アガサ・クリスティの「蒼ざめた馬」を読みました。
「アクロイド殺し」「予告殺人」「ABC殺人事件」に続いて4冊目。今回の作品はノンシリーズのため、ポアロもミス・マープルも登場しません。
冒頭は他愛ない日常描写から始まります。実はそこに事件が隠されているのですが、この時点では何が起きているのかわかりません。
誰が重要人物なのかもわからないうえに、ころころと場面が切り替わるので、序盤はなかなか物語に入り込めませんでした。
主人公が本格的に捜査に乗り出す中盤以降は一気に面白くなり、犯人だけでなく殺人の手口がわからないという危険な状況で、無謀なおとり捜査に挑む素人探偵(主人公)にハラハラさせられました。
殺人のシステムも巧妙で、よく考えられています。犯人探しよりも、この殺人システムの謎を解き明かしていく過程が面白かった。
2010年にテレビシリーズの「アガサ・クリスティー ミス・マープル」でドラマ化されたときは、ミス・マープルが探偵役として登場する物語に改変されています。
2020年2月には、サラ・フェルプスの脚本が恒例となっているBBC製作のシリーズ最新作として、全2話のドラマが放送されました。
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ネタバレ解説*BBCドラマ「蒼ざめた馬」全話あらすじ・キャスト・感想Contents
登場人物
主要人物
マーク・イースターブルック
ロンドン在住の歴史学者。殺されたゴーマン神父が書き残した名前のリストと、〈蒼ざめた馬〉の関連を疑う。ジンジャーの協力を得ておとり捜査を行う。
アリアドニ・オリヴァ夫人
著名な推理作家。マークの友人で、ポアロの友人でもある。マークのいとこが主催する慈善バザーに参加し、〈蒼ざめた馬〉の住人たちに興味を示す。
ルジューン警部
地区警察の警部。黒髪、灰色の眼をもつ頑丈な体つきの男。ゴーマン神父が殺害された事件の捜査を担当する。
ジム・コリガン
警察医。マークのオックスフォード時代の友人。ゴーマン神父のメモに書かれていた“コリガン”の正体を突き止めようとする。
事件の被害者と関係者
ゴーマン神父
司祭。死の床にあるデイヴィス夫人に呼ばれ、奇怪な話を打ち明けられる。彼女から聞いた名前を書き留めたメモを靴の中に残し、何者かに殺害される。
デイヴィス夫人
インフルエンザで亡くなった女性。死の直前にゴーマン神父を呼び、ある告白をしている。消費者調査会社に勤めていた。
トマシーナ・タッカートン
マークがたまたま入ったカフェで見かけた若い女性客。父親が残した莫大な遺産を相続していたが、一週間後に脳炎で亡くなる。
ヘスケス・デュボイス
マークの名付け親。脳腫瘍で亡くなり、5万ポンドの遺産が姪と甥に相続された。
ザカライア・オズボーン
バートン通りの薬局の主人。観察眼に自信を持っており、ゴーマン神父が殺害された夜、神父の後ろを歩く男を見たと証言する。のちにボーンマスに移り住み、慈善バザーでヴェナブルズを見て彼だと確信するが…。
マークの友人
ハーミア・レッドクリフ
マークの女友達。28歳の美しく聡明な女性。マークが〈蒼ざめた馬〉について相談するも、笑って真剣に取り合おうとしない。
デイヴィッド・アーディングリー
マークの友人。オックスフォードで歴史学の講師をしている。演劇に傾倒している。
ポピー
デイヴィッドの女友達。花屋勤務。マークたちとの食事の席で〈蒼ざめた馬〉について口にするも、その後は怯えたようすで頑なに口を閉ざす。
慈善バザーに集まった人々
ローダ・デスパード
マークのいとこ。〈蒼ざめた馬〉があるマッチ・ディーピング村に住んでいる。マークに慈善バザーへの協力を依頼する手紙を出す。
ヒュー・デスパード大佐
ローダの夫。鋭い洞察力の持ち主。
ジンジャー
ロンドン・ギャラリーに勤めている快活な女性。本名はキャサリン・コリガン。赤毛でそばかすがあり、勇ましい性格。マークに協力し、おとり捜査のパートナーとなる。
デイン・キャルスロップ夫人
牧師夫人。〈蒼ざめた馬〉の住人たちが魔術を使うことを信じている。マークの相談相手となる。オリヴァ夫人やミス・マープルとも知り合い。
〈蒼ざめた馬〉の住人
サーザ・グレイ
マッチ・ディーピング村にある古民家〈蒼ざめた馬〉の女主人。心霊術や魔術に傾倒し、定期的に降霊会を開いている。
シビル・スタンフォーディス
サーザの友人。エキゾチックな装いで浮世離れした雰囲気を漂わせ、降霊会では霊媒の役を務めている。慈善バザーには占い師として参加した。
ベラ・ウェッブ
〈蒼ざめた馬〉の料理人。魔女だという噂がある老女。
そのほか
ヴェナブルズ
〈蒼ざめた馬〉の近くのプライアーズコートに住む大富豪。ポリオの後遺症で足が不自由なため、車椅子を使用している。以前は旅行家で、世界中を探検していた。
ブラッドリー
バーミンガムの仲買人。元弁護士で、怪しい商売をしている。
あらすじと解説(ネタバレ有)
『蒼ざめた馬』は1961年に発表されたノンシリーズの長編小説です。ポアロシリーズに登場する女性推理作家オリヴァ夫人が登場します。
以下、主な場面に分け、順に物語を解説していきたいと思います。最後に事件の真相をまとめていますが、その都度〈ネタバレ〉も見られるようにしました。
チェルシーのカフェバー
始まりは、歴史学者のマークが息抜きに訪れたチェルシーのカフェバー。マークはそこで、若い女性客2人が喧嘩をしているのを目撃します。
喧嘩はエスカレートし、一方の女性が相手の女性の髪の毛を引っぱって髪の束をごっそり引き抜くという事態に。髪を引き抜かれたトマシーナ・タッカートンという女性は、「別に痛くなかったわ」と言って平然と店を出て行きます。
その1週間後、マークは新聞の死亡欄にトマシーナが療養所で亡くなったという記事を見つけます。
この一見なんの変哲もない出来事が、マークを事件に導いていきます。
トマシーナは事件の被害者です。父親の莫大な遺産を相続していた彼女は、継母が持ち込んだ殺害依頼によって、犯人に病死に見せかけて殺されました。髪が抜けるという現象は、彼女が毒を盛られていたことを示しています。
デイヴィス夫人の死と謎のメモ
消費者調査会社〈C・R・C〉に勤めるジェシー・デイヴィスという女性がインフルエンザで亡くなります。亡くなる直前、彼女はゴーマン神父を呼んで、ある重大な秘密を打ち明けていました。
ゴーマン神父は彼女から聞いた名前を忘れないようにと、メモに書いて靴の中に隠しました。ところが帰宅する途中、何者かに撲殺されてしまいます。
ルジューン警部と警察医のコリガンは、ゴーマン神父の事件を担当し、彼が靴の中に隠したメモを発見。しかし、そこに書かれた名前のリストが何を意味しているのか、見当もつきません。
デイヴィス夫人が神父に告白した秘密とは、なんだったのか…?
デイヴィス夫人は〈C・R・C〉が犯罪に関わっており、自分が知らぬ間にその手伝いをしていることに気づきました。彼女は口封じのために犯人に毒殺されたのです。
彼女がゴーマン神父に告げたのは、その犯罪がどのようなシステムで行われているか、そして自分が担当した被害者の名前でした。
オズボーンの目撃証言
ゴーマン神父が殺された夜、神父と彼の後ろを歩く男を見た、という情報が警察に寄せられます。目撃したのは薬局の主人オズボーンでした。
オズボーンは人並外れた観察眼を自慢にしていて、正確かつ詳細に、その男の人相を描写します。背が高く痩せていて、髪は長め、大きな鉤鼻に特徴がある50歳前後の男。
そしてしばらくたってから、ボーンマスに引っ越したオズボーンは「近くの村でその男を見た」と、ルジューン警部に手紙を寄越します。彼が見たのは、マッチ・ディーピング村に住む大富豪ヴェナブルズでした。
ゴーマン神父を殺したのは、ヴェナブルズなのでしょうか?
オズボーンの目撃証言は真っ赤なウソです。彼こそがゴーマン神父を殺した犯人で、すべての事件の黒幕。たまたま見かけたヴェナブルズの顔が特徴的だったので、罪を着せようと思いついたのでした。
有能なルジューン警部は、この時点ですでに彼を「怪しい」と踏んでいましたが、多くの読者は気づけません。
ポピーのひとこと
マークはガールフレンドのハーミアと芝居見物をした帰りに友人のデイヴィッドと出くわし、彼が連れていたポピーを加えた4人で食事を楽しみます。
芝居好きなマークたちは「マクベス」に登場する3人の魔女や暗殺者の話で盛り上がり、「手軽に殺し屋が呼べたら便利だろうね」と冗談を言い合います。すると、ポピーが横から「それを可能にする方法がある」と言い出します。
どういうことかと追及すると、彼女は〈蒼ざめた馬〉のことだと漏らし、慌てたように「あたしの勘違い」だと訂正しました。
ポピーが口にした〈蒼ざめた馬〉とは…?
〈蒼ざめた馬〉は、マッチ・ディーピング村にある古民家。魔女と噂される3人の女性が住んでいて、定期的に降霊会を開いていました。
ポピーは〈蒼ざめた馬〉が非科学的な方法で密かに暗殺を行っていることを、噂で聞いて知っていました。のちに、ポピーは窓口となるブラッドリーの連絡先を教えます。
旧友コリガンとの再会
マークの名付け親であるレイディ・ヘスケス・デュボイスが亡くなり、彼女の邸宅を訪れたマークは、そこで警察医コリガンと再会します。2人はオックスフォード時代の友人でした。
コリガンは、ゴーマン神父が残したメモに「ヘスケス・デュボイス」の名前が記載されていたため、話を聞こうと訪ねてきたのでした。
コリガンから事件のあらましを聞き、メモを見せてもらったマークは、その名前の中に〝タッカートン〟の名前があることに気づきます。
メモに書かれている名前には、どういう共通点が…?
ゴーマン神父が残した名前のリストは、暗殺の対象者です。レイディ・ヘスケス・デュボイスも事件の被害者で、遺産めあての親族が殺害を依頼したと思われます。彼女もトマシーナ・タッカートン同様、死ぬ前に髪の毛が抜けていたことが、のちに使用人の証言で明らかになります。
慈善バザー
マークはいとこのローダが主催する慈善バザーに参加するため、マッチ・ディーピング村を訪れます。そこで赤毛の快活な女性ジンジャーと出会います。
その村には、かつて宿屋だった〈蒼ざめた馬〉と呼ばれる古い民家があり、家主のサーザ・グレイは心霊術や魔術に凝っていると有名でした。
噂によると、彼女は死にそうな人がいつ死ぬか、その日をピタリと当てるらしく、村の人々の間で評判になっていると言います。
オリヴァ夫人は〈蒼ざめた馬〉の住人たちに興味を示し、マークとジンジャーを含む6人で訪ねてみることに。
サーザ・グレイは本当に呪術を操るのでしょうか?
サーザ・グレイの呪術は偽物です。死ぬ日を当てられるのは、彼女が暗殺に加担しているからです。
ヴェナブルズとの昼食
翌日、〈蒼ざめた馬〉を訪ねる前に、一行はローダの案内で〈プライアーズ・コート〉へ向かい、大富豪のヴェナブルズと昼食を楽しみます。
ヴェナブルズは世界中を旅した元旅行家で、現在はポリオの後遺症で車椅子生活を送っていました。
彼がどうやって財を成したのかは不明で、子供時代や家族の話をいっさいしないヴェナブルズを、デスパード大佐は〝謎めいた男〟と言っています。
ヴェナブルズの正体は…?
ヴェナブルズの人相は、オズボーンが目撃したというゴーマン神父の後ろを歩いていた男にそっくりです。しかし、彼はこの事件には関わっていません。真犯人のオズボーンによって、犯人に仕立て上げられようとしただけです。
のちにヴェナブルズが過去に銀行強盗をして財産を築いていたことが明らかになりますが、彼が罪に問われることはありませんでした。
〈蒼ざめた馬〉を訪問
マークたち一行は〈蒼ざめた馬〉を訪れ、家主のサーザ、同居人のシビル、料理人のベラと会います。
シビルは子供の頃から霊感がそなわっていたと言い、魔術やブードゥー教の知識を披露します。サーザはマークを書斎に案内し、潜在意識にある死への願望に働きかければ、病気を誘発することは可能だと言います。
そして「あなたには私たちが必要になる」とマークに告げます。
怪しげな3人の女性たちの目的は…?
黒幕オズボーンと通じ、犯罪に加担していたのはサーザだけです。シビルは本当に霊感があり、霊媒として利用されていました。ベラは本気で呪術を信じ、純粋に楽しんでいました。
ブラッドリーとの面会
マークはメモに名前を書かれた人々が、〈蒼ざめた馬〉の3人の呪術によって死に至っているという考えに取り憑かれます。
マークの考えに同調したジンジャーは、ポピーに接触して〈蒼ざめた馬〉の情報を聞き出し、元弁護士のブラッドリーという男が窓口になっていることを突き止めます。
ブラッドリーのオフィスを訪ね、依頼人のふりをしてシステムの概要を聞き出すマーク。すると、ブラッドリーは怪しい賭け事の説明を始めます。
死を願う人物が指定の日までに死ぬかどうか、賭けをする。マークは死なないほうに、ブラッドリーは死ぬほうに。後日、本当にその人物が死ねば、マークがブラッドリーに賭け金を払う。
マークはジンジャーと相談し、真相を暴くために自ら依頼人となることを決めます。殺したい相手は妻ということにして、ジンジャーが妻役を買って出ます。
降霊会
ブラッドリーと契約を交わしたマークは、指示通りに〈蒼ざめた馬〉を訪ねて降霊会に参加します。インチキだと思いつつも、本当にジンジャーが呪い殺されるのでは…と不安を隠せないマーク。
数日後、元気だったジンジャーがインフルエンザにかかります。サーザたちの呪術は本物だったのかと動揺するマーク。この頃には、ジンジャーはマークにとって大切な女性になっていました。
ジンジャーを助けたい一心で、マークはポピーに〈蒼ざめた馬〉の事情に通じている人物がいないか尋ねます。すると、ポピーは消費者調査会社〈C・R・C〉に勤めていたアイリーン・ブランドンが何か知っているかも、と言います。
そう、ゴーマン神父に秘密を打ち明けたデイヴィス夫人が勤めていた会社です。そしてジンジャーもまた、数日前にその種の調査員の訪問を受けていました。
オリヴァ夫人のヒント
亡くなったレイディ・ヘスケス・デュボイスの使用人だった女性の証言で、彼女は闘病中に髪が抜けていたことが判明します。
その話を聞いたオリヴァ夫人は、マークがカフェバーで見た女の子同士の喧嘩を思い出し、「髪なんて簡単に抜けるものじゃない」と言い、そこには何か意味があるはずだと指摘します。
ジンジャーもまた髪が抜けていることがわかり、マークは彼女たちの病気が「タリウム中毒」だと気づきます。タリウム中毒の被害者にはさまざまな症状が表れますが、「髪が抜ける」という点においては共通していたのです。
〈蒼ざめた馬〉で行われていた呪術は目くらましに過ぎず、真相はタリウムによる毒殺でした。
〈C・R・C〉の正体
マークはポピーに紹介されたアイリーン・ブランドンに会います。彼女は〈C・R・C〉に1年以上勤め、「なんとなく怪しい」という理由で辞めていました。
仕事の内容は、渡された住民名簿にそって各家庭を訪問し、よく利用している商品についてアンケートを採るというもの。
しかし調査の目的は知らされておらず、質問の内容も統一されていなかったため、アイリーンは気味悪く感じたようです。
〈C・R・C〉は、犯人がターゲットに気づかれないように毒を盛るための調査会社でした。ターゲットが使用する食料品や化粧品をあらかじめ調べ、こっそり毒入りの同じ商品とすり替えていたのです。
社員たちは、何も知らずに暗殺の手伝いをさせられていたんですね。
亡くなったデイヴィス夫人は、自分が訪問した相手がつぎつぎと死んでいくのを見て、会社の実態に気づきました。〈蒼ざめた馬〉との繋がりや、黒幕の正体まで知ってしまい、口封じのために毒を盛られて殺されたのです。
神父が書き残したメモは、彼女が仕事で訪問し、亡くなった人たちのリストでした。
真犯人と事件の真相
マークはルジューン警部とオズボーンとともに、〈プライアーズ・コート〉のヴェナブルズを訪ねます。そしてヴェナブルズの前で、一連の事件の真相を語ります。
- デイヴィス夫人はある犯罪組織に関わっていて、ゴーマン神父に組織の実態を打ち明けて亡くなった
- ゴーマン神父は彼女から聞いた被害者の名前をメモに残したが、口封じのために殺された
- その犯罪組織とは、多額の報酬と引き換えに、邪魔な人間を消すことを専門にしていた
- 依頼人はブラッドリーのオフィスを訪ねて取引をし、その後〈蒼ざめた馬〉の降霊会に参加した
- 殺害方法は〈蒼ざめた馬〉の3人の女性たちによる呪術だと見せかけ、実はタリウムによる毒殺
- 〈C・R・C〉の社員たちがターゲットの家庭を訪問し、使っている商品を調査する
- 犯人がガスの検針員や配管工などになりすまして家の中に入り込み、持参した毒入りの商品とすりかえる
ヴェナブルズの苗小屋からは、タリウム塩の袋が見つかります。しかし、犯人はヴェナブルズではなく、オズボーンでした。
ルジューン警部は以前からオズボーンを怪しいと睨み、監視させていたのです。そして彼がヴェナブルズの苗小屋に忍び込んで、タリウム塩の袋を置くところを確認したのでした。
「ヨハネ黙示録」第6章第8節
元気になったジンジャーは、〈蒼ざめた馬〉がむかし宿屋だったときに使われていた、古い看板を洗います。
長年の垢が落とされると、馬の背に乗っている者の正体がはっきりと現れます。光る骨を手にして笑う、骸骨。
“蒼ざめた馬”とは、「ヨハネ黙示録」第6章第8節を表したものだったのです。
われ見しに、視よ青ざめたる馬あり。これに乗る者の名を死と言い、陰府これに従う……
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