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感想と解説(ネタバレ有)
密室殺人を扱っているのに、重すぎず暗すぎず、テンポの良さと洒落たユーモアでぐいぐい引っ張っていく。その“軽やかさ”がとても心地よかったです。
予想を裏切るようなストーリーテリングも印象的。犯人探しよりも、その過程にある駆け引きや選択が描かれることで、単なる謎解き以上の面白さが生まれていました。
ビジュアルに潜むメッセージ
見せ方にも工夫が詰まっています。なかでも目を引くのが、円形に飾られたナイフのオブジェ。「Knives Out(ナイフを突き出せ)」というタイトル自体が攻撃や敵意を表す英語表現で、その“敵意”がいつ、誰に向くのかを視覚的に表現しています。
ナイフの円がブランの背後に来る構図などは、「敵意の中心」や「真相に迫る者に集中する疑念」を暗示してるようにも感じました。また、このナイフの円は、探偵ブランが語る「ドーナツの穴」の比喩とも重なっていて、事件の核心(穴)を埋める推理の象徴にもなっています。
ほかにも、屋敷にある小物ひとつひとつが登場人物の心理や関係性を視覚的に表していて、「見て楽しめる」伏線が随所にありました。
マルタが盗み聞きする場面のガラス戸にドクロが描かれていたり、彼女が屋敷に侵入するときに通る2階の隠し窓には《非難を逃れて》というタイトルのだまし絵があったり。
ハーランとマルタの選択
嘘と秘密だらけの人間関係の中で、ハーランと看護師のマルタは揺るぎない信頼関係で結ばれていました。
血縁ではないマルタにすべての遺産を託すと言うハーランの選択には、自分の死を“教育的なメッセージ”として使うという意図が込められていたように思います。
家族には依存から脱却して自立することを願い、マルタにはその誠実さを守る力を与えたかった。
彼は、罪に問われるかもしれないマルタのために、自分の死を「自殺」に偽装するという覚悟を決める。「正しさ」よりも「信頼」と「守りたい人」を優先したのです。
マルタはその遺産を手にしたことで、豪邸のバルコニーから家族を見下ろす立場になる。「MY HOUSE, MY RULES, MY COFFEE」のマグカップを手にしている姿は、ハーランの選択が彼女に“新しい力”を託したことをはっきり示しています。
家の中に潜む社会構造
スロンビー家の豪邸には、現代社会のひずみが凝縮されています。“持つ者”と“持たざる者”の対比が浮き彫りになっていて、そこにちょっとした毒がある。
看護師のマルタは移民の家系に生まれ、母親は不法滞在者として暮らしています。ハーランの家族たちは彼女に対して「家族同然」だと言うけれど、実際には出身国すら曖昧にしか覚えていない。表面的な関心しか持っていないのす。
彼女が遺産を相続するとわかったとたん態度が急変したことからも、“移民に親切にする自分たち”というポーズが、実は権力や財産の上に成り立っていたことがわかります。彼女がその構造を壊そうとすると、彼らは急に牙をむく。
さらに面白いのは、スロンビー家の豪邸がパキスタン人から買ったものだという設定。富裕層が“よそ者”から買った空間に住んでいて、その中でさらに別の“よそ者”を見下しているという、なんとも皮肉のきいた構図です。
登場人物の倫理的ジレンマ
この物語の登場人物は、それぞれが「何を優先するか」で立場がくっきり分かれていきます。
マルタは誠実であろうとする人。だからこそ、彼女の“嘘をつくと吐いてしまう”という設定が、物語の中で強い意味を持ってくる。正直であるということが彼女を守ってくれる。
逆に周囲の人たちは、言葉巧みに嘘をついて立場を守ろうとする。ランサムの手口はその最たるもの。薬をすり替えて祖父を殺し、マルタに罪をなすりつけるという冷酷な計画は、まさに“自己保身のための偽り”です。そして彼は、マルタが移民であることを理由に、優位に立てると信じていた。でもその思惑は外れる。
“正しいことを選べるかどうか”がそれぞれのキャラクターに試されていて、観る側も自然とその選択に向き合わされていく。そこが、この作品の奥行きを作っている気がします。
ブノワ・ブランという探偵像
名探偵ブノワ・ブランは、“謎解き役”というより、物語の中で一番人間らしい目線を持った存在として描かれていました。
南部訛りの語り口や「ドーナツの穴」理論など(ポアロのフランス語訛りや独特な語り口へのオマージュ)、一見するとユーモラスでとぼけた探偵にも見えますが、しっかりとした洞察力があって、嘘やごまかしに惑わされずに核心を突いてくる。
「あなたがしたことは一変ピッタリと穴にあてはまる。穴を埋める丸いドーナツだ。だが目を凝らすと、そのドーナツにも穴があるのが見えてきます。ただの丸じゃない。穴開きドーナツなんですよ。我々のドーナツは未完成だ」
彼はマルタの誠実さを見抜き、信じようとします。その判断は論理だけじゃなく、“人を見ている”からこそ可能だったこと。ラストで真相を語る場面も、事件の整理役としてだけでなく、観客の気持ちを代弁してくれる語り手として機能していました。
クラシックな探偵像を踏まえつつ、現代的な“やわらかさ”や“信頼へのまなざし”を持ったブランは、このシリーズの魅力を支える存在になっています。
“本物”とは何か?
本作には、「本物と偽物」というテーマが静かに流れています。これは犯人を見抜くためのヒントにもなっているし、登場人物たちの関係性や価値観にも深く関わってる気がします。
象徴的なのが、ランサムがマルタを刺そうとするシーン。彼がとっさに手に取ったナイフは先が引っ込む“偽物”で、マルタを殺すことはできませんでした。
これはハーランの「ランサムは小道具と本物の刃の区別がつかない」というセリフが伏線になっています。彼は巧みに人を操るけれど、誠実さや信頼といった“目に見えない本物”を理解できない人間なのだと。
「ランサムは昔の私によく似てる。自信家で愚かでなんというか甘ちゃんだ。人生をゲームとみなし後先を考えない。区別がつかないんだ。芝居の小道具と本物の刃のな」
それに対して、マルタは自分の価値観を大きく揺るがすような状況でも、誠実さを守り通した。彼女が“本物の信頼”や“人間性”を体現していたからこそ、最終的に力を手に入れるんです。
ナイフだけじゃなく、家族の絆や善意っぽい言葉、マルタへの優しい態度など、いろんなものが“偽物”だったんだなと感じます。表面的には美しくても、内側に“本物”を持たない人たちが、この物語の中で浮き彫りになっていく。その過程がちょっと痛快でもあります。
制作者の意図と作品のメッセージ
監督のライアン・ジョンソンは、アガサ・クリスティに影響を受けながらも、現代的な視点を取り入れたいと語っていました。ただ犯人を探すだけではなく、人間の選択や倫理観、そして社会の構造を描きたかったということです。
マルタの「嘘をつくと吐いてしまう」という少し変わった設定は、一種のファンタジー要素にも思えます。でもそれこそが、この作品のメッセージをわかりやすくするキーになっています。
正直であること、誠実さを貫くことが、結果的に彼女自身を守ってくれる。そんな世界観は、一種の理想像でもあり、見る人に「あなたならどうする?」と問いかけているようにも思えます。
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