ネタバレ「SHOGUN 将軍」全話あらすじ解説と感想・登場人物(キャスト)・予告動画

「SHOGUN 将軍」あらすじキャスト

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第1話に散りばめられた伏線

第1話では、初めて日本に降り立ったイギリス人・ジョン(按針)の目を通して世界中の視聴者に「戦国時代の日本」を見せると同時に、物語の終盤で鍵となる重要な要素が、伏線のように散りばめられていました。

切腹

まず「切腹」。もはや日本人にはベタすぎて、最近ではむしろ避ける傾向にある気がしますが、本作では真正面から描かれています。

虎永の家臣・宇佐見忠義の切腹は衝撃的でした。無礼な振る舞いをしただけで切腹を命じられ、生まれたばかりの赤ん坊まで殺され、御家断絶となる。

選択を間違えれば死ぬという、戦国時代の危うさと残酷さを序盤でしっかり見せることの意味もあり、「切腹」が終盤になって大きな鍵となることへの伏線でもありました。

この後、第8話、第9話、第10話でも「切腹」のシーンが登場しますが、いずれもシチュエーションが異なり、それぞれ全く違う意味を持つ「切腹」が描かれます。

本心を語らない日本人

スペイン人船乗りのロドリゲスは、日本人についてこう語っていました。

「日本にはこんな諺がある。“人には3つの心がある”。1つ目は口の中。世間に見せる心。2つ目は胸の中。友だけに見せる心。3つ目は見つからぬよう隠してある秘密の心。生き残りたければ、その心を誰にも見せるな」

日本人であるわたしにとってはあまり特別なことのようには思われませんが、海外から見れば日本人の「本心を隠す」「顔を使い分ける」というのは特異なんでしょうね。

本作では、その日本人の特徴が作品全体に生かされ、ストーリーを複雑にし、会話に緊張感を持たせ、登場人物をより魅力的にして大成功していたと思います。

その最たる人物が、徳川家康にインスパイアされた主人公・吉井虎永で、彼の「腹の中」は最後までわかりませんでした。

虎永のタカ

虎永が初登場するシーンで、彼は「鷹狩り」についてこう語っていました。

「こやつは太陽を背にして、獲物の目をくらませる。力を蓄え、襲いかかる時を待ち構えておる。相手は敵がすぐそばにおることすら、気づきもせぬ」

これは虎永の戦略そのもの。この言葉のとおり、彼は静かに策略をめぐらし、全10話を通して鋭い洞察力と人間観察で四面楚歌の窮地から抜け出します。

また、虎永はこのタカを“鉄の女子”と呼んで大切にしていました。第9話で鞠子が重要な務めを果たして死んだとき、虎永はタカを空に放しています。このことからも、このタカは鞠子のメタファーにもなっていたと言えます。

カトリックとプロテスタント

わたしを含む日本人の多くは「キリスト教の伝来」という認識しかありませんが、1549年に日本に伝来したのはカトリック。フランシスコ・ザビエルはスペインの宣教師で、カトリック教会内の組織であるイエズス会創立者のひとりです。

一方、本作に登場する按針ことジョン・ブラックソーンはイギリス人。同じキリスト教でも宗派が違い、カトリックとはバチバチに敵対しているプロテスタントです。

この頃のヨーロッパでは、プロテスタント(イギリス、オランダ)とカトリック(ポルトガル、スペイン)が戦争中。そんな中、ポルトガルは先に日本に到着し、アジア圏の貿易を独占していました。

イギリス人である按針は、カトリック(ポルトガル)から日本の所有権を奪うため、虎永を味方につけてポルトガルに戦争を仕掛けようと考えています。

虎永もまた、プロテスタント(カトリックにとっては異端者)である按針を利用してキリシタン大名を揺さぶり、五大老の結びつきを壊そうと画策する。こういう設定は日本の時代劇では見たことがなかったので、とても興味深く面白かったです。

そしてカトリックにもプロテスタントにも共通しているのが「自殺」を禁じていること。その彼らの目に「切腹」はどう映るのか。その点にも注目です。

登場人物それぞれの思惑

第2話と第3話では、按針をめぐって登場人物それぞれの思惑が明らかになり、動き始めます。虎永が味方をも欺く策略家であることが示され、終盤への布石になっていました。

石堂
彼にとっては虎永殺害が最優先事項。そのためには自分以外の大老たちの同意を得なければならないのですが、キリシタン大名である彼らは、虎永よりも先に異端者(按針)を断罪すべきと主張します。

キリシタン大名
ポルトガルと手を組んで財力と影響力を得た木山たちは、その力を保つためにもポルトガルの敵であるイギリス人の按針をのさばらせておくわけにはいかない。木山は按針を暗殺するため、執拗に命を狙います。

藪重
虎永の死を確信した藪重は石堂に取り入り、木山の手勢から按針を救い出します。石堂にとって按針は、虎永を葬った後に使える「駒」。大野と木山が手を組んで敵対勢力になったとき、保険になると考えたのです。

虎永
再び按針を手に入れた虎永は、按針を利用して石堂とキリシタン大名たちの関係を壊し、窮地を脱しようと企みます。

按針
虎永を味方につけたい按針は、ポルトガルのカトリック教徒たちがマカオに秘密の砦を築いていることや、彼らの最終目的が日本の植民地化であることを教えます。

ポルトガルの宣教師
アルヴィト司祭は、按針を排除するため彼の海賊行為が記されている日誌を虎永に提出。しかし虎永は、何度も自分の命を救ってくれた按針を旗本に取り立て、網代に連れ帰ります。

鞠子
キリシタンである鞠子は、カトリックを罵倒する按針を嫌っていましたが、主君である虎永のために務めを果たす(按針の通詞をする)ことを選びます。そのことが夫・文太郎との心の距離をますます深めていくことに。

日本人の価値観と死生観

第4話からは按針と鞠子の恋愛が中心となり、徐々に視点が終盤の重要人物である鞠子へと移り変わっていきます。

八重垣

日本での堅苦しい生活を受け入れられず、ふてくされる按針。最も印象的だったのは、鞠子が按針に説いた「八重垣」についての話(第4話)。

「子どもの頃から心の中に築くことを学ぶのです。必要な時に退避できる頑丈な壁を。耳ではなく、心で聴く修行をなさいませ。(中略)礼儀正しさや複雑な作法にだまされてはなりません。私たちの心ははるか彼方。安全で孤独な場所にある」

〝真実〟は心の奥深いところ――八重の垣根に守られた聖域にあり、礼儀や作法はうわべにすぎないということ。

このときの按針には全く理解できないようでしたが、鞠子とともに過ごしうちに按針の認識も変化してゆき、終盤では鞠子の〝真実〟を尊重して寄り添うようになります。

第6話に登場する能舞台の場面では、「能面」が「本心を隠すもの」として効果的に演出されていました。能舞台に重ね合わせるように落ち葉の方の過去(回想シーン)が描かれますが、彼女の本心は「能面」によって隠されているのです。

地震

鞠子が「地震」について按針に説明する場面(第4話)も重要です。

「滞在中、何度も経験されるはず。海から襲ってくる津波や、町や村を焼き尽くす大火事も。だから家は倒壊してもすぐに再建が可能。空や海、大地にも死は存在する。いつ何がおきてもおかしくない。余計な干渉はやめて、心にお留め置きを。この世に生まれ、やがて死ぬ。私たちはなすすべもない」

第5話では巨大地震が伊豆を襲い、網代の村は壊滅状態に。多くの命が犠牲になってしまいます。

おそらく初めて地震を経験した按針は、その惨状をまのあたりにしてようやく鞠子の言葉を理解したかもしれない。

最終話で、虎永は「わしは風を操ったりはせぬ。読むだけじゃ」と言っています。それは「なすすべもない」人生を受け入れながらも、どうにか生き抜くために虎永が習得した知恵なのでしょう。

また、本作で繰り返し「地震」が描かれるのは、虎永が戦乱の世を終わらせて太平の世を築くこと(=破壊と再建)を暗示しているようにも思えます。

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