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各話のあらすじ(ネタバレ有)
1954年6月。ナイジェリアの青年ルーク・オビアコ・フィッツウィリアムは、海を渡ってイギリスへ。植民地省のオシントン卿に評価され、政府職員として勤めることになったのだ。
ロンドンへ向かう列車の中で、ルークは老婦人のラヴィニア・ピンカートンと出会う。彼女は村で起きた3人の事故死を連続殺人と疑っていたが、犯人は“立派な人物”で地元では誰も聞く耳を持たないため、ロンドン警視庁に通報しに行くという。
当初は懐疑的だったルークだが、ラヴィニアがひき逃げ事故に遭って亡くなったことで、事の重大さを認識。オシントン卿から数日の待機を命じられたルークは、彼女の村ウィッチウッドへ向かう。
村では溺死したハリー・カーターと、転落死したトミー・ピアスの検視審問が行われていた。目撃者は存在せず、いずれもは事故死という評決に至る。
ルークは村の住人ブリジェット・コンウェイと出会い、アッシュ館での夕食に招かれる。アッシュ館の主人で村の有力者でもあるホイットフィールド卿は、彼女の婚約者だった。
夕食にはホイットフィールド卿の友人たち――ホートン少佐やトーマス医師、ハンブルビー牧師一家も招かれていた。ルークは文化人類学者と偽り、変死について調べていると説明したうえで、ラヴィニアが事故で死んだことを彼らに伝える。
翌朝、ホノリア・ウェインフリートの家で住み込みのメイドをしていたエイミー・ギブスが変死を遂げる。トーマス医師によると、彼女はせき止め薬と間違えて赤い帽子の塗料を飲んでしまったらしい。
だがそれを聞いたブリジェットは、「ありえない」と断言。赤毛のエイミーが赤い帽子をかぶるはずがないと言う。ルークとブリジェットはウェインフリート家を訪ね、エイミーの部屋を調べるが、瓶は1つしかなかった。
ルークとブリジェットは、トミーやハリーの死も他殺だと確信し、連続殺人事件と考えて調査に乗り出す。3人が同じ地域の出身だと聞いたルークは、アッシュボトムを訪れることに。
アッシュボトムのパブには、カーター夫人とピアス夫人、そしてホイットフィールド卿の運転手リヴァーズらがいた。彼らによると、トーマス医師は経済状況によって患者を選別し、裕福でない人には質の低いコデインしか処方しないという。彼がエイミーに渡した“せき止め薬”もコデインだった。
ルークはトーマス医師の診療所を訪れ、彼が優生思想に傾倒していることを知る。ハリーやトミー、エイミーの死を「合理的な排除」と呼ぶトーマス医師に、ルークは強い嫌悪感を抱く。
ルークはラヴィニアの友人だったホートン大佐と意気投合し、彼の妻リディアが亡くなる前、「毒を盛られた」と言っていたことを知らされる。リディアの主治医はトーマス医師だった。
ホイットフィールド卿に誘われ、ルークたちはテニスを楽しむ。ルークはブリジェットに迫り、なぜホイットフィールド卿を選んだのかと問い詰める。ブリジェットは愛した男に裏切られ婚約を破棄した過去を語り、「金銭的にも精神的にも安定が欲しい」と言う。
テニスの最中、ハンブルビー牧師が突然倒れ、息を引き取る。
亡くなったハンブルビー牧師は、娘のローズとトーマス医師の交際を認めていなかった。トーマス医師を怪しんだルークは、ローズの前で彼の危険な思想を暴く。
ハンブルビー牧師の遺体は解剖され、事件性はないと判断される。リヴァーズはエイミーらの遺体も調べてほしいと訴えるが、予算の無駄だと一蹴される。怒ったリヴァーズは「それが当局のやり方だ」と悪態をつく。
その後、リヴァーズはアッシュ館の敷地内で殺害され、遺体で発見される。ホイットフィールド卿は村の警官を抱き込み、内密に処理させる。
ルークは祖国ナイジェリアの独立を人任せにし、イギリス政府で働くことに疑問を抱き始める。ブリジェットはホイットフィールド卿と結婚したくないという本心をルークに打ち明ける。
ルークとブリジェットはトーマス医師の診療所に侵入し、彼がホイットフィールド団地の資金を横領している証拠をつかむ。だがリヴァーズ殺害現場で婦人靴のかかと部分を発見したルークは、犯人は女性かもしれないと疑い始める。
ホイットフィールド卿とブリジェットの婚約を祝うパーティーがアッシュ館で開かれる。そのさなか、トーマス医師が殺される。ルークはホイットフィールド卿の車の中から片方のかかとがない婦人靴を見つけ、ホイットフィールド卿が犯人だと確信する。
ルークに問い詰められたホイットフィールド卿は、死んだ人々がみな自分を侮辱し楯突く存在だったことを認め、「私の敵はみな神の罰を受ける」と豪語する。
ルークはアッシュボトムの女性たちの力を借りてホイットフィールド卿を拘束し、ブル刑事に逮捕させる。ロンドンでラヴィニアをひいた高級車も、ナンバーからホイットフィールド卿の車だと判明する。
そのころ、ブリジェットはウェインフリート家を訪ね、ホノリアにホイットフィールド卿との関係を問いただしていた。ホノリアはホイットフィールド卿と別れた経緯を語り、彼の恐ろしい本性を知っていたため、連続殺人犯だと疑っていたと話す。
だがブリジェットは、出された中国茶を飲んで朦朧とし、彼女こそ犯人だと気づく。ホノリアはかつて自立を望み、ひそかに大学を受験。家族に内緒で家を出ようとしたが、ホイットフィールド卿が父親に告げ口し、大学進学の道は閉ざされたという。
当時、ホイットフィールド卿はホノリアの父親に雇われていた。友人だった彼女の秘密を話したのは、彼女の父親に「言わないと追い出す」と脅されたためだった。
将来を奪われ、囚人のように閉じ込められたホノリアは、精神が崩壊。復讐のためにホイットフィールド卿を殺人犯に仕立て上げる計画を立て、彼の敵をつぎつぎと手にかけていったのだった。
ブリジェットの危険を察したルークは、ウェインフリート家へ向かう。そしてホノリアに殺されようとしていたブリジェットを救う。
ホノリアはトミーをベランダから突き落とし、ハリーを水路で溺死させ、エイミーの薬の瓶をすり替えて殺害。ハンブルビー牧師にはストリキニーネを、トーマス医師には庭のドクニンジンを、ホートン大佐の妻リディアにはヒ素を盛って殺した。リヴァーズを殺害し、証拠の婦人靴をホイットフィールド卿の車に隠したことも明かす。
ロンドン警視庁に通報しようとしたラヴィニアを尾行して突き飛ばし、交通事故に見せかけて殺したあと、目撃者として名乗り出て警官にホイットフィールド卿の車のナンバーを知らせたのもホノリアだった。
事件解決後、ブリジェットはホイットフィールド卿との婚約を破棄する。ルークは祖国の独立運動に加わるため、ナイジェリアに戻ることを決める。
感想(ネタバレ有)
アガサ・クリスティーの小説『殺人は容易だ』には、英国の田舎ならではの閉鎖性や、迷信めいた雰囲気、それに気づかれにくい“静かな狂気”が漂っていました。
けれどもBBCドラマ版では、原作のミステリーらしさが薄れ、社会的なテーマを前面に押し出した作品になっていました。そこが新鮮で良かったところもあるのですが、逆に物語としての推進力が弱まったようにも感じる部分もありました。
時代をずらしたドラマ版の狙い
原作が発表されたのは1939年ですが、今回のドラマでは舞台を1954年に移しています。
脚本を担当したシアン・エジウミ=ルベールは、インタビューで「1954年という時代は、ナイジェリアが独立に向かう直前であり、主人公ルークをナイジェリア出身とすることで、戦後イギリスの人種的緊張を描きたかった」と語っています。
ルークを“よそ者”として置くことで、村の閉鎖性や差別意識を際立たせる狙いがあったのだと思います。
個人的には、この設定変更に大きな違和感はありませんでした。デヴィッド・ジョンソンが演じるルークも悪くなかった。ただ、それが物語全体にしっかり組み込まれていたかというと、少し物足りなさが残ったかな、という印象です。
ワクワクから一転、退屈な探偵ぶり
ルークが列車の中でラヴィニア・ピンカートン(どこかミス・マープルを思わせる人物)と出会い、「村で連続殺人が起きている」と聞かされる序盤のシーン。
見知らぬ老婦人の何気ないひと言が物語の大きな引き金になる場面で、原作が持つ“謎への誘い”の空気が感じられてワクワクしました。これから何が起こるのか、期待せずにはいられない。
ところが、その期待は残念ながら裏切られてしまいます。村に着いたルークの探偵ぶりはどうにも退屈で、村の闇を解き明かすというより、ただ偶然事件に巻き込まれていくような展開が続く(原作では、ルークが殺人現場に遭遇するのは一度きり)。
結果としてサスペンスは薄く、スリラーでもコメディでもない中途半端なトーンに落ち着いてしまいました。物語の世界に入り込むには、かなり集中して見続ける必要がありましたね。
ウィッチウッド村の構造
原作では、ウィッチウッドに残る“魔女伝説”が異端への恐れを象徴する重要な背景になっていました。ところがドラマでは、この設定がすっかり削られています。
おそらく物語の焦点を「迷信」から「社会的な対立」へ移すための演出だったのだと思います。その代わりに、村の分断や階級・人種の緊張が強調されていました。
たとえばアッシュボトム地区。貧しい住民たちがホイットフィールド卿の団地建設計画に反対する構図が描かれていて、これは支配的な貴族による“社会改造”への抵抗を象徴しているように見えました(この要素は原作にはありません)。
ところが、誰がアッシュボトム出身で誰がそうじゃないのかがドラマの中ではっきり示されないので、対立の構造がぼんやりしたまま。見ていて少しストレスを感じてしまいました。
トーマス医師の大胆な改変
原作では誠実で謙虚な人物だったトーマス医師。ところがドラマ版では、優生思想に傾いた冷酷な医師として描かれていました。
善意の仮面をかぶった危険な思想家という立ち位置は、ドラマ独自のもの。1950年代のイギリスにあった科学信仰と人種・階級差別の交差点を象徴するキャラクターとしてアレンジされたようです。
原作でもルークはトーマス医師を疑いますが、それは完全に的はずれ。婚約者のローズとの関係もこじれていないし、犯人に殺されることもありません。
削られた容疑者と、変更された動機
原作では、ルークが次々と容疑者を疑っていくことで、物語にリズムが生まれていました。
たとえば骨董屋のエルズワージー。悪魔崇拝の儀式をしているという噂があり、ルークが最初に疑った人物です。でもドラマ版では彼は登場しません。
脚本家は「登場人物が多すぎると物語が散漫になる」として、原作の一部キャラクターを削ったそうです。エルズワージーのような“怪しげな人物”を排除することで、犯人の動機に焦点を絞り、社会的テーマを強調したかったのかもしれません。ただ、その分ミステリーらしい面白さが削がれてしまった印象もあります。
一方で、ドラマ版のホノリア・ウェインフリートの動機はとても興味深かった。原作では婚約者だったホイットフィールド卿に捨てられた恨みが復讐の理由でしたが、ドラマでは彼の告げ口によって大学進学の道を閉ざされたことへの怒りが動機になっていました。
こちらのほうが時代背景に合っていて、リアリティも共感性も強く感じられました。
ルークの隣にいるだけのブリジェット
原作のブリジェットは、ホイットフィールド卿との婚約を破棄してルークと婚約することで、犯人に狙われる存在になります。そしてルークよりも早く犯人に気づいた彼女は、あえて危険を冒して犯人のもとへ向かう。
ところがドラマ版では、ルークと惹かれ合うものの婚約には至らないため、犯人が彼女を狙う理由が弱くなっています。その結果、犯人の策略が曖昧になっただけでなく、ブリジェット自身の知性や行動力も削がれてしまい、キャラクターとしての魅力が薄れてしまったように感じました。
彼女はただ「ルークの隣にいる女性」として描かれ、物語を動かす存在ではなくなってしまった。これは、原作が持っていた“女性の主体性”を損なう改変だったように思います。
総評:ドラマ版に足りなかったもの
BBC版「殺人は容易だ」は、原作のストーリーをベースにしながら現代的なテーマを盛り込もうとした意欲的な作品でした。
ただ、映像の美しさや俳優の演技は光っていたものの、作品の核である「謎を解く面白さ」や「静かな狂気が漂う緊張感」は十分に伝わってこなかった。
あの列車のシーンを見たときは、期待感が高まって、本当にワクワクさせられたんですけどね……。
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