12月24日放送の2018年版「犬神家の一族」を見ました。
良くも悪くもイマドキの犬神家でしたね。
綺麗な画面からは昭和の匂いがすっかり消えてしまっていたし、加藤シゲアキさん演じる金田一耕助は若くて明るすぎる感じがしたけど、平成が終わる今の時代に作るものとしてはこれもアリかなぁと、肯定的に見ていました。
ただ、ラスト30分でガクッとはなりました (´・ω・`)
今回はドラマを振り返りつつ、原作との違い、および1976年映画版との違いなどを解説していきたいと思います。原作ネタバレはこちらを見てください。
キャスト
金田一耕助……加藤シゲアキ (NEWS)
犬神佐清……賀来賢人
野々宮珠世……高梨臨
犬神松子……黒木瞳
犬神竹子……松田美由紀
犬神梅子……りょう
犬神寅之助……佐戸井けん太
犬神幸吉……板尾創路
犬神佐武……笠原秀幸
犬神佐智……坂口涼太郎
猿蔵……大倉孝二
宮川香琴……梶芽衣子
青沼菊乃……安藤聖
大山泰輔……品川徹
若林豊一郎……少路勇介
弥助……田鍋謙一郎
美代……平祐奈
藤崎正一……梶原善
多田浩二……薮宏太
古館恭三……小野武彦
橘重蔵……生瀬勝久
犬神佐兵衛……里見浩太朗(特別出演)
青臭さを残す金田一耕助
犬神佐兵衛が亡くなり、金田一耕助が「那須ホテル」にやってきます。ドラマでは言及されてませんでしたが、原作では佐兵衛の死から8か月後。1976年映画版では7か月後でした。
「那須ホテル」の外観が1976年映画版とそっくり!と思ったら、同じロケ地でした。
長野県佐久市で現在も営業されている「井出野屋旅館」だそうです。
ここでちょっとした推理を披露し「名探偵」をアピールする金田一。
ホームズみたいなこのシーンは、ドラマのオリジナルでした。
ホテルの女中・美代を演じるのは、平祐奈さん。
原作では影の薄いこの女中をキャラ立ちさせたのは、1976年映画版の坂口良子さん(当時21歳)ですよね。石坂浩二さん演じる金田一とのコミカルなやりとりが微笑ましくて印象的でした。平さんも可愛いけど坂口さんも可愛いかった。
珠世(高梨臨さん)の乗ったボートが沈みかけるのを目撃して助けにいくところから、ホテルに戻ってきたら若林が死んでいたところまで、ほぼ映画と同じ。
違っていたのは、橘署長の金田一に対する態度です。
金田一を「おまえ」呼ばわりし、あからさまにバカにする橘署長。なんか新鮮。
橘署長の金田一に対する態度が、物語の進展と共に変化していくのが面白かったです。
加藤シゲアキさんの実年齢が原作の設定より若いので、これもアリだなぁと。
前述の名探偵アピールも含め、“ちょっと青臭さを残す金田一”を演出しているのかな。
スケキヨも菊人形もズレている
白いゴムマスク姿のスケキヨ登場。
これわたしが子どものころはめっちゃ怖かったんだけど、今や怖いというより笑える。
原作から受ける仮面のイメージはもっと「素顔寄り」で、たぶん遠目にはわからないような精巧なものだと思うんですけど、1974年映画版のイメージが定着しましたよね。
原作では松子が「珠世さんに昔のことを思い出してもらうため」という理由で作った親心満載のそっくりさん仮面なのに、これじゃ思い出に浸るどころかトラウマになるよ…。
一同が揃う奥座敷で遺言状が発表されたあと、佐兵衛と珠世、野々宮夫妻との関係、「斧、琴、菊」の意味については古館弁護士が金田一に説明しました。
原作とも1976年映画版とも違うのは、珠世が佐兵衛の養子になっている点。前の両作品では、珠世は「特別待遇を受けている居候」だったんですよね。なので、ますます遺言状の謎が深まったわけです。
そうこうするうちに佐武が殺されます。
菊人形の首が生首にすげ替えられているという、これまた強烈なシーン。
1976年映画版はいかにも作り物って感じの生首だったんですけど、今ならさぞや精巧で生々しい生首が登場することだろう…と期待したのですが、意外とチープな生首でした。
地上波だし、あんまり本物っぽく作ると問題ありってことで、あえて微妙なラインで留めたのかも。
「菊畑」が暗示するもの
原作によると、この菊人形は歌舞伎の「菊畑」の一場面を模しています。
「菊畑」は、鬼一法眼(佐兵衛)が持つ「虎の巻」を手に入れるため、身分を偽って館に潜入した牛若丸(佐清)に、鬼一の娘・皆鶴姫(珠世)が恋をするという話。
鬼一の弟子の笠原湛海(佐武)は、皆鶴姫を娶って家を乗っ取ろうとしている敵役です。娘の思いを知った鬼一は、「虎の巻」を皆鶴姫に与え、いずれ夫となる者(牛若丸)の手に渡るだろうと暗示して自害します。
犬神家の状況と、そっくりそのまま当てはまりますよね。
原作の金田一は、佐兵衛はかねてから珠世と佐清が夫婦になることを願っていたのではないか、その思いを察していた猿蔵は、犬神家の遺産相続争いに抗議する意味で人形を作ったのではないか……と想像しています。
登場しなかった「柏屋」
仮面の男がアヤシイということで、手形を押させる一同。
しかし、手形は神社に奉納されていた佐清の手形と一致し、スケキヨ本人であることが証明されます。
原作でも1976年版映画でも、スケキヨが手形を押してから鑑定結果が出るまでの間に、「柏屋の主の証言」が出てくるのですが、今回のドラマではばっさりカットされていました。
ドラマにはなかったけど、原作および1976年映画版では、佐武の胴体はボートで運ばれています。そのボートが発見された場所の近くにあったのが、「柏屋」という旅館。
その日、復員服の男が「柏屋」に泊まったという亭主の証言があって、復員服の男=犯人というミスリードが展開されるわけです。このトリック、ちょっと不気味で面白いんですけど、ややこしいから省かれたのかな。
あと佐武の通夜のシーンもカットされていました。
原作では、ここで佐兵衛と野々宮大弐の男色関係が大山神主によって語られます。
1976年映画版では、小夜子が珠世に佐智との関係を問い詰め、自身が佐智の子を妊娠していることを告げています。
呪いの裏に隠された松子の心情
で、次に佐智が殺される。
1976年映画版では、佐智の死体を発見したのは小夜子(佐武の妹で、佐智の恋人)でしたが、今回のドラマでは小夜子の存在そのものがカットされているので、代わりに佐智の母・梅子が発見。
原作では、佐智は空き家で縛られた状態で死んでいるところを、探しにきた金田一や署長らに発見されてます。
「これは呪いだ」とわめき出す梅子と竹子。
30年前、松子、竹子、梅子が父・佐兵衛の愛人である青沼菊乃に憎悪を燃やし、酷い仕打ちを行ったことが語られます。ドラマでは回想シーンでしたが、1976年版では竹子が語っていました。
ここ、ドラマや映画では「斧、菊、琴」の呪いを生んだ壮絶な修羅場として恐怖を煽る演出になっていますが、原作では松子自身によって、かなり詳しくそこに至る経緯と心情が語られています。
この長い語りがなかったら、松子が父である佐兵衛を心底恨み、スケキヨのために殺人を犯す気持ちが腑に落ちなかったかもしれません。
青沼菊乃は、今回のドラマも1976年版と同じく死亡したことになっていますが、原作では消息不明。のちに宮川香琴(琴の師匠)として生きていることがわかります。
原作と映像との大きな違いは、青沼菊乃・静馬親子の扱い方ですね。
その理由はのちほど。
今回のドラマでは、ここで竹子、梅子が退場。最後の謎解きのシーンには登場しませんでした。
逆さ死体の見立ては原作どおり
珠世とスケキヨの結婚を望む松子でしたが、珠世にあっさり断られてしまいます。
ここでスケキヨ(仮面の男)が松子に正体を明かし、静馬であることを名乗ります。
1976年版と同じ展開ですが、原作にはない場面。
そして、あの有名な「水面からニョッキリ突き出た逆さ足」のシーン。
1976年映画版では、斧で殺されたことになっていましたが、原作の見立ては今回のドラマとまったく同じ。スケキヨを逆さにして「ヨキスケ」、その半分が沈んでいるので「ヨキ」だと金田一が推理しています。
その工作を考えたのは、なんと猿蔵! 松子に脅されてやったらしいけど、これはちょっと驚いた。原作でも映画でも、松子がひとりで考えてやったことになってます。
死体の指紋が手形と一致せず、本物のスケキヨが現れて珠世に「わが告白」を渡すところは映画と同じ。原作ではスケキヨが犯人になりきるために、珠世を殺すフリをして雪ヶ峰に逃走しています。
佐兵衛がピュアなおじいちゃんになった
さて、問題はここから。
本物のスケキヨが現れ、湖で死んだ男は青沼静馬だと判明します。
すべての殺人事件の犯人は、松子。
金田一は犬神家の奥座敷に一同を集め(といっても松子と珠世、橘署長と古館弁護士だけなのでなんとも寂しい)、遺言状の謎について語ります。
佐兵衛は恩人である野々宮大弐の妻・晴世に淡い恋心を抱いていた。
晴世と青沼菊乃は同じ故郷の出身だった。
ふたりの面影を重ね、ふたりを心から愛した。
だから初恋の人の孫である珠世と、菊乃の息子である静馬に遺産を残した。
こ、これは…苦しい…。
色と欲の権化だった佐兵衛翁が、いつのまにかピュアなおじいちゃんになっているではないですか。
原作では佐兵衛と晴世は事実上の夫婦で、珠世は実の孫。
佐兵衛と男色関係を結んだ大弐は、妻と佐兵衛の仲を認めていたんです。
佐兵衛が正妻を迎えなかったのも、松子たちの母親を道具扱いしたのも、晴世に義理立てしたから。青沼菊乃は、晴世のいとこの子どもでした。
そういうドロドロした背景は、コンプライアンス的にまずかったんでしょうか。
でもこれがなくなったら、横溝正史ではなくなってしまうのよ…。
平成も終わるこの時代、それも仕方のないことなのでしょうか。
そのうち地上波で放送できなくなりそう。
菊乃と静馬の怨念は制作側の狙い
今回のドラマでも1976年映画版でも、青沼菊乃・静馬親子の犬神家に対する怨念は、原作のそれをはるかに上回っています。
原作の菊乃は、宮川香琴と名前を変えて、琴の師匠として松子の前に現れます。
しかし復讐することが目的ではなく、あくまで偶然なんですよね。
「那須から伊那にかけては、わたくしの生涯足を踏み入れたくない場所でございます。ましてやお弟子さんのなかに、こちらの松子さまがいらっしゃるときいたとき、わたくし、もうふるえあがって……(略)。そのとき、わたくし考えたのでございます。あれからもう三十年もたっていることだし、名前も境遇も顔かたちも、このとおりすっかり変わってしまって……」
角川文庫「犬神家の一族」より抜粋
ドラマや映画などの映像作品では、演出上「呪い」を際立たせたいという狙いがあったのだと思います。だから菊乃を「犬神家を呪ったまま死んだ」という設定に変えたのでしょう。
そうして、息子の静馬が母の呪いを受け継ぎ、恨みを晴らすために犬神家にやってくる。
しかし静馬もまた、原作では呪いの言葉を吐いてはいません。
「前線ではふるい怨恨を忘れてしまいます。静馬君も旧怨をわすれて手を握ってくれました。その当座、たがいに行き来して、自分たちの過去のことを語り合うのを楽しみにしていたんですが、そのうちに戦争がしだいに苛烈になってきて、私たちは別れ別れになってしまったのです」
「そのことがあって以来、私たちは主客まったく転倒してしまったんです。それまでは私が責め、静馬君がおろおろしていたんですが、こんどはそれが逆になりました。静馬君はけっして悪人ではないのですが、母たちに対する恨みはふかかった。かれは私に身をひけと迫りました」
角川文庫「犬神家の一族」より抜粋
静馬が松子に正体を明かしたのは、珠世と結婚することを松子にせかされたからです。
静馬は珠世が佐兵衛の孫だと知って、躊躇していました。
それが事実なら、珠世は静馬の姪にあたるからです。
静馬は姪である珠世とは結婚できないと思い、その理由を松子に打ち明けたのです。
原作の静馬は、ドラマや映画ほど酷い人間には思えないんですよね。
だから映像ではこのシーンを省いているのでしょう。静馬を完全な悪者にするために。
遠ざかる昭和の匂い
軽いタッチの金田一シリーズも悪くはないけど、昭和世代にはあっさりしすぎていて物足りなさを感じてしまいました。やはり1976年の映画はよくできていたなぁ、と改めて思います。
作品が書かれた時代がどんどん遠ざかっているのだから、違和感を覚えるのは当然なんだけど。
「モンテ・クリスト伯」のように現代に合わせて大幅改変して面白くなるケースもあるし、工夫次第なのかなぁとも思いました。制作側にもいろいろ事情があるのでしょうけども。
でも未だにこうして新しいドラマが作られるのは、喜ばしいことです。
忘れ去られるよりずっといいです。
というわけで、次回も金田一シリーズがドラマ化されたら見ると思います。
金田一シリーズの記事