「カウンターパート」第2話|殺し屋ボールドウィンの過去

「カウンターパート/暗躍する分身 」ネタバレ感想

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どうも、夏蜜柑です。
WOWOWで放送中の海外ドラマ「カウンターパート/暗躍する分身」第2話。

まだまだ謎だらけですね。

今回は裏の世界でのハワードとエミリーの様子も描かれていました。
同じ人が表と裏の両方に存在するので少し混乱するのですが、この不思議な世界にどっぷりハマっています。

もともとはひとつの流れだったものが、ある時点で2つの流れにわかれ、それぞれが別の個性を持ち始めた。そういうイメージでしょうか。

夏蜜柑
複雑だけど興味深い。

第2話「殺し屋の過去」のあらすじ


  • 裏の世界に戻った別ハワードは、エミリーが処理班からの命令を受けて連れてきたブルガリア人に拘束されるが、彼らを殺して脱出する。だが翌日、エミリーは上司に呼び出され「命令など出ていない」と言われる。薬物乱用による精神錯乱を疑われるエミリー。
  • 表の世界のハワードは分析部に昇進したが、相変わらず何の仕事をしているのかさっぱりわからない。そこへクエイルからの呼び出しがかかり、再びこちらの世界へ渡ってきた別ハワードに協力するよう命じられる。
  • 殺し屋ボールドウィンの本名が「ナディア・フィエロ」だと知った別ハワードは、こちら側の世界で一流ヴァイオリニストとして活躍するナディアに接触を図ろうとしていた。その動きに気づいたクレア(ナザニン・ボニアディ)は、ボールドウィンにナディアを殺すよう命じる。
  • ナディアと接触し、ボールドウィンの隠れ家をあぶり出すことに成功するハワードたち。ボールドウィンはナディアを拉致して殺そうとするが、自分と同じ辛い過去を持つナディアを殺すことができず、こちら側の警察に拘束される。
  • 混乱の中、逃げようとしたナディアはアルドリッチの部下に撃たれ死んでしまう。ハワードは何の罪もないナディアを殺したことに憤り、衝動的にアルドリッチを殴る。

第2話の感想

ふたりのナディア

今回は殺し屋ボールドウィンの過去が明らかになりました。

裏の世界では殺し屋として暗躍するボールドウィンでしたが、表の世界のボールドウィン(ナディア)はヴァイオリニストとして成功していました。

何もかも違い、まるで別人のように見えた2人。
けれど、そうではなかった。

ナディアは10歳の時、駅のホームから転落した父親を見殺しにしました。

殺し屋のボールドウィンを見た時、ナディアが「本当の私」だと言ったのは、彼女の中では「父親を殺した自分」こそが「本当の私」だという認識があったから。

もうひとりの自分が「殺し屋」の道を選んだことは、彼女にとって不思議ではなかったのでしょう。

まったく同じことがハワードについても言えそうです。
心優しく温厚な性格だと思われたハワードが、衝動的にアルドリッチを殴りました。

ハワードの中には、裏のハワードと同じ大胆さが潜んでいることがわかります。

命を狙われているハワード

裏の世界のハワードは、何やら深刻な問題に関わっているようです。
誰かに命を狙われていることがわかりました。

そして裏の世界のエミリーは、ハワード殺しの罪を着せられそうになった。

この2つ世界の関係には、もっと複雑な事情が絡んでいそうです。
裏の世界の人間は、表の世界の人間を恨んでいるようでした。

夏蜜柑
いったい何があったんですかねぇ?

表と裏の関係

第1話で、クエイルはこう語っていました。

「30年前、冷戦のさなかにこのビルで実験中、事故があった。東ドイツの科学者がミスをしてね。そのせいで通路が開通してしまった。その通路の先には我々の世界と全く同じもうひとつの世界がある。全てがそっくりなね。このビルが建っているところが向こうの世界との交差点だ」

しかし、今回別ハワードが語ったことは、それとは少し違っていました。

「発見されたんじゃない。それは正確じゃない。前からあったもうひとつを見つけたわけじゃなく、実際は、現実はひとつだけで、それが複製されたんだ。方法は誰も知らない。知っているやつがいるかもしれないが、言わないだろう」

「こう考えるといい。30年前までは、これだけだった。それが2つに増えて、しだいに離れ、今はバラバラ。2人の人間が全く違う道を歩んでる」

つまり裏の世界は、誰かの手で故意に作られた「コピー」ということでしょうか。
なぜそんなことが行われたのか……そのあたりに秘密がありそうです。

この物語の発想のベースは「囲碁」だそうです。
オープニングでも囲碁が印象的に使われていますよね(このオープニングは鳥肌もの)

単純な手の組み合わせが、複雑な結果を生み出していく。
そんな囲碁の特性が、2つの世界で生きる人間の「違い」に重ねられています。

わたしは囲碁のことはまったくわからないんですけど、面白い発想ですね。