NHK「犬神家の一族」ネタバレ考察・感想・原作映画比較

NHKドラマ「犬神家の一族」あらすじキャスト

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後編のあらすじ

珠世は佐智と恋愛関係にならないことを小夜子に約束して部屋に戻り、兵隊姿の男と遭遇する。叫び声を聞きつけた猿蔵が男を捕まえようとするが、逃げられてしまう。金田一らが湖のほうへ向かうと、ゴムマスクを取った佐清が現れる。

靴跡から、珠世の部屋に忍び込んだ男は柏屋に泊まっていた「山田三平」と判明。金田一は犯人の目的を、珠世の部屋から懐中時計を盗み出すことだったのではないかと推測する。

翌日、佐智はボート遊びをしていた珠世を薬で眠らせ、廃屋に連れ込んで暴行しようともくろむ。だがそこに兵隊姿の男が現れ、佐智を殴って珠世を救う。男から連絡を受けた猿蔵が廃屋へ行くと、眠っている珠世と、半裸で柱に縛り付けられている佐智がいた。

翌朝になっても佐智が帰らないため、珠世と小夜子は猿蔵とともに廃屋へ行き、吊るされた状態の佐智の遺体を発見する。首には琴の糸が巻きつけられ、胸には擦り傷、そしてなぜか猿蔵が見たときは着ていなかったシャツを着ていた。

息子を失った梅子は半狂乱になり、松子と佐清の仕業だと騒ぎ立てる。竹子は2人の遺体が「琴」と「菊」に見立てられていることから、青沼菊乃の復讐に違いないと言い出す。

3姉妹の父・犬神佐兵衛が若い女工だった菊乃と関係を持ったのは、20年以上も前のこと。菊乃が静馬を出産すると、佐兵衛は自分たちの母親にも触れさせなかった犬神家の家宝「斧」「琴」「菊」を与えたという。それは、静馬を跡継ぎにすると宣言したも同然だった。

怒り狂った3姉妹は、菊乃が住む家を探し出し、佐兵衛が不在の日を狙って襲撃した。家宝を取り戻し、まだ赤児だった静馬の背中に火箸を押し付け、もう二度と犬神家へは近づかないように警告した。佐智が吊るされていた廃屋は、そのとき菊乃が住んでいた家だという。

金田一は那須神社を訪ね、神主の大山(野間口徹)から犬神佐兵衛にまつわる真実を聞き出す。佐兵衛は17歳のときに当時の神主だった野々宮大弐に拾われ、彼と衆道の関係にあったという。大弐には結婚して2年目の妻・晴世がおり、処女だった晴世は夫と佐兵衛の関係を知って自殺を図ろうしたが、佐兵衛によって救われた。

その後、晴世と佐兵衛は深い関係に陥り、晴世が妊娠。2人は大弐に結婚を願い出るが許されず、晴世は出産後すぐ亡くなり、生まれた子供は大弐の実子として育てられた。大弐の死後、佐兵衛は再び那須神社に通い、残された晴世との娘・祝子の面倒を見るようになった。その祝子の産んだ子供が珠世だという。珠世は佐兵衛の実の孫だったのだ。

その頃、警察に一通の手紙が届けられる。「犬神家における連続殺人の犯人はすべて私、青沼静馬である」という告白文だった。手紙には「廃屋にて己の死を持って償う」とも書かれており、磯川たちは急いで廃屋へ向かい、燃えさかる炎の中から静馬を救出する。しかしその男の顔を見た珠世は、佐清だと告げる。佐清は火事で顔をわからなくし、青沼静馬として罪を背負って死のうと考えていたのだった。

金田一は犬神家を訪ね、一族の前で事件の全容を明かす。すべての始まりは、松子が若林を買収し、遺言状の公開前にその内容を把握したことだった。若林は松子が珠世の命を狙っていると思い込み、金田一に調査を依頼したが、珠世を狙ったのは松子ではなく、嫉妬に狂った小夜子だった。

そうとは知らない若林は警察に相談しようとし、松子は若林の口を封じるため毒入りのタバコを渡して殺害。そして博多で復員した佐清と再会したが、顔にひどい怪我を負った佐清を見て、遺産相続は絶望的だと考えた。

珠世に佐清を選ばせるため、松子は佐武と佐智を排除することを思いつく。佐武が湖のそばで珠世と待ち合わせしていることを知った松子は、珠世が去った後に佐武を刺殺。佐智の場合は、廃屋から自力で戻ってきた彼を船着き場で絞殺した。

そしてこの連続殺人事件には、松子自身も意図しない共犯者がいると金田一は語る。そこへ珠世と佐清が現れ、松子は本物の佐清を見て感極まる。金田一は顔に怪我を負ったのが青沼静馬であり、2人はその都度入れ替わっていたのだと説明する。

佐清は戦地ビルマで静馬と同じ部隊になり、互いの出自を知って意気投合したと話す。だがその後、部隊は壊滅。その責任が自分にあると感じた佐清は、恥ずかしさから名前を偽って帰国した。そして青沼静馬が佐清として犬神家に戻っていることを知った。

ひそかに静馬と連絡を取り、湖のそばで密会したその日、佐清は偶然に松子の佐武殺害現場を目撃してしまう。警察の捜査を撹乱するため、佐清は静馬と共謀して遺体に細工を施し、復讐殺人に見せかけることにした。

そのあとの手形照合で佐清と一致したのは、佐武殺害の夜に2人が入れ替わっていたためだった。佐清はマスクを被って犬神家に戻り、静馬は切断した胴体をボートで運んで湖に捨て、兵隊姿で「柏屋」へ戻ったのだ。

静馬の望みは財産でも復讐でもなく“母親”だったと告げる佐清。静馬は幼い頃に母を亡くし、祖母と貧しい暮らしの中で育った。母と並んで写る佐清の写真を見て、心から羨んでいた。そんな静馬に同情した佐清は、彼にこの家で暮らしてほしいと願い、自分が青沼静馬になって母の代わりに罪を被り、死のうとしたと告白する。

だが松子には佐清しか見えておらず、静馬のことを「あれはただの化け物でしたよ」と切り捨てる。そこへ、静馬の遺体が発見されたという知らせが届く。同時に松子が毒入りのたばこを吸って自ら命を絶つ。

金田一と磯川が湖へ向かうと、氷が張った湖面に、静馬の遺体が逆さまに立っていた。松子は博多から連れ帰った佐清が偽者だとうすうす気づいていたのではないか、と金田一は推測する。しかし相続権を手に入れるためには、偽者だとしても息子の存在が必要だった。

彼の背中にかつて自分が負わせた火傷の痕があることに気づいた松子は、佐清になりすましている男が、憎んでも憎みきれない青沼菊乃の息子・静馬だと知った。そして感情的に彼を殺してしまったのだ。

犬神佐兵衛も松子たち3姉妹も、静馬もその母親・菊乃も、求めても絶対に手にはいらない愛情を求めた。今回の連続殺人事件はその結果だと金田一は語る。

後日。金田一は那須を去り、下宿に戻る。犬神製糸会社の後継者は、服役中の佐清に決まった。その佐清から、犬神家を継ぐことや、珠世と結婚することを報告する手紙が届く。

金田一はあることに思い至り、収監中の佐清と面会する。そして佐清が罪を告白した手紙を郵便ではなく、子供を使って警察に届けさせた理由について問う。

母親の犯罪を見過ごし、静馬のなりすましを咎めなかったのは、善意ではなく悪意ではないかと指摘する金田一。現状を知った佐清は2人を操り、邪魔者を消させて最も効果的な場面で正体を現し、犬神家のすべてを手に入れようと計画したのではないか…と。

だが佐清は、「あなた、病気です」と冷ややかに金田一に告げて立ち去る。

感想と解説(ネタバレ有)

最高でした。前編も後編も面白かった。新しい「犬神家」だったけど、原作や1976年版の映画へのリスペクトを感じるところも多々あって、心から楽しませてもらいました。

おどろおどろしい復讐要素を最小限にして、親子の悲哀をストレートに描いたのね…こんなに哀しい「犬神家」は初めて。…と、思っていたら。ラスト10分ですべてを壊す、まさかの大どんでん返し! この後味の悪さ、もやもや感がたまらなかったです。

登場人物たちが取った行動は原作どおりだったのに、心の中が異なると、こうまで変わってしまうのか…と驚きました。以前からわたしが持っていた違和感に切り込んでくれた感じもして、もやもやしつつもスッキリしたというか、奇妙な爽快さがありましたね。

ここからは原作や76年版映画の解説も含め、わたしなりの考察をしていきたいと思います。
結末のネタバレを含みますので、ご注意ください。

犬神佐兵衛の“行き過ぎた愛”

まず、悲劇の元凶である犬神佐兵衛について。

佐兵衛と野々宮大弐、そして彼の妻・晴世とのいびつな関係は、原作どおり。これは76年版の映画も同じです。

ただ、原作では3人の関係は壊れることなく続き、佐兵衛は大弐を恨むどころか、ずっと恩義を感じていました。佐兵衛が愛したのは「晴世」であり、「野々宮家」でもあったのです。

のちに佐兵衛の愛人となった青沼菊乃も、実は晴世のいとこの娘でした(ドラマではその説明が省かれていました)。

佐兵衛の野々宮家に対する「行き過ぎた愛」が悲劇の元凶だとしたら、今回のドラマで描かれたのは、その行き過ぎた愛が生んだ「心の闇」と言えるかもしれません。

揺れ動く松子の心情

前編の冒頭、始まってすぐのシーンで、今回の松子の設定が原作や76年版映画と違うことに気づきました。

復員した佐清を連れて帰る汽車の中で、松子は「よく帰ってきてくれました」と言いながら、黒頭巾の中の佐清の目をじっと覗き込んでいた。この時点で彼女は、佐清の正体に疑心を抱いていたことがわかります。

原作における松子は、連れ帰った佐清が偽者だとは気づいていませんでした。しかし今回のドラマでは、松子はたびたび佐清に疑いの目を向け、金田一や珠世らと同様、彼の正体に翻弄されています。

一族の前では恐ろしいほど毅然とし、感情をいっさい表に出さない松子ですが、佐清と2人きりになる場面では、その表情が激しく揺れ動きます。そして松子が惑えば惑うほど、のちに明かされる佐清の正体=青沼静馬との関係に残酷さが生じる。

わたしは冒頭の汽車のシーンを見ただけで、大竹しのぶさん演じる松子に一瞬で心を奪われました。そして彼女がこれからどんな顔を見せてくれるのかと、ワクワクしました。

松子が父・佐兵衛を憎み、息子の佐清にのみ深い愛情を傾けるところ、そして佐清に遺産を相続させるためにつぎつぎと殺人を犯していくところは、原作どおりです。

珠世を狙ったのも原作では松子なのですが、ドラマでは小夜子の嫉妬による犯行に変更されていました。

そして最後の殺人である青沼静馬の殺害については、今回のドラマではそのシーンがまるまる省かれ、松子の死後に静馬の逆さ遺体が発見されるという異例の順序になっていました(この場面については、のちほど触れます)。

青沼静馬の目的

佐清になりすまして犬神家に入り込んだ、青沼静馬。

原作では復讐の立役者だった静馬の立ち位置が、今回のドラマでは大きく変更されています。物心つく前に母を亡くした静馬は、犬神家への憎しみを受け継いでおらず、ただただ母親の愛情を求めていただけ…という設定に変わっていました。

それゆえに、母と慕った松子の手によって命を奪われるという最期には、原作や今までの作品にはない物悲しさがありました。湖で彼の逆さの遺体が発見されるシーンは有名ですが、今回ほど悲哀の漂うものはなかったと思います。

結局、松子も竹子も梅子も、父親の佐兵衛と同じことをしているんですよね。愛が残酷なのは、誰かを愛することで「愛されない人」を生んでしまうことだと思う。

ちなみに撮影の時期が原作設定と同じ冬だったこともあり、今回は原作と同じ「張りつめた氷の中に、人がまっさかさまに突っ立っている」シーンが再現されています。ロケ当日に湖面が凍結していたそうで…すごい奇跡。

ドラマでは、静馬が戦地で出会った佐清から松子と一緒に写った写真を譲られるというオリジナルのエピソードが加わり、さらに哀れを誘う展開になっています。原作でも2人は戦地で出会っていますが、同じ部隊ではなかったため、佐清が静馬に怪我を負わせた責任を感じるという部分はありません。

わたしは原作の静馬も、それほど凶悪な人物には思えないんですよね。本物の佐清に責められておろおろしたり、珠世が姪にあたるとわかって結婚を躊躇したり、追い詰められて松子に真実を打ち明け、彼女の怒りに怯えて逃げ出そうとしたところを殺されたり…。

一般的には、静馬のイメージは原作よりも、76年版の映画の印象が強いのではなないかと思います。このときは、静馬は同情する余地のない完全な悪人として描かれていました。あの不気味なゴムマスクの効果もあって、偽スケキヨ=恐ろしい人物として、記憶に植え付けられているのかもしれません。

斧琴菊(よきこときく)の意味

今回のドラマでは、見立て殺人の描写がとてもあっさりしていました。

松子による連続殺人は、佐清と静馬によって「斧、琴、菊」に見立てるという事後処理が行われ、この派手な演出に金田一と警察は撹乱されます。

原作では、静馬が母の呪いを果たすという目的も含まれていたのですが、今回は静馬に復讐心がないため、微妙な感じになっています。

最後の「斧」に関しては、すでに本物の佐清によって事件のあらましが語られた後なので、この遺体が静馬であることは明らか。そのため「斧」の見立ても、遺体が誰であるかという謎も、意味を持たなくなってしまいました。

原作では、警察が斧や凶器になりそうなものを犬神屋敷からすべて回収したため、困った松子はスケキヨの遺体を逆さまにし(ヨキケス)、湖面から半分だけ出すことで「ヨキ」を現しました。まさに苦肉の策です。

それまで犯行を隠そうともしなかった松子が、なぜこのときだけ細工を施したのかというと、本物の佐清がどこにいるのかわからなかったからです。佐清を見つけるまでは、警察に捕まるわけにはいかなかったのです。

復讐を生む原因となった、松子、竹子、梅子による青沼菊乃・静馬親子襲撃事件も、ドラマではかなり控えめな描写になっています。76年版の映画では原作どおりに描かれたため強烈なインパクトを与え、静馬の復讐の布石となっていました。

この襲撃事件を告白するのは、原作では松子なのですが、ドラマでは76年版の映画を踏襲し、次女・竹子によって語られました。また、佐智の遺体が吊るされていた廃屋も、原作の「犬神家が昔住んでいた家」から、「青沼親子が住んでいた家」に変更されています。

ちなみに「斧琴菊(よきこときく)」は、判じ物として有名な和柄の一つで、「斧、琴柱、菊」の模様を染め出して「善き事を聞く」という吉祥の意味を込めたもの。歌舞伎役者の尾上菊五郎家でよく使われる和柄です。

原作者の横溝正史が「犬神家の一族」を執筆していたとき、六代目尾上菊五郎が亡くなり、その訃報を聞いてこの「斧琴菊」をトリックに用いたそうです。

物語の中では、野々宮大弐が那須神社の守り言葉として考案し、黄金製の斧と琴と菊を作って神器としていたのを、佐兵衛が事業をはじめたときに前途を祝福する意味で贈ったとされています。

宮川香琴の正体

松子の琴の師匠・宮川香琴については、76年版映画と同じく、設定が変えられていました。

原作では、湖で偽スケキヨの死体が発見された直後、彼女は警察に出頭して静馬の母・青沼菊乃であることを打ち明けています。

彼女の心を占めていたのは犬神家への復讐ではなく、再び松子らに危害を加えられるのではないかという恐怖でした。そのため、彼女は必死に素性を隠して生きていましたが、偶然がかさなり、やむをえず松子の琴の師匠となっていたのです(松子は彼女の正体に気づいていませんでした)。

香琴は佐智が殺害された日、松子が奏でる琴の音色に違和感を感じ取っていました。松子は佐智殺害の際に指を怪我してしまい、それを隠して琴を弾いていたからです。この香琴の証言は76年版の映画では採用されていますが、今回のドラマでは省かれていました。

原作では、金田一が犬神屋敷で事件の真相を語る場面に香琴も同席しており、その場で松子から息子・静馬の最期を知らされることになります。

本物の「佐清」はどれ?

さて、問題の佐清です。「鎌倉殿の13人」で源頼家を演じた金子大地さんが、これまでに例のない複雑怪奇な「佐清」をみごとに演じてくれました。

このドラマで佐清が取った行動は、ほぼ原作どおりでした。ビルマで青沼静馬と出会い、意気投合したこと。部隊を全滅させた恥ずかしさから、「山田三平」と名前を偽って帰国したこと。

自分になりすましていた静馬と密会し、彼を説得しようと試みたこと。そのとき母・松子が佐武を殺害する場面を目撃したこと。

しかしここから微妙に原作とは異なってきます。原作では、松子の犯行を目撃したことで静馬の態度が急変、「母親を告発されたくなければ地位を譲れ」と佐清を脅迫するようになります。

一方、今回のドラマでは、静馬は復讐どころか犬神家の遺産にも興味がなく、ただ母親の愛情だけを求めるという純朴で無欲な青年として描かれています。

佐清はそんな彼に同情し、願いを叶えてやりたいと、自分がすべての罪を被って「青沼静馬」として死のうと決意した…そう告白します。

その告白の場で松子が服毒自殺を図り、青沼静馬の遺体が湖で発見され、事件は終息したかのように思われました。しかし、その後とんでもない真相が明らかになります。

金田一が収監中の佐清と面会するシーンは、もちろん原作にはありません(原作は松子が服毒死する場面で終わっています)。

金田一は佐清が焼身自殺を図る前、告白書を郵送ではなく、子供に届けさせたところに違和感を覚えていました。本気で自殺するつもりなら、わざわざ警察に届けさせて居場所を知らせたりせず、死んでから届くようにするはずだからです。

佐清が告白書を残して自殺を試みるくだりは、原作にもあります。原作では雪ヶ峰に逃げ込んだ佐清を、金田一と警察が必死に追跡して自殺を阻止することになっています。告白書は彼の服のポケットに入っていて、逮捕後に発見されます。

佐清は最初から自殺するつもりなどなく、そう見せかけただけなのではないか。母の愛を求める純朴な静馬と、息子のためなら手段を選ばない母・松子を利用し、邪魔な相続人たちを抹殺させたのではないか。

そしてその結果、佐清は犬神家の後継者となり、珠世と莫大な財産を手に入れた…。

追及する金田一に、佐清はただ一言「あなた…病気です」と告げて立ち去りました。はたして金田一の妄想なのか、あるいは佐清のもくろみどおりだったのか。

もし金田一の推理があたっているとしたら、彼はまんまと佐清の策略に加担させられてしまったことになり、その絶望感が最後の「僕は…何も…何も…!」という叫びに現れていたのだと思います。

吉岡さん演じる金田一は、朴訥とした雰囲気と柔らかさで、罪を犯したひとの心に寄り添ったり、自責の念に苦悶する弱さも持ち合わせる、人肌感のある人物。

下宿先の女将・せつ子との下世話なやりとりが毎回挟まれるのも、彼が浮世離れした存在ではなく、探偵の稼ぎでどうにか暮らしている市井の人という印象を与えたかったからではないかと想像します。

でもその一方で、正気と狂気の境界線上をふらつく危うさもある。

あんなに柔らかくほのぼの生きているんだけど、人の心の闇、罪、殺し、そういう負の感情にすごく興味を持っていて、それから逃れられない人なんですよ。正義感で謎を解いているというよりも、本当に自分が興味があるから解いている。

NHK公式サイト「スペシャル・インタビュー」より

今回のドラマの監督を務めた吉田照幸氏が金田一について語った言葉どおり、金田一の性質はある意味「病気」とも言える。戦場帰りの佐清には、それが見えているのだと思います。

これがもし金田一の妄想であるならば、佐清の「あなた…病気です」というセリフは、視聴者にも向けられていることになりますね。深読みしすぎでしょ、と。わたしは少しドキッとしました。

でも、やっぱりわたしは、犬神家の人間である佐清には「心の闇」があると考えるほうがしっくりきます。

前編、後編を通して見ているうちに、少しずつ溜まっていった「何かおかしい」という違和感。それはわたし自身も自覚できないほどわずかな感覚だったけれど、このラストシーンによってすべて腑に落ちました。

1950年代に書かれた原作を含め、これまでの「犬神家の一族」で描かれてきた松子と佐清の純愛物語は、2023年の現在にはもう通用しなくなっているということ。

松子は自分の心の葛藤を解決する手段として息子を利用しているとも思えるし、そんな歪んだ愛情のもと育った佐清は、純粋無垢ではいられない。もしかしたらずっと、松子の支配から解放されたいと願っていたのかもしれない。

おまけ:珠世はどこまで知っている?

佐清が「闇」の側の人間だとすると、珠世についても疑わざるを得ません。

配役が古川琴音さんであることには若干の違和感を覚えたのですが、見終わってみて納得しました。今回の珠世はただ可愛いだけのお嬢様ではなく、得体のしれない怖さも兼ね備える女性でなくてはならなかったんですね。

原作には「珠世がいかに賢であり、かつまた同時に、いかに狡猾な女性であるかということ」を金田一が懐中時計や手形の一件で思い知り、恐怖を感じる場面があります。

ゴムマスクの佐清をいちはやく偽者だと見抜いた彼女が、佐清の本性に気づかないわけがない。ならば、彼女も何らかの形で佐清の計画に加担している、あるいは知ってて見逃している可能性が出てきます。

原作には、金田一が珠世を疑う場面がたびたび出てくるのですが、最終的には思い過ごしであって、彼女は一切事件には関わっていませんでした。

真相が暴かれた後、松子はその場で珠世に佐清を待つと約束させています。その言葉をもって珠世には三種の神器が手渡され、珠世の手から佐清に贈られました。

しかし今回のドラマでは、珠世と佐清の純愛を示すそれらの場面がばっさり省かれています。原作の金田一が抱いた珠世への恐怖が、実は的を射ていた…という新解釈なのかもしれません。

追記

映画版で金田一耕助を演じた石坂浩二さんが、2006年のリメイク版に出演したときの面白い談話があったのでご紹介します。

「もしかしたら、野々宮珠世は事件のすべてをお見通しだったのかも」という発見がありましたね。というのも考えてみると、いつも重要な場面でビシャッと映ってるんですよね。珠世さんが。その意味が今回わかったような気がして、なるほどそうかもと思いました。

洋泉社「映画秘宝EX 金田一耕助映像読本」より

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