子のため血のつながりはなく、父・謙一が亀嵩で巡査を務めていた頃のことはほとんど知らない。現在は父親の後を継ぎ、夫婦で雑貨店を経営している。伊勢参りに出かけた謙一が帰ってこないため、捜索願いを出していた。

本浦千代吉……加藤嘉
亀嵩で三木謙一が助けた浮浪者。石川県上沼郡大畑村に暮らしていたが、ハンセン氏病を患い、昭和17年に息子の秀夫を連れて放浪の旅に出た。妻とは病が発症した際に別れ、以来男手ひとつで秀夫を育てている。

本浦秀夫(少年期)……春田和秀
千代吉の息子。6歳の時に父・千代吉と共に故郷・石川県を離れ、放浪の旅を続けていた。亀嵩で千代吉と共に三木謙一に保護されるが、千代吉が療養所へ入所した後、行方不明となる。

山下妙……菅井きん
千代吉の義理の姉。訪ねてきた今西に千代吉親子について語る。

桐原小十郎……笠智衆
亀嵩で算盤業を営む老人。三木謙一が駐在当時、最も親しくしていた人物。三木の人柄について、いかに徳のある人物であったかを今西に語る。

伊勢の映画館「ひかり座」支配人……渥美清
三木謙一が伊勢で立ち寄った映画館の支配人。当時上映していた作品を今西に教える。

原作について

この映画の原作は、松本清張氏の推理小説『砂の器』(1961年刊行)です。

原作を読んだのは30年ほど前――わたしが高校生のとき。
30年前でもかなり「古い」本でしたが、面白くて一気読みしました。

以下、干からびた記憶をもとに書いた感想です。
的外れな部分もあるかもしれません。ご了承ください。

映画が「親子の絆」に焦点を絞って情緒的に作り上げたのに対して、原作はあくまで推理小説でした。

今西刑事の「気が遠くなるほど」の労力を使った果てしない探査が延々と続いて、犯人に近づいたかと思えば振り出しに戻るという焦れったさに当時はぐいぐい引き込まれました。

「カメダ」の方言に迫るくだりや、列車の窓から捨てられた「紙吹雪」を探すくだりは、映画の何倍もスリリングで、ページをめくる手を止められないほどワクワクしましたね。

映画と大きく異なるのは、犯人とおぼしき人物が数名登場すること。
「ヌーボー・グループ」と呼ばれる若手芸術家たちです。

映画では序盤であっさり犯人が誰なのか予想がついてしまいますが、原作は最後までわからないようにミスリードが仕掛けられていて、高校生のわたしは簡単に騙されてしまいました。

映画でクローズアップされた「ハンセン病」に言及する箇所は、原作では少なかったと思います。ほとんど印象に残っていないので(当時はわたし自身の知識も乏しく、のちに映画を見てそういう病気だったのだとわかりました)

犯人は出世欲に駆られ、地位と名声を守るために何度も殺人を重ねる身勝手な人物で、映画で描かれたような「宿命」に苦しむ姿はなかったんじゃないかな。

原作を読んで犯人に同情する人は、あまりいないんじゃないかと思います。
わたしは原作を読んだ後に映画を見たので、かなり印象が違っていて驚きました。

感想と考察(ネタバレあり)

この映画を一度でも見たことがある人は、「宿命」という曲を忘れられなくなると思う。

心を強く揺さぶるもの悲しい旋律のこの組曲は、登場人物のひとりである和賀英良によって、後半の重要なシーンで演奏されます。

物語は、ある殺人事件を追う刑事の目線で描かれ、最後まで犯人の口から動機が語られることはありません。この「宿命」がすべてを語ることになります。

秋田の「羽後亀田」にいた男

昭和46年6月24日早朝、東京国鉄蒲田操車場構内で初老の男性の死体が発見されます。

男性が「バァーろん」と印刷されたマッチを持っていたことから、男性は殺される直前、若い男とバーにいたことがわかります。

バーのホステスは、男性が「ズーズー弁」で「カメダ」がどうしたとか「カメダ」は変わらない、などと話していたと証言。

警視庁は当初「カメダ」を人名と考えていましたが、捜査一課の今西警部補は地名ではないかと推測し、吉村刑事と共に秋田県の羽後亀田を訪れます。

しかし、地元の人々から「不審な男を見た」という証言を得るものの、有力な手がかりは得られませんでした。

この秋田での捜査は、映画では最後まで伏線回収されることなく終わっています。
「不審な男」とは誰だったのか、わからずじまいでした。

原作では警察が「カメダ」を手がかりに捜査していることを知った犯人が、捜査攪乱を狙って知り合いを秋田に行かせたことになっています。

東北弁と「カメダ」の謎

8月9日、被害男性は岡山に住む三木謙一と判明します。

息子の彰吉が、父・謙一が伊勢参りに出かけたまま帰らないと捜索願を出していました。

彰吉は父が人から恨みを買うような人間ではないこと、カメダという名前に心当たりがないこと、東北とは縁もゆかりもないことを話します。

それでも今西は「東北弁」と「カメダ」に、執拗にこだわり続けました。

今西は国立国語研究所で方言を研究している専門家を訪ね、島根県の出雲地方でも東北のズーズー弁に似た方言が使われていることを聞きます。

出雲地方の地図を調べると、「亀嵩」という地名がありました。

原作では映画では割とあっさり亀嵩という地名に行き着いていますが、原作では何度も空振りし、かなりの時間と労力をかけています。今西の苦労がしのばれると同時に言語学への好奇心も重なって、亀嵩が見つかったときは読んでいるこちらも感動を覚えました。原作でいちばん興奮したシーンでした。

「紙吹雪の女」の謎

一方、若手刑事の吉村は、犯人が着ていた「返り血を浴びた白いスポーツシャツ」を探していました。

ある日、吉村は新聞に掲載されていた「紙吹雪の女」という題のエッセイに目を留めます。

中央線の山梨県塩山付近で、ある女が列車の窓から白い紙切れを撒いているのを見た……という内容でした。吉村はその「紙吹雪」こそ「切り刻んだスポーツシャツ」ではないかと勘を働かせます。

エッセイの執筆者がその後ばったりその女性――高木理恵子と会ったと言うので、吉村は理恵子が働いている高級クラブへ足を運びますが、吉村に会った直後、理恵子は急に姿を消して行方不明になってしまいます。

理恵子は、作曲家・和賀英良の愛人でした。

この「紙吹雪」について、面白いエピソードがあります。
脚本を読んだ黒澤明監督が、「そんなものはトイレにジャーッと流せばいいじゃないか」と言ったという話。

思わず吹き出してしまいました。
ほんと、そうですよね!

なぜ伊勢から東京へ向かったのか?

被害者の三木謙一は、伊勢参りの途中で予定を変更し、東京へ向かっていました。

その理由を探るべく、今西は休暇を利用して自費で伊勢を訪れます。
伊勢の旅館に逗留中、三木謙一は2日連続で同じ映画館へ足を運んでいました。

三木謙一の足取りを時系列に並べてみると、こうなります。

6月10日 江見を出発。岡山、琴平、大阪、京都をまわる
6月19日 伊勢・二見浦に到着。扇屋旅館に泊まる
6月20日 伊勢参り。夜、映画館へ行く
6月21日 予定を変更し、再び映画館へ行く。夜行で東京へ向かう
6月22日 東京に到着。本浦秀夫に連絡し、会う。
6月23日 再び本浦秀夫と会い、父親と面会するよう説得を試みた結果、殺害される
6月24日 早朝、遺体となって発見される

最初、今西は三木謙一が見た「映画」の中に知り合いが映っていたのではないかと考えました。しかし、1日目と2日目とでは違う映画を流していたことがわかり、ほかの可能性を考えます。

真相は、映画館に飾られていた「写真」でした。
その写真に、三木謙一が今すぐ会いに行かなければならない相手が映っていたのです。

原作では2日とも同じ映画が流されていたため、今西は映画にヒントがあると考えて疑いません。東京へ戻り、映画会社に頼んで上映していた映画2本を見るけど手がかりなし。本編ではなく予告じゃないかと思い、予告も見るけど空振り。その後、今西が行ったときにはなかった写真が、当時の映画館に飾られていたことが判明します。写真にたどり着くまで、かなり長かったように記憶しています。

本浦秀夫の正体

三木謙一は、亀嵩の駐在所に巡査として勤務していた頃、村に流れ着いた親子を保護したことがありました。

その親子の名は、本浦千代吉と、本浦秀夫。

千代吉の出身地・石川県上沼郡を訪ねた今西は、千代吉がハンセン病を患っていたことを知ります。

病に対する差別と偏見によって村にいられなくなった千代吉は、6歳の秀夫を連れて放浪の旅に出ます。ここで重要なのは、当時の日本に、この親子が安住できる地がなかったということです。

放浪の末に亀嵩に流れ着いた親子は、三木巡査に保護されました。
千代吉は療養所に入れられることになり、親子は別れ別れになってしまいます。

三木巡査に引き取られた秀夫も逃亡し、それ以来、行方不明になりました。
この本浦秀夫が成長した姿が、和賀英良です。

秀夫は大阪で自転車屋を営む和賀夫婦に店員として雇われていましたが、空襲で和賀夫婦が亡くなり、戸籍の原簿が焼けたのをいいことに、戸籍を作り替えたのでした。

映画では和賀英良がコンサートで演奏する「宿命」にのせて、本浦親子の放浪の旅が情感豊かに描かれます。セリフではなく音楽で語り、映像で魅せる、この映画の最大の見どころです。

原作では映画のハイライトともいうべき場面ですが、原作ではわずか数行。今西が捜査会議で事務的に語るだけで、何の情緒もありません。映画の成功は、原作にはない「親子の旅」をスクリーンで鮮やかに描き切った点にあります。

ハンセン病とは

千代吉が患っていたハンセン病とは、どんな病気だったのか。
親子は、なぜ村を出て放浪しなければならなかったのか。

この物語の重要な鍵となる部分です。

ハンセン病
らい菌による感染症。進行すると手足や顔に後遺症が残った。感染力は極めて弱いが、国は1907年に法律を制定して患者の隔離を開始。患者は全国の国立療養所に強制収容され、堕胎や断種も強いられた。戦後、治療薬の普及で完治する病気になった後も隔離政策は96年の「らい予防法」廃止まで続き、差別を恐れた多くの入所者はその後も療養所で生涯を過ごした。(出典:朝日新聞掲載「キーワード」)

ハンセン病問題を知っているか否かで、この物語の犯人がなぜ罪を犯すに至ったのか、その理解度はずいぶん違ってくると思います。

戦前・戦後にわたって「無癩県運動」と呼ばれる社会運動が各自治体で積極的に展開されました。

県内からハンセン病をなくそうという目的で、ハンセン病患者を療養所に隔離・強制収容させたのです。各自治体が競うように「患者狩り」を行い、市民もこれにならいました。

この運動は人々にハンセン病に対する誤った認識を植え付け、さまざまな誤解を生み、偏見や差別、忌避観を定着させました。その結果、ハンセン病患者は居場所を失い、その家族までもが地域から排除され差別を受けたのです。

ちなみに現在は薬物療法による根治が可能となり、適切な治療を受ければ後遺症を残すこともありません。国内で罹患する人は年間で0〜1人だそうです。

なお、最近では樹木希林さんが主演をつとめた映画「あん」(2015年)で、現代のハンセン病問題が扱われています。

和賀が千代吉との面会を拒んだ理由

三木謙一を殺したのは、本浦秀夫=和賀英良でした。

音楽家として成功し、政治家の娘との結婚も約束され、順風満帆だった和賀は、自分の過去――それも決して口外できない過去を知る男がとつぜん目の前に現れ、激しく動揺したことでしょう。

しかもその男は、和賀に父・千代吉に会いに行くよう、しつこく要求してきます。

和賀が千代吉との面会を拒んだ理由には、千代吉の存在を世間に知られることを恐れただけでなく、「宿命」を完成させなければならないという強い思いもあったと思われます。

和賀は婚約者の佐知子に、「宿命」についてこう語っていました。

「生まれてきたこと。生きているということかもしれない」

父と別れたときから、和賀は過去を捨てて生きてきました。
本浦秀夫は、もうこの世のどこにも存在しない。

本浦秀夫として生まれながら別人として生きている今の自分だからこそ、「宿命」を完成させることができると考えたのではないでしょうか。

三木謙一が和賀に会いにいった理由

三木謙一は、亀嵩で千代吉を保護し療養所へ送った後、24年間も千代吉と文通を続けていました。

千代吉からの手紙には、「秀夫がどこにいるか知りたい」「秀夫に会いたい」という言葉ばかりが並び、謙一はその手紙を読むたびに心を痛めていたと思われます。

いつか会いにくるに違いないと、なんの根拠もない励ましの言葉を送るしかなかった。

伊勢の映画館で見た和賀の写真に秀夫の面影を見いだした謙一が、すぐに東京へ向かったのも腑に落ちます。秀夫に、父・千代吉が待っていることをどうしても伝えたかったのでしょう。

しかし、音楽家として地位と名声を手に入れ、アメリカでの成功を目前にしていた秀夫(和賀)は、それを拒みました。

三木謙一が和賀に殺された理由

三木謙一は真面目で情に厚く、正義感あふれる人物でした。
千代吉との再会を拒む和賀の気持ちが、彼には理解できなかったのでしょうね。

「首に縄つけてでも親父のところへ連れて行く」と凄む謙一の顔は、恐怖さえ感じるものでした。その結果、謙一は和賀に殺害されることになります。

原作では三木謙一は最初に和賀と会ったときに殺されています。原作では千代吉は亡くなっているので、三木が和賀に会いにきたのは単純に懐かしさからだったのではないでしょうか。

和賀の「宿命」が幕を閉じる

和賀は三木謙一を殺したことで、「宿命」からは逃れられないことを知りました。

もし和賀が三木謙一を殺していなかったら、「宿命」はここまでの作品にはならなかったのではないか……とも思ってしまいます。

「宿命」を完成させたがために、“和賀英良”はすべてを失うことになった。秀夫にとって父・千代吉との絆は、消そうとしても消すことができない「宿命」そのものだったのでしょう。

前半は汗と泥にまみれた昭和の刑事たちの地道な捜査が描かれ、後半は壮大な組曲と鮮やかな映像美で時間をたっぷりかけて親子の絆を描かれました。

特に後半の、捜査会議、コンサート、親子の放浪の旅を同時進行で見せるクライマックスは見事でしたね。謎解きの面白さに人間ドラマの感動が重なる映画ならではの構成でした。

映画の成功により、現在に至るまで何度も映像化されている「砂の器」。
その時代によって改変の仕方もさまざまですが、長く語り継がれる名作であることは間違いないと思います。

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