アガサ・クリスティの「ABC殺人事件」を読みました。
ラストのどんでん返しが見事なだけでなく、冒頭から終盤に至るまでのスリリングでスピード感溢れる展開に夢中になり、一気読みしました。
ポアロはいつも淡々と事件を解決するイメージだったのですが、この作品は終始緊迫感に支配されていて、予告されているにもかかわらず連続殺人を止められないポアロの焦りも感じられます。
テレビシリーズの「名探偵ポワロ」で1992年にドラマ化されていますが、2018年のBBC製作による連続ドラマ(全3話)では、ジョン・マルコヴィッチがポアロ役を務めています。
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ネタバレ解説*BBCドラマ「ABC殺人事件」全話あらすじ・キャスト・感想Contents
登場人物
エルキュール・ポアロ
ロンドンの私立探偵。ベルギーで警察署長を務めた後、第一次世界大戦中にイギリスに亡命。ヘイスティングズと共に解決した『スタイルズ荘の怪事件』を機に探偵として活躍するようになる。
「ABC」という署名が入った殺人予告を匂わせる手紙が届き、連続殺人事件を阻止すべく推理を働かせる。
アーサー・ヘイスティングズ
ポアロの友人で相棒。陸軍大尉。南米で農場を経営しているが、イギリスに一時帰国している。ポアロと共に連続殺人事件に挑む。
クローム警部
ロンドン警視庁の若い警部。今回の事件を担当する。博識で自信家。ポワロを〝恰好をつけているだけのいかさま師〟と見下し、傲慢な態度を取る。
ジャップ警部
ロンドン警視庁犯罪捜査部の主任警部。ポワロとヘイスティングズの友人。
トンプスン博士
著名な司法精神科医。連続殺人犯の人物像を分析する。
“A”の事件
アリス・アッシャー
1人目の犠牲者。アンドーヴァーで小さな煙草屋を経営していた老女。酒飲みの夫とは数年前から別居していた。6月21日の夜、店のカウンターの奥で後頭部を鈍器で殴られて死亡。
フランツ・アッシャー
アリスの夫。ドイツ人。大酒飲みで、たびたび妻のアリスを脅して金をせびっていた。アリスが殺された夜は、友人たちと酒を飲んでいたと主張する。
メアリ・ドローワー
アリスの姪。アンドーヴァー近郊の屋敷でメイドとして働いている。アリスが殺された後、メイドを辞めてロンドンに戻り、事件の関係者で結成された〝特別部隊〟に参加する。
“B”の事件
エリザベス(ベティ)・バーナード
2人目の犠牲者。ベクスヒルのカフェのウェイトレス。遊び好きで、異性にモテる。7月25日未明にベルトで首を絞められ殺害、朝になってベクスヒルの海岸で遺体となって発見される。
ミーガン・バーナード
ベティの姉。聡明で意志が強く、真実を求める情熱を持った女性。妹の死の知らせを聞いてロンドンから駆けつける。ポアロを信用し、ベティやドナルドの人柄についてありのままに話す。フランクリン・クラークと相談し、事件関係者による〝特別部隊〟を結成して犯人を突き止めようとする。
ドナルド・フレーザー
ベティの婚約者。不動産会社に勤務。普段は物静かだが、怒ると抑え込んでいた感情を爆発させる。嫉妬深く、ベティの異性関係でたびたび口論になっていた。ベティが殺された夜も浮気を疑っていた。ミーガンと共に〝特別部隊〟に参加し、連続殺人犯の犯行を阻止しようとする。
“C”の事件
カーマイケル・クラーク卿
3人目の犠牲者。中国美術の蒐集家。著名な医師だったが引退し、伯父の財産を相続してチャーストンの屋敷で暮らしていた。病気の妻のことで思い悩んでいた。7月30日の夜、散歩中に後頭部を鈍器で殴られ殺害される。
フランクリン・クラーク
カーマイケル卿の弟。活動的で少年のような無邪気さを持つ、魅力あふれる男性。兄の右腕として中国各地を飛び回り、骨董品を買い集めていた。密かにソーラに好意を持っている。犯人を突き止めるため、私財を投じて〝特別部隊〟を結成する。
シャーロット・クラーク
カーマイケル卿の妻。がんを患っており、余命わずか。カーマイケル卿を殺した犯人としてソーラを疑うようになり、事件後に解雇する。
ソーラ・グレイ
カーマイケル卿の秘書。カーマイケル卿から絶大な信頼を寄せられていた。死後も屋敷に留まることを望むが、シャーロットに疑われ解雇される。フランクリンと共に〝特別部隊〟に参加し、本人も忘れていたある重要な出来事を思い出す。
“D”の事件
ジョージ・アールスフィールド
4人目の犠牲者。理髪師。9月11日、ドンカスターの映画館で背中をナイフで刺され死亡。姓名ともにイニシャルがDではないことから、近くにいたロジャー・ダウンズと間違って殺害されたものと推測された。
ロジャー・ダウンズ
ドンカスターの事件の第一発見者。男子校の教師。映画館で、被害者のすぐ近くに座っていた。被害者と背格好が似ているため、犯人が本来殺害するはずだった男と警察は推測している。
アレグザンダー・ボナパート・カスト
ストッキングの行商人。臆病で気が弱く、何をしても不器用で目立たない男。自身の名前が2人の英雄(アレクサンダー大王とナポレオン・ボナパルト)に由来することに対してコンプレックスを抱いている。第一次世界大戦に従軍した際、頭部を負傷して発作を起こすようになった。
ドンカスターの事件の後、滞在しているホテルから逃亡するが、アンドーヴァーの警察署に自首する。
あらすじと解説(ネタバレ有)
『ABC殺人事件』は1936年に発表されたポアロシリーズの長編第11作目です。
アガサ・クリスティがノリにノっている時期の作品で、ミッシング・リンク(失われた環)・テーマの決定版と評されているクリスティの代表作のひとつです。
ミッシング・リンク・テーマとは、ミステリーの世界において、一見無関係に見える被害者同士を結びつける共通項を探していくもののこと。
クリスティの『ABC殺人事件』があまりにも素晴らしい出来のために、今では「ABCパターン」がミッシング・リンク・テーマの代名詞になっているそうです。
物語はポアロの相棒ヘイスティングズ視点で語られるのですが、序盤から頻繁にはさまれる「ある人物による視点」の章が不穏ともいえる緊迫感を生み出しています。
この手法も現代のミステリ小説ではよく使われますが、この作品によって広まったのかもしれませんね。
ポアロに届いた挑戦状
ある日、ポアロのもとに犯行予告とも取れる挑戦的な手紙が届きます。差出人の名前は「ABC」。
手紙の最後には、「今月二十一日のアンドーヴァーに注意することだ」と書かれていました。
6月21日の夜、予告どおりに殺人事件が起こります。殺された被害者は、アンドーヴァーに住むアリス・アッシャー(A)。
ポアロは犯行現場へ行き捜査に加わるも、犯人の目星はつきません。
やがて第2の予告状が届き、2人目の犠牲者が。被害者は、ベクスヒルに住むベティ・バーナード(B)。
第3の予告状では、チャーストンに住むカーマイケル・クラーク卿(C)が殺されます。3人の遺体のそばには「ABC鉄道案内」が置かれていました。
被害者たちに共通点はなく、犯人像を絞り込めない警察とポアロ。
警察は異常者による〝無差別殺人〟とみなし、動機を探ろうとしません。
ポアロは必ず動機があるはずだと考え、なぜ犯人が「アルファベット」に固執するのか、なぜ自分に予告状を送りつけてくるのかを考えます。
共通点は〝ストッキング〟
手がかりを得るために、ポアロは事件の関係者たちを集めて話を聞きます。
フランクリン・クラークとミーガン・バーナードの提案で、〝特別部隊〟が結成されたところでした。
その中で、殺されたカーマイケル卿の秘書だったミス・グレイが、ストッキングの行商人が家を訪ねてきたことを思い出します。
その時まで、彼女はその出来事をすっかり忘れていました。なぜならその人物は、あまりにも印象に残らない地味な男だったからです。
〝ストッキング〟こそが、3つの事件に共通するものでした。
事件の直前、被害者となった3人の家にはストッキングの行商人が現れていました。
そこへ、第4の手紙が届きます。
ポアロは今度こそ犯行を阻止すべく、〝特別部隊〟のメンバーと共に手紙に書かれた犯行予告の場所ドンカスターへと向かいます。
ポアロが抱いた違和感
しかし、ポアロも警察も連続殺人を止めることはできませんでした。4人目の被害者は、ドンカスターに住むジョージ・アールスフィールド(D?)。
犯人は、初めて間違いを犯しました。被害者のイニシャルはDではありません。
その頃にはマスコミによって事件は大々的に報道され、世間の注目を集めていました。
警察には毎日のようにABC事件に関する情報が寄せられ、やがてアレグザンダー・ボナパート・カスト(ABC)という人物が容疑者として浮上します。
警察がカストの部屋を調べると、大量のストッキングとABC鉄道案内が出てきました。例の手紙が書かれたものとそっくりな便せんも見つかりました。
決定的な証拠である、血痕のついた上着とナイフも。カスト自身、自らの犯行を認め、警察署に自首します。
犯人が捕まり、事件は解決したかのように思われました。しかし、ポアロはまだ終わっていないと言います。
「事件は終わった! 事件は! 問題はあの男なんですよ、ヘイスティングズ。あの男についてすべてを知るまでは、謎は深く埋もれたままです。彼を被告人席へ送ったからといって、勝利ではありません!」
彼は犯人に対してある違和感を抱いていました。
ここから先は、犯人とトリックのネタばらしをしています。ご注意ください。
カストは犯人じゃない?
ポアロは連続殺人犯の人格とカストの人格が矛盾することを指摘します。
カストは戦時中の怪我の後遺症で、ときどき記憶をなくすことがありました。そして“B”の事件が起きたとき、彼にはアリバイがありました。
ポアロの違和感は、例の手紙が〝偽装している〟ことを感じ取っていました。つまり、差出人(犯人)を精神異常者だと思わせるために、あえてそのように書かれた手紙だったのです。
今回の事件は、異常者による無差別殺人ではなく、真犯人の〝動機〟を隠すために仕組まれたものでした。カストは狡猾な真犯人によって、連続殺人犯に仕立てられたのです。
真犯人の目的
実は、第3の手紙が誤配によって遅れて届いたとき、ヘイスティングズは真実を言い当てていました。
「これは意図的にやったことだとは思いませんか」
その時はクローム警部に却下されましたが、これこそ真実でした。真犯人は、第3の手紙が遅れてポアロのもとに届くように、わざと住所を間違えたのです。
真犯人にとって、第3の殺人は何があっても邪魔されるわけにいかない、絶対に遂行しなければならないものだった。つまり、この第3の殺人こそが真犯人の目的――本命でした。
真犯人は、カーマイケル・クラーク卿の死を望む人物。“B”の事件の被害者であるベティをたやすく誘惑できる人物。鉄道に関心があり、少年の心を持ち、むこうみずで大胆不敵なギャンブラー。
連続殺人犯の正体は、フランクリン・クラークでした。
彼は兄が秘書のソーラに好意を抱いていることを知り、万が一後妻に迎えて子どもが産まれるようなことになれば、財産を相続するチャンスがなくなることを恐れたのでした。
真犯人の計画
フランクリンがカストに出会ったのは、偶然でした。兄の殺害を計画していたとき、たまたまカストに出会い、彼を道具として使うことを思いつきます。
綿密に計画を練り、準備を整え、カストに暗示をかけて連続殺人犯に仕立て上げていきました。
“A”の事件と“B”の事件は、連続殺人事件と思わせるためのカモフラージュでした。殺す相手は、条件に合う人間であれば誰でもよかったのです。
フランクリンは“C”の事件で目的を果たしましたが、そこで犯行をやめれば怪しまれます。それに、せっかく犯人役を用意したのに、ポアロも警察もまだカストに辿り着いていませんでした。
そこで“D”の事件を起こしますが、殺した相手は適当でした。きっと警察は「間違えた」と判断するだろうと予測できたからです。
結末
ポアロによって真相を暴かれ、追い詰められたフランクリンは、隠し持っていた銃で自殺を図ろうとします。しかしポアロの機転で事前に弾丸が抜かれ、未遂に終わります。
婚約者を亡くしたドナルド・フレーザーは、姉のミーガンに惹かれていることに気づき、ポアロに背中を押されて新たな恋に向かいます。
無実が証明されて自由の身となったアレグザンダー・ボナパート・カスト氏は、ポアロのもとを訪ねて心からの感謝を伝えました。
今やイギリスきっての有名人となったカスト氏は、新聞社から100ポンドで取材の申し出があったと喜びますが、ポアロは500ポンドにしなさいとアドバイスします。
無差別連続殺人の真相を暴くポアロの推理があざやかでした。
序盤のサスペンスフルな展開もドキドキして面白かったです。
今回も最後まで真犯人を見抜くことはできず、作者が仕掛けた罠にまんまとひかっかってしまいました。でも楽しかったです。
※引用文はすべてアガサ・クリスティ著『ABC殺人事件』(ハヤカワ文庫)より引用しています
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