映画「山桜」のあらすじと感想です。
時代劇映画の中ではイチオシの作品です。
久しぶりに観ましたが、やっぱりいいです。最高です。
映像、音楽、俳優さんたちの佇まい。言葉ではなく演技力で語られるストーリー。
何度見ても心を奪われる名作です。
見終わった直後は、「もう一生映画見なくてもいいわ…」とさえ思ってしまう(もちろんそんなことはない)。大好きな、わたしにとってかけがえのない作品です。
※ネタバレを含みます
作品概要
- 製作国:日本
- 上映時間:99分
- 公開日:2008年5月31日
- 監督: 篠原哲雄(「地下鉄(メトロ)に乗って」「小川の辺」「花戦さ」)
- 脚本:飯田健三郎/長谷川康夫
- 原作:藤沢周平「山桜」
- 音楽:四谷卯大
- 主題歌:一青窈「栞」
- 撮影:喜久村徳章(「柘榴坂の仇討」「花戦さ」)
あらすじ
江戸時代後期。嫁ぎ先で辛い日々を送っていた野江は、叔母の墓参りからの帰り道にある山桜の下で、かつて彼女に縁談を申し込んだ武士・弥一郎に出会う。彼が自分を気にかけてくれていたことを知り元気づけられる野江。しかし半年後、弥一郎が思わぬ事件を起こす。(映画.comより引用)
キャスト
磯村野江…田中麗奈
手塚弥一郎…東山紀之
浦井七左衛門…篠田三郎
浦井瑞江…檀ふみ
手塚志津…富司純子
浦井新之助…北条隆博
浦井勢津…南沢奈央
磯村左次衛門…高橋長英
磯村富代…永島暎子
磯村庄左衛門…千葉哲也
源吉…樋浦勉
諏訪平右衛門…村井国夫
保科忠右衛門…並樹史朗
堀井甚兵衛…石原和海
治平…松澤仁晶
さよ…村尾青空
原作について
この映画の原作は、藤沢周平さんの時代小説「山桜」です(『時雨みち』収録)。
藤沢さんの作品には、大きな特徴がありません。
強いて言えば、どこにでもありそうな話を端正に描いているところなのですが、1973年に「暗殺の年輪」で直木賞を受賞したときには、「平凡」「既成の組み合わせ」「これを契機に自分のスタイルを確立してほしい」と、審査員からは「新鮮味に乏しい」ことをさんざん指摘されていました。
受賞したのにこんなに褒められない人っているのかしら…。けれど、今となってはそれが藤沢さんの作品の特徴であり、美点だと思うのです。
わたしが藤沢さんの作品に出会ったのは、20代後半でした。無我夢中で読みあさり、数年の間にほとんどの作品を読みました。
当時、わたしは自分に愛想が尽きて、生き続けることが嫌になっていました。精神的に辛い日々を送ってたとき、藤沢さんの作品に救われたんです。
そのとき藤沢さんはもうこの世を去られていたけれど、そのときも今も心から感謝しています。
感想
「たそがれ清兵衛」を超えるもの
2002年、山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」が大ヒットしました。以来、つぎつぎと藤沢周平さんの小説が映像化されました。
映画は「隠し剣 鬼の爪」「武士の一分」「蝉しぐれ」。ドラマは「秘太刀 馬の骨」「よろずや平四郎活人剣」「風の果て」。
けれど、わたしが気に入るものは「たそがれ清兵衛」だけだった。思い入れの強い作家だけに、目が厳しくなってしまうんですね。
この「山桜」も、実はあまり期待せずに見たのです。どうせ原作にはかなわないだろうと。結果、見事に裏切ってくれました。
藤沢周平さんの長女である遠藤展子さんは、この映画を見たときの印象をこう語られています。
桜の花びらが舞うシーン一つとっても、映像と原作が一体化し、さらに篠原監督の世界が、見る人を幸せな気持ちにさせてくれる。そして暖かく包んでくれる、そんな風に感じながら拝見させていただきました。その気持ちを伝えると、「遠藤さん、だって原作通りですから。」と小滝氏は笑って答えてくださいました。(公式サイトより)
原稿用紙20枚の短編を映画に
原作の「山桜」は、どちらかといえば地味な作品です。たったの20ページですから。
でもね、わたしは藤沢さんの素晴らしさは、短編にこそ詰まっていると思うんです。多くの人に、そのことを知ってほしいと思っていました。
けれど、映画化するとなると、短編ではどうしても弱くなってしまう。
映画「たそがれ清兵衛」は、「たそがれ清兵衛」「祝い人助八」「竹光始末」の3作品(いずれも短編)が原作になっていて、複数作品を合わせることで設定を複雑にし、エピソードを増やしているんですよね。
ところが今回の「山桜」に至っては、短編一本に絞っています。余計なエピソードを加えていないため、設定もストーリーもシンプルです。
それによって、藤沢周平の美点ともいえる特徴が浮き彫りになっているのです。
たとえば、精錬巧緻な文章で紡がれる自然の美しさ。逆境に生きる名もなき人々のひたむきな心情。藤沢周平さんの世界が、そのままそこに広がっているようでした。
山桜のたもとで
映画が始まってすぐ、静けさに引き込まれました。
叔母の墓参りの帰り、野江は山桜のたもとで手塚弥一郎と名乗る武士と出会います。手塚は野江のことを知っていて、磯村家に嫁いだ野江を心配するようなそぶりを見せます。
余計な説明は一切ありません。ピアノとチェロだけの音楽が味わい深く、心に染みこんできます。
鳥の声。小川のせせらぎ。葉を揺らす風の音。土を踏む足音。すべての音が耳に心地よく流れてくる。
俳優の演技力、日常描写、美しい自然の風景だけで、淡々と進んでいくストーリーに、グイッと心を掴まれました。
手塚弥一郎は、野江が病で夫を亡くして実家に戻っていたとき、縁談を申し込んできた男でした。しかし野江は彼との縁談を断って、今の夫・磯村庄左衛門を選んだのです。
なぜ、手塚を選ばなかったんだろう…。手塚を選んでいたら、こんなことにはならなかったのに。
手塚に会ったとき、野江はとっさにそう思ったかもしれません。
手塚を選ばなかった理由
野江はこれまで、手塚に会ったことがありませんでした。
ただ「弟と同じ剣術道場に通っている」と聞いて、手塚を「粗野で乱暴な剣豪」と誤解したんですね。剣術家に対する完全なる思い込みです。
野江の父母も、娘の幸せを願って「今度こそ」という思いで磯村を選んだはずです。けれども、結局ふたたび不幸を選ぶことになってしまった…。
野江のような女性は、当時は珍しくなかったろうと思います。
現代では顔も知らない相手と結婚するなんて到底考えられないことですが、ほんの少し前までは当たり前だったんですよね。
許されない想い
手塚と再会したときから、野江はほのかに手塚を想うようになります。しかし人妻である野江がそんな気持ちを抱くことは、絶対に許されません。
野江の気持ちにいち早く気づいた母・瑞江が、手塚に手折ってもらった山桜を「その枝、お切りなさい。そのほうがスッキリします」と言うシーンにはドキッとさせられます。
野江が嫁いだ磯村家は、野江の実家よりも低い家柄でした。夫は藩の重臣に取り入って儲けようともくろむ最低の男で、野江を“出戻り”と罵ります。
さらに義母がまた「意地悪な姑」を絵に描いたような人で、何かと野江に辛くあたります。
それでも文句ひとつ言わず、黙々と仕える野江。もはや使用人のような扱い。下働きの源吉が野江に優しくしてくれるのが、唯一の救いです。
源吉の見せ方も秀逸でした。こういう下働きの人物をおざなりにしないところが、藤沢周平なんですよ。
手塚の決心
藩では凶作が続き、財政があやうくなっていました。野江の夫・磯村は、重臣の諏訪平右衛門に取り入ろうと必死です。
この諏訪という男がクセモノで。譜代の家柄を利用して藩の農政を都合良く仕切り、私服を肥やして豪邸を建て、遊興三昧の毎日を送っていました。
諏訪の悪行には誰もが気づいているのに、怖くて何も言えない。そのしわ寄せは、立場の弱い者――百姓たちに向かいます。
年貢を引き上げられ、自分たちが食べるものさえなく、死んでいく年寄りや子どもたち。
その様子を、ひとり手塚弥一郎だけが見つめている。そしてついに手塚は立ち上がり、城中で諏訪を斬ってしまうのです。
この殺陣のシーンは見どころのひとつです。手塚を演じている東山紀之さん、さすがの一言。どこから見ても剣豪です。武士です。
手塚は無口で(台詞はほとんどない)無表情で、感情を表に出さない頑なで実直な人物。潔癖すぎるほどにまっすぐな性格と、彼の心のうちで徐々に高まっていく義憤が、見ていて自然に伝わってきました。
離縁される野江
夫から手塚の凶行を聞かされた野江は、手塚の身を案じるあまり、夫に反抗的な態度を取ってしまいます。それがもとで、義母から出ていけと言われてしまう。
荷物をまとめ、朝早く磯村家を出ていく野江。見送るのは源吉ひとりでした。やっぱりいいですねー、源吉。
再び実家に戻った野江を、家族は何も言わずに受け入れてくれました。野江はもう一生他家に嫁ぐことはない、独りで生きていくことを考えます。
冬になっても手塚に裁きは下らず、牢の中でひたすら裁きを待ち続ける手塚。
手塚が農民たちのために諏訪を斬ったことは、周知の事実。その結果、年貢の引き上げ率はもとに戻されることになりました。
その手塚に厳しい処分を下せば、農民たちが黙っていない。とはいえ、城中での刃傷沙汰は重罪です。
結局、殿が帰国する来月までまって、判断を仰ぐことになったと言います。
野江は、手塚が許されることを願い、ひそかにお百度を踏みます。野江の必死な想いが切々と伝わってくるシーン。田中麗奈さんは、こういう繊細な役が本当にうまいんですよね。
回り道
雪が解け、草花が芽吹き、再び春がやってきます。
野江は独り身のまま死んだ叔母のことを、母に訊ねます。自分も叔母のように、いずれ孤独な死を迎えるのだろうと考えたのでしょうね。
叔母には決まった相手がいました。けれどその人は祝言を前に病で亡くなり、それ以来、叔母は独り身を通したのだと。
好きな人がいた叔母は、本当は幸せだったのかもしれない。私とは違う、とこぼした野江に、母はこう言います。
「いいえ。あなたは、ほんの少し回り道をしているだけなのですよ」
野江がたどり着いた場所
野江は再び山桜のある場所へ行きます。もちろん手塚はいません。通りすがりの人に桜を手折ってもらって、手塚の家に向かう野江。
母ひとり子ひとりだった手塚の家では、母の志津がひっそりと暮らしていました。あのことがあって以来、誰も訪ねてこなくなったと……。
志津は、手塚から野江の話を聞かされていたようで。野江が磯村の家に嫁いだことを怒っていた、と明かします。
「でも私は、あなたがいつかこうして、この家を訪ねて見えるのではないかと心待ちにしておりました」
長い回り道の末に、ようやく自分の居場所にたどり着いた野江。思わず、涙をこぼしてしまいます。
ラストに流れる一青窈さんの「栞」は希望を予感させますが、手塚のその後は描かれません。安易な結末を付け足すことなく、原作通りの結末にしたところが素晴らしい。
これ以上に胸を打つラストシーンはないと思います。
藤沢周平のまなざし
藤沢さんは、作品の中で「日本人はこうあるべき」「ひとの幸せとはこういうものだ」などという主張を決してしません。
抗いようのない運命に翻弄されながら懸命に生きる人々と共に立ち、ただただ真摯なまなざしで彼らの人生を見つめている。そんな気がするのです。
作品の中にその「まなざし」を感じるとき、私はなぜかとてもほっとするのです。この映画には、その「まなざし」が生きているように感じました。
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