NHKドラマ「遙かなる山の呼び声」感想|切なさと淋しさと貧しさが足りない

NHKドラマ「遙かなる山の呼び声」

「遙かなる山の呼び声」

どうも、夏蜜柑です。
NHKスーパープレミアムスペシャルドラマ「遙かなる山の呼び声」の感想です。

感想を書くのが難しい。

わたしはリメイク元の1980年の映画が大好きで、何度も見ているので、このドラマを新鮮な気持ちで見ることができませんでした。

どうしても前作と比べてしまい、感想も比較になってしまいます。
不本意なのですが、仕方がありません。前作の記憶を消すことはできないんですから。

名作のリメイクはする方も怖いけどされる方も怖い、と山田洋次さんがおっしゃっていましたが、見る方も怖いです。

夏蜜柑
北海道の景色はきれいでした。

1980年の映画「遙かなる山の呼び声」の感想はこちら↓

映画「遙かなる山の呼び声」映画「遙かなる山の呼び声」感想|日本映画史に残るラストシーン

あらすじ

  • 風見民子(常盤貴子)は3年前に夫・精二を亡くし、息子の武志を育てながら、義父の吉雄と北海道・中標津で酪農を営んでいる。嵐の夜、吉雄が行きずりの男(阿部寛)を連れて帰ってくる。怪しみつつも、仕方なく男を農機具小屋に泊める民子。
  • 翌朝、男は慣れた手つきで牛の世話をし、故障したバイクを修理して去っていく。後日、男は風見牧場に立ち寄り、民子の息子・武志(佐藤優太郞)から吉雄が入院していることを聞く。男は田島耕作と名乗り、吉雄が退院するまでここで働かせてほしいと言う。
  • 民子との結婚を望む実業家・虻田(筧利夫)は、無理やり民子を手に入れようとして耕作に追い返される。虻田は弟2人を連れて仕返しにやってくるが、あっけなく耕作に叩きのめされる。耕作に惚れ込んだ虻田は、耕作を「兄貴」と呼んで慕うようになる。
  • 吉雄が退院した後も、民子は耕作に「もう少しいてほしい」と頼む。武志はすっかり耕作に懐き、3人は親子のように楽しい休日を過ごす。耕作から妻と子供が死んだことを打ち明けられた民子は、耕作に心を許すようになる。
  • 町の文化祭で、武志はピアノを演奏する。耕作と民子に見守られながら、立派に演奏を終える武志。耕作は会場にいた刑事に「川崎の森山さんじゃないか?」と問われるが、「知りません」と答える。
  • その夜、耕作は民子に明日出ていくと告げる。耕作は2年前に人を殺し、警察に追われている身だった。借金を苦に自殺した妻を愚弄した金貸しの男を殴り、死なせたのだという。
  • 深夜、耕作は牛の様子がおかしいことに気づき、民子を呼びにいく。徹夜で牛の世話をし、獣医の手当で事なきを得るが、民子は思わず耕作にすがって「行かないで」と言う。翌朝、牧場を出る田島を警察のパトカーが迎えにくる。パトカーに乗り込む田島を泣きながら追いかける武志。
  • 1年後、耕作に懲役5年の判決が下る。裁判所には、傍聴する民子と虻田の姿があった。閉廷後、虻田がいきなり「天国の親父さんに報告しないとな」と叫び出す。「ずっとあの牧場で暮らしていくんだろ?あの男の帰りを待ちながら」という言葉に、耕作と目を合わせて力強く頷く民子。
  • 中標津では、叔母の鈴江(高畑淳子)が仏壇に置いた吉雄と精二の写真に話しかけていた。武志は牛たちが草を食む草原で耕作からもらった鹿笛を吹く。

感想

前作に比べると、なんだか薄味になってしまったなぁという印象です。
わたしの好きな要素が、ことごとく削り取られていました。

ただ、それは致し方ないことのように思えます。
出演者や脚本やスタッフが悪いということではなく。

この物語には、あの時代にしかないものが多すぎた。
現代版を作るにあたって今の時代にはないものを消したら、薄味になってしまうのは当然だと思います。

夏蜜柑
38年も前の物語ですからね…。

時代の変化をまざまざと突き付けられて、それがとても淋しくて、なんともやるせない気持ちになりました。

切なさと淋しさと貧しさが足りない

この物語の根底に流れているのは、切なさと淋しさと貧しさでした。
しかし現代版では、それらが全くと言っていいほど感じられなかった。

映画版の民子は女手ひとつで息子を育て、ひとりで牧場経営を続けていました。
その苦労は生半可なものではなく、見ている方にも「いつか倒れるんじゃないか」と思わせるほどでした。

親子が住んでいる家もボロボロで、吹っ飛びそうなほど簡易な作り。
華奢で見るからに弱々しい民子は、いつ酪農をやめてもおかしくなかった。

現代版の民子からは、貧しさや苦労が漂ってこないんですよね。
年をとっているとはいえ義父という男手があり、すぐ近くに叔母もいる。

結婚を反対されて、駆け落ち同然に九州からたったひとり北海道に嫁いできた映画版民子の孤独と苦労は、ここにはない。

それは耕作にも言えることで、高そうなピカピカのバイクにまたがって旅をしている耕作に、警察に追われて逃げている人間の切実さや、幼い頃から不幸に見舞われ続けた不運な男の悲壮感はありません。

ギリギリの状況に追い込まれている2人は、心が寄り添うように強く惹かれ合った。
見ているこちらの胸にもひたひたと伝わってくる、孤独と切なさ……。

そこがたまらなくよかったのに~。

現代版の2人がなぜ惹かれ合ったのか、よくわかりませんでした。

昭和の貧しさを平成に持ち込んでも違和感があるのはわかります。
ならばほかの要素で、2人の背景を匂わせることはできなかったのでしょうか。

民子も耕作も今風といえば今風なのですが、この物語には軽すぎる。
もう少し重い人物設定のほうがしっくりくる気がします。

民子が強い女性になっていた

映画版の民子(倍賞千恵子さん)はまさに昭和の女。
亡き夫が残した牧場を守ろうとする、健気でか弱い女性です。

いきなり現れた耕作に対してもそう。
強気な発言をしていても、実は不安で怖くて仕方がない。

映画版の民子にとって、耕作はおそらく最大の不安材料だったでしょう。

ところがその耕作が、「ひとりで牧場を続けていくことへの不安」と「女手ひとつで武志を育て上げることへの不安」を消す存在になっていく。

38年前の女性が抱く「ひとりで生きていく不安」と、現代の女性が抱くそれは、おそらく大きくかけ離れていると思います。

常盤貴子さん演じる民子には現代の女性の強さがあり、彼女が抱く不安は、38年前の民子ほど切実ではないように感じるのです。

そのせいか、民子が耕作に「時々つらいの」と弱音を吐く場面や、「行かないで」とすがる場面が、胸に迫ってこない。

そういうセリフが似合うのは、やっぱり貧しくて淋しくて健気な“昭和の女”のように思います。

ラストシーンで泣かない男

さて、問題のラストシーンです。

映画版のラストは、耕作が護送される列車に民子と虻田が乗り込み、他人のフリをして会話をしながら耕作に想いを伝えるという日本映画屈指の名シーンでした。

しかし現代版は、列車の中ではなく法廷でそのやりとりが行われました。
今でも列車での護送はありそうですけどねぇ……どうして変えたんだろう。

ちょっとその辺の事情はわかりません。

でもゴメンナサイ。
さすがに法廷でのドタバタしたやりとりは興ざめでした。ぜんぜん感動できなかった。

映画版では、子供の頃から辛い目に遭っても絶対に泣かなかった耕作が、民子の告白を聞いて涙をこらえることができず、泣いてしまうのです。その瞬間、こちらも号泣です。

でも、現代版の耕作は泣きませんでした。
「子供の頃から絶対に泣かなかった」というエピソードも省かれていました。

昭和の男が泣くことには意味があるけれど、平成の男が泣くことには意味がないのかもしれません。

残念な改変

最後に、わたしが残念だった改変をあげておきます。

  1. 耕作が武志を乗せるのが馬ではなくバイクになっていた
  2. 耕作が草競馬で優勝するシーンがなかった
  3. 民子がギックリ腰で入院するシーンがなかった
  4. 民子の弟夫婦と人工授精師が登場しなかった
  5. 耕作の兄が登場しなかった
  6. 民子が耕作を家に誘うシーンがなかった
  7. 民子の義父が登場した

「6」は、映画版の民子が耕作のことを家族として受け入れ、家で寝るように促すシーン。
これがあったから、耕作は自首を決めたのだと思っていたのですが……。

民子の気持ちを受け入れたくても受け入れられない、自分にはその資格がない、と。

現代版の耕作は、どうして民子の家を出ようと思ったのか。
警察の捜査が迫ってきて、逃げられないと観念したのか。逃げることに疲れたのか。

だとしたら、映画版とはまったく違う理由で民子のもとを離れたことになる。
そのあたりの耕作の心の動きが、不透明に感じました。

「7」は、今回の脚本を手がけた山田洋次さんが、特番で触れていましたね。

義父はひそかに民子を女として見るようになっていたけれど、そこへ民子の心を奪う男が現れた。義父という存在を加えることで、現代版ならではの新しい人間模様を描きたかったと。

うーーーん。
確かに新しいものにはなっていたけど、そのせいで民子の孤独が消えてしまったのよ。

切なさと淋しさと貧しさが消えた「遙かなる山の呼び声」は、残念ながら、わたしの心を揺さぶることはありませんでした。

このドラマは、U-NEXTで視聴可能です。※最新の配信状況と料金はU-NEXTサイトにてご確認ください

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