映画「ひとよ」あらすじと感想|堂下のその後は小説版のラストに

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映画「ひとよ」のあらすじと感想です。

「凶悪」「孤狼の血」などで知られる白石和彌監督の最新作です。もう今や名前を知らない人はいませんよね。

2019年は「麻雀放浪記2020」「凪待ち」そして本作「ひとよ」の3作品が公開され、いずれも話題になりました。

本作はその白石監督が初めて「家族」をテーマにした意欲作。これまでに見られた暴力描写は封印され、血の繋がった家族の崩壊と再生を〝静〟的な映像表現で見事に描いたエンターテインメント作品です。

白石監督の作品は、グッドルッキングな俳優(男も女も)がみんな「カッコ悪く」なるところが好きです。やさぐれた佐藤健さん、最高でした。

作品概要

  • 製作国:日本
  • 上映時間:123分
  • 公開日:2019年11月8日
  • 原作:桑原裕子「ひとよ」
  • 脚本:高橋泉(「サニー/32」「坂道のアポロン」)
  • 監督:白石和彌(「彼女がその名を知らない鳥たち」「凪待ち」)

予告動画

原作について

この作品の原作は、桑原裕子さん率いる劇団KAKUTAの同名舞台「ひとよ」です。小説化もされました。

映画はプロデューサーの長谷川晴彦さんが舞台を見て感激したことから、企画がスタートしたそう。

原作者の桑原さんは、松岡茉優さん演じる三兄妹の長女・園子が勤めるスナックのママ役で映画にも出演されています。

登場人物(キャスト)

稲村雄二(佐藤健)
稲村家の次男。東京でうだつの上がらないフリーライターとして働きながら、小説家になることを夢見ている。母が帰宅したという知らせを受けて帰ってくるが、15年ぶりに会う母を受け入れられない。

稲村大樹(鈴木亮平)
稲村家の長男。妻の実家である電器店で働いている。兄妹で唯一の既婚者で、妻・二三子との間に幼い娘がいる。吃音症のため、人とのコミュニケーションが苦手。

稲村園子(松岡茉優)
稲村家の長女で末っ子。母が起こした事件により夢だった美容師を諦め、現在はスナックで働いている。待ちわびた母との再会を素直に喜ぶ。

稲村こはる(田中裕子)
稲村三兄妹の母親。元タクシー運転手。子供たちを守るために、暴力をふるう夫を殺してしまう。「15年経ったら必ず戻る」という約束を守り、突然帰ってくる。

稲村雄一(井上肇)
稲村三兄妹の父親。子供たちに日常的に暴力をふるっていた。15年前の雨の夜、耐えかねた妻こはるに轢き殺される。

堂下道生(佐々木蔵之介)
稲丸タクシーの新人運転手。別れた妻との間に17歳の息子がいる。久しぶりに息子と再会し、舞い上がる。

丸井進(音尾琢真)
こはるの甥。稲丸タクシーの社長。父親同様、稲村家を守ってきた。

柴田弓(筒井真理子)
稲丸タクシーの事務員。認知症の母に手を焼いている。

歌川要一(浅利陽介)
稲丸タクシーの運転手。雄二の同級生。弓と付き合っている。

牛久真貴(韓英恵)
稲丸タクシーの女性運転手。雄二の同級生。「モー」というあだ名で呼ばれている。

稲村二三子(MEGUMI)
大樹の妻。現在は別居中。大樹がひとりで悩みを抱え込み、何の相談もしてくれないことに苛立っている。

友國淳也(大悟)
稲丸タクシーに乗り合わせるチンピラ。堂下のかつての後輩。

あらすじ

土砂降りの雨の夜。三兄妹の母親で、タクシー運転手のこはる(田中裕子)は、子供たちに暴力をふるう夫・雄一(井上肇)をタクシーで轢き殺す。

「これからは自由に生きていける。何にだってなれる」子供たちにそう告げて、15年経ったら必ず帰ってくると約束し、こはるは警察に出頭する。

それから15年後。タクシー会社はこはるの親族が経営を引き継ぎ、「稲丸タクシー」として営業を続けていた。

長男・大樹(鈴木亮平)は地元の電器店の娘・二三子(MEGUMI)と結婚して雇われ専務になり、園子(松岡茉優)は美容師の夢を諦めて地元のスナックで働いていた。

次男・雄二(佐藤健)は東京で大衆雑誌のフリー記者として働いていたが、鳴かず飛ばずの状態で鬱屈した日々を送っていた。

父親が死んでちょうど15年経った日、母こはるが前触れもなく突然帰ってくる。大樹と園子は戸惑いつつも母を受け入れ、知らせを受けた雄二も帰郷する。

こはるはタクシー会社で働き始め、以前と変わらぬ態度で子供たちに接しようとする。だが殺人犯の子供と罵られ、思うように生きられない苦しみを抱えて今も葛藤する3人は、母との再会を素直に喜ぶことができない。

雄二は人生を狂わせた母親を許せず、事件の記事を書いて雑誌に掲載する。そのことでタクシー会社は再び嫌がらせを受け、大樹が殺人犯の息子であることを初めて知った妻・二三子は動揺する。

二三子と言い争いになり、思わず殴ってしまう大樹。死んだ父親と同じだとこはるに咎められた大樹は、「母さんは立派だから」とこはるを責める。

新人運転手の堂下(佐々木蔵之介)は、別れた妻と暮らす息子・和樹と久しぶりに再会。親子水入らずの楽しい一時を過ごす。

堂下は元暴力団員だったが、足を洗って出直そうとしていた。そこへかつての後輩・友國(大悟)が現れ、覚醒剤の運び屋の送迎を頼まれる。

一度だけのつもりで引き受ける堂下だったが、現れた運び屋は息子の和樹だった。和樹が薬物依存症であること、父親である自分を憎んでいることを知り、ショックを受ける堂下。

自暴自棄になった堂下は酒を飲んで泥酔し、こはるをタクシーの助手席に乗せて暴走する。連絡を受けた雄二はタクシーに乗り込み、大樹、園子とともに堂下のタクシーを追う。

堂下はこはるを道連れに海に飛び込んで自殺を図ろうとするが、追いついた雄二たちのタクシーに前方を阻まれ、2台のタクシーは衝突する。

激昂した雄二は、こはるを殺そうとした堂下に飛びかかる。堂下は雄二に息子の和樹を重ね、「親のせいにすれば満足か?」「記事を書いて母親を売ったくせに」と罵る。

雄二は「俺は成功しなきゃならないんだ」と言い、母親が殺人を犯してまで作ってくれた自由を無駄にするわけにはいかない、とこれまで秘めていた心の内を明かす。

堂下は息子と過ごした夜がどれほど楽しかったかを訴え、「あの夜は何だったんだ」と号泣する。こはるは「ただの夜ですよ。でも、自分にとって特別なら、それでいいじゃない」と告げる。

またいつもどおりの日常が訪れる。雄二は書きためていた事件の原稿を捨てる。園子は髪を切るため、裏庭で待つ母親のもとへ向かう。柔らかな日射しを受け、こはるは穏やかな表情で空を見上げていた。

雄二が東京へ戻る日がやってくる。次はお正月に帰ると約束し、4人で家族写真を撮る。タクシーに乗り、見送る家族を振り返る雄二。

感想(ネタバレ有)

ザワザワ、グラグラする理由

タイトル「ひとよ」は、〝一夜〟でもあり、〝人よ〟でもある。15年前に母が父を殺した夜からすべてが変わってしまった家族と、家族をとりまく人々を描いています。

子供たちを守るために夫を殺し、15年ぶりに帰ってきた母。母が〝聖母〟と報じられる一方で、人殺しの子供と罵られ、夢を手放すしかなかった子供たち。

終盤を除くほとんどのシーンが家の中、あるいはタクシー会社の敷地内という、人物の動きが極端に少ない作品だったのにもかかわらず、激しく心を揺さぶられました。

殴る蹴るの暴力シーンはごくわずか。荒々しい動きは少ないのに、登場人物の(時には無言の)一挙一動に、ずっと心がザワついていました。

特に前半の、互いに思っていることを声に出せない息苦しさ、画面に漲る圧力は〝暴力〟と言ってもいいほど。鈴木亮平さん演じる長男・大樹は、吃音症でうまく言葉にできず思いを溜め込むタイプで、見ているだけで苦しかった。

最初はずっと、彼らが「自分たちの人生を狂わせた母への恨み」を腹の底に隠し持っているからだと思って見ていたのですが、実はそうではないことがだんだんわかってきます。

セリフひとつとっても、本音のようで本音じゃない。真実だとしても、別の真実がある。それが伝わるので、見ている方もグラグラしている。その不安定さを堪能する作品でもあるかな、と感じました。

間違っていても謝らない母親

映画は15年前の〝ひと夜〟から始まります。大樹はパソコンを解体し、雄二はボイスレコーダーに小説のネタを吹き込み、園子は人形の髪を切っています。

母こはるが父を殺した夜。三兄妹はそれぞれが〝将来の夢〟を持ち、父親の暴力に傷つきながらも、いつかその夢が叶うことを信じていたのだと思います。

こはるは父親の暴力から子供たちを救い、誰にも邪魔されない自由な人生と、夢を手に入れる可能性を、彼らに与えたつもりでした。

しかし皮肉なことに、こはるが起こした事件によって、彼らは世間からつまはじきにされ、まともな仕事に就けなくなってしまいます。その結果、夢を手放すことになってしまった大樹と園子。

それでも15年ぶりに帰ってきたこはるは「私は間違ってない」と断言するのです。「自分のしたことを疑ったら、子供たちが迷子になる」と。

劇中、俺たちを巻き込むなという雄二に対して、音尾琢真さん演じるタクシー会社の社長・丸井が「くだらなくても間違ってても、巻き込まれてやれよ! こうやってでしか気持ちを伝えられない人でしょ?」と雄二に反論する場面がありました。

こはるが本当はどう思っているのか、この15年間をどんな思いで生きてきたのか、映画では最後までわかりません。

心の底では後悔しているのか、罪悪感を抱いているのか、あるいは何も感じていないのか。彼女の本当の気持ちは、誰にもわかりません。

でも、彼女は決意したのです。子供たちのために自分は謝らない、と。

罪を犯した母への複雑な感情

母が事件を起こした〝一夜〟を境に、子供たちの人生は一変しました。けれど、母に罪を犯させたのは自分たちだという思いが、母への憎しみにブレーキをかけます。

母を憎みたいのに、憎めない。憎んではいけない。うまくいかない人生をすべて母のせいにしたいのに、してはいけない。

母が自らを犠牲にして作ってくれた〝自由〟を手にしていながら、夢を叶えられず、もがき苦しんでいる自分への苛立ち。複雑に絡まった感情を、誰にもぶつけられないもどかしさ。あのどうしようもない息苦しさは、そんな母と子の呪縛から生まれていたんですね。

雄二が言った「おやじが生きてるほうが簡単だった。暴力に耐えてりゃいいんだもん」という傷ましいセリフが、すべてを物語っていると思いました。

雄二が夢にこだわった理由

早々に夢を諦めた大樹と園子に対して、雄二だけは小説家になることを今もまだ諦めていませんでした。

あの夜、雄二が手にしていたボイスレコーダーは、母が誕生日に買ってくれたもの。雄二がコンビニでエロ本(デラべっぴん)を万引きしたとき、雄二をかばって罪を被ってくれた母が手渡してくれたものでした。

ボイスレコーダーにはあの夜の母の声が録音されていて、雄二はその声をもとに「聖母は殺人者だった」という事件の記事を書きます。

母が買ってくれたボイスレコーダーで、母の声を使って、母が自分たちのために犯した罪を暴いて、小説家になる夢への足がかりにしようとしました。夢を叶えることだけが、母の思いに応える唯一の方法だと信じていたからです。

こはるに対していちばん冷淡に見えた雄二が、誰よりも母を忘れられず、母の思いに応えたいのに応えられない自分自身に苛立っていたんですね。

こはるにとっては、夢をかなえてもかなえなくても、子供たちが幸せならそれで満足だったと思うんですけどね…。

クラッシュした堂下のその後は…

稲村家の物語に外部から入り込み、重要なキーパーソンとなるのが佐々木蔵之介さん演じる新人のタクシー運転手・堂下です。

酒もタバコもやらない一見マジメな堂下ですが、実は暴力団員でアルコール依存症・薬物依存症だったという過去があり、別れた妻との間に高校生の息子がいました。

息子の和樹から「会いたい」と言われ、久しぶりに再会。2人で食事をしたり、バッティングセンターで遊んだりして楽しい〝ひと夜〟を過ごす堂下。

しかし息子はかつての後輩だった暴力団員と繋がっており、覚醒剤の運び屋にして薬物依存症であることが判明します。

こはるを拉致し、酒を飲んで暴走する堂下。堂下は稲村家の失われた父親の影となって、再び稲村家に襲いかかります。子供たちは今度こそ母親を守ろうとし、雄二は父親(堂下)に向かって秘めてきた思いを爆発させるのです。

ちなみにこの場面について、白石監督は以下のように語っています。

人間関係は、1回クラッシュしないと想いを伝えられないんじゃないかということの問いかけでもあるんです。それに他人が偶然にというよりは、堂下も堂下で自分の人生と向き合っていて、それが交差した瞬間だったということなんです。あそこを観て、「やりたい放題やりやがって」と思う人もいるかもしれないけれど、あそこで皆がぶつかり合うということは、僕にとってはすごく重要だったんです。

しかし残念ながら、稲村家が絆を取り戻し再生に向けて踏み出す一方で、堂下のその後は描かれません。彼と息子がどうなったのかは、最後までわからないままでした。

最後は稲村家の再出発を想起させる穏やかな日常風景で締めくくられましたが、わたしは堂下のその後が気になってしまって素直に喜べませんでしたね…。ラストシーンに彼の姿がないということが、暗い未来を暗示しているように思えてなりませんでした。

シリアスで重いテーマを扱いながらも、時折ユーモアを感じさせる場面が散りばめられていて(“デラべっぴん”をめぐるシーンには笑った)、あらゆる人に受け入れられやすい作品だと思います。個人的には苦手な暴力描写が少なかったのがありがたかったです。

白石監督の次回作はどんな作品だろう? と今から楽しみにしています。

【追記】小説版を読みました

小説版「ひとよ」を読んだので、感想を補足しておきます。

映画とは終盤の描き方が大きく異なっていました。小説版ではカーチェイスはありません。酔っ払った堂下が営業所で暴れて雄二と殴り合い、そのまま営業所の床で眠り込んでしまう…という流れ。

映画ではラストシーンに堂下の姿はありませんでしたが、小説版ではこはるが雄二たちに「クビにしないであげてね」と頼んでいます。

さらに衝撃的だったのが、映画版では描かれなかった母こはるの変化です。

映画ではこはるは最後まで本心を明かさず、「間違っていない」という決意を貫き、三兄弟と中庭で穏やかな日常の朝を迎えるという温かいラストでした。

しかし小説版では、こはるは中庭で崩れ落ち、はじめて感情を吐き出すように咆哮するのです。夫を殺しても元には戻らない大樹の曲がった指を見て、打ちのめされるのです。

こはるの人間としての心は、夫を殺した瞬間からずっと夜の中に囚われていたのかもしれません。夜が明けたとき、こはるは今までのようには生きていけないでしょう。今度は子供たちがこはるを助けていくのだと思います。

わたしは映画を見た段階では、こはるのとった行動と心情が理解できませんでした。なぜ人を殺して平気でいられるのか。自分が夫を殺せば子供たちが「殺人犯の子」として辛い目に遭うことを、なぜ想像できないのか、と。

小説版を読んで、彼女には想像したり計算したりする能力が欠けていることがわかり、目の前にある問題を自分が信じる一つの方法でしか解決することしかできない、非常に不器用でまっすぐな母親なのだと気づきました。

小説版のこはるが最後に心を取り戻し、人殺しの自分を受け入れて咆哮するシーンには、映画とはまた違う感動がありました。

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